泣くことには慣れていた。
 悲しくて、怒って、やるせなくて、どうしようもなくて、ぼくはよく泣いた。それは大抵、友だちに話を聞いてもらう時だった。
 ぼくは自分の気持ちを整理するために、または自身のストレスを発散させるために、自分に起こった事柄や気持ちを他人へと喋る。突然、話し相手が泣きはじめるなんて、友人にとっては迷惑なことだとわかっていたつもりだが、それでもやめられなかった。一人ではうまく泣けなかった。

 大学進学を機に地元を離れ、暮らし始めた六畳一間のワンルームロフト付き。ぼくは夜になると、布団を敷いたロフトへと梯子を登る。マットの裏がカビていることに気がついたのは随分と前だった。だけどマットの捨て方がわからなくてそのままにしていた。
 電気を消して、湿った感触の布団にくるまりながらクレーンゲームの景品のぬいぐるみたちを枕元に並べる。ノートパソコンからユーチューブの動画を最小の音量で流しながら、画面の液晶は消す。
 夜が自分の首を絞める。
 どうにもできない過去の行いが、発言が、記憶が、頭の中で責め立てる。時に怒号を上げ、時に冷酷に、時に小さい子どもが駄々をこねるように、ぼくはぼくを責める。
 そういう時にはかすかに聞こえる動画の音声に注意して、意識を意図的に外部に逃す。大丈夫になって、また寝ようとすると息苦しくなって、動画の音声を聞いて。これを延々と繰り返すうちにいつしか眠っている。
 これがぼくの夜だ。
 そんな一時的な処理ばかりで、ぼくは自分で自分を救う方法を知らなかった。

 大阪、阿部野橋駅近くの居酒屋で学部の先輩と後輩、そしてぼくの三人でご飯を食べた。映像学科に在籍していたぼくは映画の撮影現場の手伝いに駆り出された時、先輩と出会った。
 一つ年上の録音部の先輩はピリピリとは張り詰める現場の中でいつも周囲に気を配り、朗らかな空気を作り出していた。
 制作部という、撮影場所の事前の確保や各種スケジュールを担当する部署の末端にいたぼくは暇ができれば録音機材の前でタバコを吸う先輩の元に遊びにいった。
 撮影がひと段落というところで、ぼくは先輩をご飯に誘った。先輩には自分の過去の話をしたいなと思ったからだった。その時、偶然近くにいた一つ下の照明助手の女の子も一緒に行くことになり、ぼくたち三人は夜の阿倍野橋に出かけた。
 タレの甘辛い煙が立ち込める空気の中で、ぼくは痛むお腹をさすって覚悟を決める。
 ぼくは自分の過去のことを話す時には必ず「気持ち悪い話をするんですけど」と頭につけて話を始める。これは相手を慮っているわけではなく、ただの保険だった。
 先輩はぼくの話を聞いても、否定はしない『だろう』。だが、この『だろう』の部分にぼくはいつも怯えていた。
「なるほどねー。でもそうかなとは思ってたよ」
 話を終えた。
「マジすか。どの辺が?」
「うーん、なんとなく」
「なんとなく、かぁ」
 なんて言い合って、乾いた口を、もう飲みたくもない酒で仕方なしに潤していると先輩ははっきりと、それでいて柔らかい感じで話し出す。
「全然気持ちの悪い話じゃないし、これは私の気持ちだけど、自分で自分のことをそんな風に言って欲しくないかな」
 そんなことを言う人は初めてだった。
 そうだったんだ! と面白がってくれる友人も、私もさ、と他人に言いにくい過去の話をしてくれる友人の存在も、ぼくにとってはもったいないくらいにありがたくて、尊い存在だった。
 言ったそばから、急にぼくを見る目が変わったり、変に意識したり、攻撃的になってもおかしくないし、それが普通だと思っていたから。
 先輩のあまりに優しすぎる言葉に、ぼくはヘラヘラと笑うことしかできなかった。

「これ読んでみてほしい」
 それは一冊の私小説だった。先輩と互いに漫画を貸し借りする約束をして、手渡された漫画たちの中にそれはあった。白いカバーに波打ち際の写真が印刷されているだけのシンプルなデザインの本。
 ありがとうございます、と言って受け取ったがぼくは読む気が無かった。
 これまでの人生で小説というものを読んだことがなかった。文字ばかりで、長くて、読むのが大変。それよりもドラマや映画を見たり、同じ本でも漫画の方を好む人間だった。
 それからしばらく経って先輩とまたご飯を食べることになった。集合場所へと向かう電車の中。昼間の車両は乗客もまばらだ。端の席に座り、トートバッグを足の間に置くと、隙間からあの私小説が目に入る。
 一読もせずに返すことに今更の罪悪感を覚え、最初の一章だけを読むことにした。
 ページを二、三枚めくるうちに、目頭がぎゅー、と熱くなって、視界が濡れて、重力のまま、雫となって頬に落ちた。
 各駅停車の電車が止まるたびに、乗り込んでくる乗客がぼくを見る。斜め向かいに座るキラキラした服を着たおばさんもずっと見ているのに気がついていた。それでも涙が止まらなかった。
 美しい文章が、残酷な現実を描き、主人公である著者のありのままの生を伝える。
「おかま」をからかわれ、親族からは「失敗作」となじられ、母に認められず、祖父の死をきっかけに家を出た、男性が好きな男性、著者の人生。
 ぼくと著者の共通点は、男性を好きになる男性というところだけだった。
 ぼくは昔から仮面ライダーや戦隊ものなど、俗にいう男の子が好きになるものが好きだったし、自分の体の性について違和感を覚えたこともない。自意識は完全に男だったから、両親や周囲にも不審がられることはなかったし、それゆえに良好な関係を築けていた。幸運なことにいじめられた経験もない。
 ただ、恋愛や性愛に関してだけ対象が異性ではなく同性になる。
 その小さなズレが、ぼくの中で「普通」から大きく外れる要因になった。
 著者の人生が、存在が、ぼくの孤独からくるネガティブに優しく触れる。著者が送った人生は、ぼくが送っていたかもしれない人生で、これから送る人生かもしれないと思えて、ぼくは泣いた。
 悲観したわけではない。著者の人生に同情したわけでもない。それは、これまで流してきたどの涙にも当てはまらない、安心感からくる涙だった。
 一人ではない。
 そう思えて、ぼくは初めて一人で泣いた。
「もうちょっと貸してください」
 駅のホームで目を赤く腫らしたぼくを見て先輩は笑っていいよ、と言った。