八月も終盤に近付くと、愛を叫んでいた蝉の死骸がごろごろと道端に転がるようになってきて、胸が詰まる。せっかく運命の相手を見つけたのに、せっかく出逢えたのに、抗えない別れの時。
今年の夏が、もうすぐ終わる。
ちゃぷんと水を蹴ったのは、今日は海ではなくてプールの中。アオとふたり夜のプールサイドに腰をかけ、真上に浮かぶ満月を見る。
「校舎だけじゃなく、とうとうプールにまで侵入しちゃったね」
アオの肩に頭を乗せてそう言うと、彼も私の頭に頬を乗せた。
「この中学、セキュリティー甘すぎ」
「アオが悪い子すぎなんだよ」
「え、俺ぇ?」
「もしアオが大人だったら、前科のひとつでもついちゃうよ」
「あはは。かもね」
もしアオが大人だったら。果たして彼は、その大人になれるのだろうか。
不安げにアオを見上げると、額にキスを落とされた。またちゃぷんと水を蹴る。
「どうして瀬戸なの?」
彼の名乗った偽名にふと疑問を感じ、そう聞いた。
「葵だからアオなのはわかるよ。でもどうして神田を瀬戸にしたの?」
「特に意味はないよ。母さんの旧姓借りただけ」
「ふうん。でも私、瀬戸寧々の方がよかったなあ」
「へ?」
「神田寧々と瀬戸寧々。んーまあどっちでもいっかっ」
へへへと笑いながら結婚をほのめかした私を、彼は歪めた顔と共に包み込む。
「寧々、俺のことなんか待ってないでよ……」
耳元でそう囁かれて、私も彼の背中に手をまわした。
「どうして気付けなかったんだろう……」
向かい側の駅のホーム。アオはずっとそこにいたのに。
「もっと早くアオと恋人同士になりたかった……」
そんな我儘を言えば、呆れた笑いが降ってくる。
「寧々が兄貴ばっか見てるからっしょ」
「もっと出しゃばってくれればよかったのに」
「出しゃばったら気付いてくれた?」
「うーん、たぶん」
「あははっ。じゃあ頑張ればよかった」
トクントクン。アオの心拍が耳に届くとなんだか落ち着く。トクントクン。彼は今、生きている。
「アオ、もし三パーセントに入れなかったらアオはどうなるの?」
プールの水面に映るのは真上の満月。揺蕩うそれを見て聞いた。少し間を空けてからアオが答える。
「死ぬと思う」
とても酷な答えだった。
「そっか……」
途端に溢れる涙。アオには知られたくなくて必死に堪えるけれど、鼻を啜ればバレてしまった。
「寧々……」
「ごめんっ。これはアオが死んじゃうって決めつけた涙じゃないからっ」
「無理しないでよ、誰もがそう思って当然だよ。九十七パーセントの方が信じやすい。そういうもんだよ」
三パーセントと九十七パーセント。
ふざけんなって思った。
「違うっ」
不安で泣いたのは自分の方なのに、私はアオの両頬をバチンと叩いて言い聞かせた。
「成功するかしないか、そのどっちかっ!だから確率は五十パーセントもあるの!」
半分の確率で、アオは生きて帰ってこられる。だからそんなに臆病にならなくていいんだ。
「私だって今日帰り際に事故に遭って死ぬかもしれないし、寝てる間にぽっくり逝くかもしれない!事故に遭うか遭わないか、ぽっくり逝くか逝かないか、明日がくる確率はみんな平等!半分半分!だから私たちはまたきっと会える!」
関係者以外立ち入り禁止の場所へ忍びいった侵入者だという立場も忘れて、私はほとんど叫び声に近い声で捲し立てた。
涙でぐしゃぐしゃな顔は好きな人に見せたくなかったけれど、好きだから伝えたかった。
私たちの夏は、今年だけじゃないよって。
強く強く抱きしめられたあとに交わしたキス。この続きは、またその時にしようよ。
今年の夏が、もうすぐ終わる。
ちゃぷんと水を蹴ったのは、今日は海ではなくてプールの中。アオとふたり夜のプールサイドに腰をかけ、真上に浮かぶ満月を見る。
「校舎だけじゃなく、とうとうプールにまで侵入しちゃったね」
アオの肩に頭を乗せてそう言うと、彼も私の頭に頬を乗せた。
「この中学、セキュリティー甘すぎ」
「アオが悪い子すぎなんだよ」
「え、俺ぇ?」
「もしアオが大人だったら、前科のひとつでもついちゃうよ」
「あはは。かもね」
もしアオが大人だったら。果たして彼は、その大人になれるのだろうか。
不安げにアオを見上げると、額にキスを落とされた。またちゃぷんと水を蹴る。
「どうして瀬戸なの?」
彼の名乗った偽名にふと疑問を感じ、そう聞いた。
「葵だからアオなのはわかるよ。でもどうして神田を瀬戸にしたの?」
「特に意味はないよ。母さんの旧姓借りただけ」
「ふうん。でも私、瀬戸寧々の方がよかったなあ」
「へ?」
「神田寧々と瀬戸寧々。んーまあどっちでもいっかっ」
へへへと笑いながら結婚をほのめかした私を、彼は歪めた顔と共に包み込む。
「寧々、俺のことなんか待ってないでよ……」
耳元でそう囁かれて、私も彼の背中に手をまわした。
「どうして気付けなかったんだろう……」
向かい側の駅のホーム。アオはずっとそこにいたのに。
「もっと早くアオと恋人同士になりたかった……」
そんな我儘を言えば、呆れた笑いが降ってくる。
「寧々が兄貴ばっか見てるからっしょ」
「もっと出しゃばってくれればよかったのに」
「出しゃばったら気付いてくれた?」
「うーん、たぶん」
「あははっ。じゃあ頑張ればよかった」
トクントクン。アオの心拍が耳に届くとなんだか落ち着く。トクントクン。彼は今、生きている。
「アオ、もし三パーセントに入れなかったらアオはどうなるの?」
プールの水面に映るのは真上の満月。揺蕩うそれを見て聞いた。少し間を空けてからアオが答える。
「死ぬと思う」
とても酷な答えだった。
「そっか……」
途端に溢れる涙。アオには知られたくなくて必死に堪えるけれど、鼻を啜ればバレてしまった。
「寧々……」
「ごめんっ。これはアオが死んじゃうって決めつけた涙じゃないからっ」
「無理しないでよ、誰もがそう思って当然だよ。九十七パーセントの方が信じやすい。そういうもんだよ」
三パーセントと九十七パーセント。
ふざけんなって思った。
「違うっ」
不安で泣いたのは自分の方なのに、私はアオの両頬をバチンと叩いて言い聞かせた。
「成功するかしないか、そのどっちかっ!だから確率は五十パーセントもあるの!」
半分の確率で、アオは生きて帰ってこられる。だからそんなに臆病にならなくていいんだ。
「私だって今日帰り際に事故に遭って死ぬかもしれないし、寝てる間にぽっくり逝くかもしれない!事故に遭うか遭わないか、ぽっくり逝くか逝かないか、明日がくる確率はみんな平等!半分半分!だから私たちはまたきっと会える!」
関係者以外立ち入り禁止の場所へ忍びいった侵入者だという立場も忘れて、私はほとんど叫び声に近い声で捲し立てた。
涙でぐしゃぐしゃな顔は好きな人に見せたくなかったけれど、好きだから伝えたかった。
私たちの夏は、今年だけじゃないよって。
強く強く抱きしめられたあとに交わしたキス。この続きは、またその時にしようよ。