──これは、ローガンとフレイヤが婚約してしばらく経った頃の出来事。


 近衛騎士団所属、ジン・ファビアーニは、執務室に戻ってきた上官、ローガン・アデルブライトがいつにも増して厳しい顔をしていることに気づき、そーっと温かいお茶を差し入れた。

「あのー……」
「なんだ。用件があるならはっきり言え」
「失礼しました!」

 薄青の冷ややかな視線を向けられ、条件反射的にジンの背筋がビシッと伸びる。
 勢いで敬礼までしそうになるのを寸でのところで止めて、ジンは言われた通りにはっきりと述べた。

「何かお悩みごとでもあるのでしょうか!」
「…………」

 しばし沈黙したローガンは、やがて、「……わかるか」と重々しく頷いた。


 ──ジンの上官であるローガン・アデルブライトは、武官の名門アデルブライト伯爵家の嫡男だ。

 貴族家には、王家に仕え大きな武勲を立てたことで叙爵された家も多く、次男以降であれば騎士団に入ることもあまり珍しくはない。

 しかしアデルブライト家は、家督を継ぐ嫡男もほぼ例外なく騎士団に入るという点で特殊といえるだろう。

 家柄と十分な才覚によって、歴代の騎士団要職者を数多く輩出してきたアデルブライト家。
 ローガンもその例に漏れず、入団時から図抜けた才覚を発揮して、瞬く間に王太子の側近騎士まで上り詰めた。

 側近騎士というのは、近衛騎士団や騎士団に所属する者の中から、護衛対象である王族が直接指名をして側近くに置いている騎士のことだ。
 指名されると、騎士団所属の者は近衛騎士団に異動となる。

 普通の近衛騎士は近衛騎士団長の指揮監督下にあるが、側近騎士に任命されると、基本的に主君の指示によってのみ動くことになるので、かなり特殊な立場だ。

 ちなみに、ローガンが側近騎士となったきっかけとされている一件は、実は任命直後の出来事。
 任命が話題になるより先にあの襲撃が起きたので、“王太子を見事に賊から守り抜いた”という武勇によって取り立てられたと、あっという間に噂になってしまったそうだ。

 「まぁ、箔が付いていいんじゃないか?」という王太子の言葉で、ローガンも特に訂正することなく、羨望と畏怖の視線を浴びている。


 ……さて。
 そんな、家柄も実力も、さらには容姿までも屈指の上官に、一体どんな悩みがあるのか。

 ジンが思い当たるものは、1つだった。

 ローガンはつい先月、幼馴染みの伯爵令嬢ソフィアとの婚約を解消し、その妹のフレイヤとの結婚が決まったばかり。
 そして元婚約者のソフィアは、彼が仕える王太子の婚約者となった。
 結婚を先延ばしにしていた節があるので、ジンは密かに「何かわけありか?」と疑っていたが、やはり主君に婚約者を掻っ攫われるというのは複雑なのだろうか……などと、あれこれ考えていた時だった。

「……フレイヤに、何を贈ればいいのかと悩んでいた」
「へ?」

 ジンの口から、間抜けな声が漏れた。

 ローガンの表情は真剣そのもので、冗談というわけでも、自分で考えるのが面倒でジンに放り投げたというわけでもなさそうだ。

「……あの、ソフィア嬢に贈っていたのと同じようなものでいいのでは?」
「ソフィアに贈り物をしたことはほとんどない」
「ええっ?」
「レイヴァーン伯爵家を訪れる時は、手土産に菓子や茶くらいは持っていっていたが。ソフィアへ特別に贈り物というのはないな」

 ジンは、「そんなんだから王太子殿下に掻っ攫われたんですよ」と言いかけたが、流石にそれはこらえた。

 ローガンのこの様子と、20歳を超えても結婚に踏み切らなかったことからして、本人たちはあまり婚約自体乗り気ではなかったのかもしれない。
 しかし、フレイヤに贈り物をしようとしているということは、今回の婚約は様子が違うのだろうか。

「……ちなみに、フレイヤ嬢はどんな方なんですか? それによって贈り物も変わってくるかと思います」
「そうだな……」

 ローガンは、シャープに整った顎先に指を添えて考え始めた。

 レイヴァーン伯爵家には3人の子供がいて、長女がソフィア、次女がフレイヤ、長男で末っ子がルパートだ。
 ソフィアは稀にローガンとパーティーに参加しており、子爵家の三男であるジンも見かけたことがあった。

 しかし、次女のフレイヤの方は、社交界に滅多に顔を出さず、謎に包まれている。
 名門レイヴァーン伯爵家と縁続きになることを望んだ家が見合いなどを申し入れても、ことごとく断られているという話もあった。

 伯爵が表に出したがらないほど何かしら問題がある娘なのか。はたまた、可愛さ余って秘蔵としている娘なのか。密かに注目度が高いご令嬢だ。
 抑えきれない興味を胸に、ジンはローガンの答えを待った。

「フレイヤは……活発で愛らしく、美しい」
「んぐっ」

 冷淡な上官から発せられるにはあまりに違和感がある言葉で、ジンは噴き出しそうになるのを必死でこらえた。
 喉奥で鳴った変な音はローガンにも届いていたようで、怪訝そうにこちらを見てくるが、目を逸してなんでもないふりを貫く。

「よほどの変わり者とかじゃない限り、女性に贈る無難なプレゼントといえば、花や服飾品ですかね。婚約されているので、ドレスもありかと」
「……そうか。式のドレスのために採寸をしているはずだから、その寸法で何か作ってもらおう。あとは花か」

 花という言葉で、ジンは最近貴族家出身ではない騎士から聞いた話を思い出した。

「近頃街では、花の種類や色で気持ちを伝えるのが流行っているそうですよ。……でも、お相手は伯爵家のご令嬢なので、街の流行を適応するのはよくないかもしれませんね」
「そうだな……。フレイヤならばそれで気分を損ねることは──俺が相手では、あるかもしれないか……」

 この言い方だと、フレイヤはローガンのことをあまり良く思っていないのだろうか。

 騎士らしく鍛え上げられた体躯に、男のジンから見ても綺麗ではあるが、冷たい印象の顔をしているローガン。女性から嫌われる要素はなさそうなものの、近寄りがたい、恐ろしいなどと思われている可能性がないとは言えない。

「フレイヤ嬢の好きな色がわかれば、それが一番かと思います。まぁ、花にそこまで好き嫌いはなさそうですし、ローガン様が贈りたい色だとか、好きな色でいいんじゃないでしょうか」
「……ならば、薄紫にしよう」
「薄紫、ですか?」

 意中の相手に贈るものの色というと、自分を想起させるものが定番だ。
 ローガンの場合、目の色から薄青か、髪の色から淡い黄色あたりになる。

 薄紫というのはどこから来た色なのかわからず、ジンが怪訝な声をあげると、ローガンは「ああ」と頷いた。

「俺が綺麗だと思う色だ」
「それって……あっ」

 ふと思い出したのは、以前夜会でちらっと会ったソフィアの姿だ。
 亜麻色の髪に、ベリシアン王国では稀な薄紫の瞳が印象的だった。

 フレイヤは、両親を同じくするソフィアの妹である。
 姉妹で似たような色味を持っていると考えれば、薄紫はフレイヤの色である可能性が高い。

 それを「俺が綺麗だと思う色」と表現するあたり、この上官はジンの予想以上に、新たな婚約者殿に心酔しているらしかった。

「フレイヤ嬢に喜んでもらえるといいですね」
「ああ。助言、感謝する。助かった」
「いえいえ!」

 自分がなまじ優秀すぎる分、周囲に求める水準も高いローガンから珍しく率直に礼を言われ、ジンはブンブンと首を横に振った。


 ──ジンがその後、フレイヤから贈り物をやんわりお断りされて落ち込む上官を宥める羽目になったり、結婚後にご機嫌取りでなぜか馬を届けに行く役目を担わされたりするのは、また別のお話。