フレイヤを横抱きにしたままのローガンが室内へ戻るのとほぼ同時に、廊下側から足音が聞こえてくる。
 現れた人物の姿を見て、フレイヤは目をみはった。

「皆、ご苦労だった」
「はっ!」
(お、王太子殿下……!?)

 シルバーアッシュの髪に、グレーの瞳。細身の引き締まった体躯。夜会にはラフすぎる、パンツにシャツ、ベストという姿でも不思議と威厳があるのは、王族なればこそだろうか。

 ローガンはフレイヤを抱えたままで礼をするので、フレイヤは生きた心地がせずに彼の胸を軽く叩いて下ろすようにと無言の訴えをする。

 しかし──。

「そのままでいい」

 堪えきれないように笑い混じりの王太子に言われ、羞恥心に両手で顔を覆いつつ、フレイヤは沈黙した。

「……さて」

 笑いを引っ込め、公爵とその次男を見下ろす王太子に、数秒前までのどこか緩さのある気配は微塵もない。
 縄をかけられ跪く2人を冷たく見据える目は、まさしく未来の為政者のものだった。

「マティス・フォンティーヌ公爵。お前が、フローレンス・アーデン侯爵令嬢毒殺未遂事件の首謀者であることは調べがついている」
「違──」

 公爵が口を開くが、王太子に合図された騎士によって間髪を入れずに床へ押さえつけられ、言葉が途切れる。

「この期に及んで見苦しい。口を塞いでおけ」
「はっ」

 公爵親子は布で即席の猿轡をかまされ、沙汰の続きを言い渡されることになった。

「公爵家次男、サムエル・フォンティーヌ。お前は父、マティス・フォンティーヌ公爵と共謀し、フレイヤ・アデルブライト夫人を誘拐・監禁した。お前たちの企みを私へと伝え、王家への忠誠を示した嫡男、ギデオンについては寛大な処置とするが……お前たち2人は身分剥奪の上、ウェスト・エンド塔に生涯幽閉とする。……連れて行け」
「はっ!」

 公爵──いや、公爵であったマティスとその息子のサムエルは、騎士たちに引きずられるようにして連れて行かれる。

 隣室からは、縛られていた手首を軽く擦りながら嫡男のギデオンが現れ、王太子の前に跪いた。
 公爵に掛けられたのは赤ワインだったのか、白いシャツに血のように赤い染みが広がっている。

「……ギデオン」
「殿下……申し訳ありません。まさか父がここまでの暴挙に出るとは……」
「あの者たちの企みの気配を察知し、すぐさま私に知らせたことで不問とする。着替えてくるといいだろう」
「殿下の寛大さに、心より感謝申し上げます」

 いつの間に来ていたのか、部屋の前にはコネリー侯爵がいて「あちらでお着替えを」とギデオンを案内する。
 一瞬彼と目が合って面白そうに微笑まれ、フレイヤは再び羞恥心で顔を覆った。

「奥様の靴見つけまし──殿下!」

 走って戻ってきたジンが、王太子を見て勢いよく膝をつく。
 彼の言葉で再び王太子はこちらへ意識が向いたようで、口元を押さえるが笑いを隠せていなかった。

「いや、すまん。災難だったな、フレイヤ夫人」

 羞恥心で消え入りそうになりながら、フレイヤは目礼した。

「お、王太子殿下の御前でこのような……申し訳ありません……」
「オウェイン殿下、フレイヤは足も手も怪我をしておりますので」
「なんと……。ローガンの我儘で離さないのかと思っていたが……」

 王太子は一度瞼を伏せると、真剣な表情になってフレイヤを見つめた。

「本当に、巻き込んですまなかった。怖い思いをしただろう。詫びや金では気が収まらないかもしれないが……奴の悪事の現場を押さえることに成功した報奨もかねて、せめて見舞金は贈らせてくれ」
「もったいないお言葉にございます」
「腕のいい侍医もお願いします」
「無論だ。傷一つ残らぬように治療せよと厳命しておこう」
(ちょ……ローガン様!? 殿下!? そんな命令されるお医者様が心底気の毒よ……!?)

 フレイヤの負傷は、縄を切ろうとした際に油断してナイフがかすめた手首付近の浅い切り傷と、樹皮がちょっと刺さって足の裏がわずかに切れたくらいだ。

 あと1分ほど待っていればローガンたち騎士が救出に来てくれたわけで、1人で突っ走ったがゆえに余計に怪我をしただけとも言える。

 それを王家から見舞金だの侍医の派遣だのとなると、過分なものに思えて仕方がなかった。
 しかし、断っては角が立つこともわかっているので、何も言わずに受け入れることにする。