(ローガン様は王太子殿下の側近なのだし、私が得ている程度の情報はもうお持ちかもしれないけれど……戻ってこられたら報告を──って、迂闊には喋れないんだったわ)
「お話が」と切り出した時点で口を塞がれる未来が見えてしまって、フレイヤは額を押さえた。
「……あ、そうだわ」
話は屋敷に帰ってから、どうにか頑張ってたくさんするとして。
この会場内では意思の疎通を図るのが難しいので、もう1つ切実な問題があった。
──お手洗いだ。
(あの、って言いかけた時点で口を塞がれたらたまったものじゃないわ。まだ平気だけれど、ローガン様がいない今のうちに一度お手洗いに行っておきましょう)
空になったグラスを給仕に渡し、フレイヤは主会場を出る。
ローガンには会場内にいてくれと言われたけれど、同じ建物内のお手洗いであればギリギリ「会場」の範囲内だろうし、彼が戻る前に戻れば問題ない。
楽団の奏でる音楽や、人々の談笑の声といったパーティーの喧騒から少し離れると、一気に静かになったように感じられて、フレイヤはなんだか落ち着かない気分になった。
足早にお手洗いへの道筋を進んでいると、後ろから駆けてくる足音が聞こえる。
切羽詰まっているんだろう──なんて呑気に考えたその時だった。
「んんっ!?」
突然、背後から羽交い締めにされて、口元に布が押し付けられる。
(何、この変な匂い……! どこかで嗅いだことがある、ような……)
ジタバタともがくが、その際息を吸ってしまって、くらりと目眩がする。
そこでフレイヤは、覚えがある匂いがなんだったのかを思い出していた。
(これ……酔酩の果実……)
酔酩の木は、この大陸の森で稀に自生している植物だ。
一見美味しそうな赤い小さな実には意識を混濁させる作用があり、ほんの少し食べただけでも酩酊したようになる。
小さい頃に森で見つけて食べようとした時、父が珍しく血相を変えて「駄目だ!」と叫んだのだった。
麻酔としても使われる実の果汁を含ませた布を嗅がされるというのは……どう考えても、何かしらマズい事態が起きている。
極力吸い込まないようにと呼吸を我慢しつつ、フレイヤは力尽きたように抵抗を弱めた。
気絶したふりをして、隙を見て逃げようと考えたのだ。
だが……。
(だめ……意識が……)
最初に思いっきり吸ってしまった分が効いてきたらしく、眠気よりずっと暴力的な何かが、強制的に意識を奪っていく。
(ローガン、様……)
薄青の瞳をした愛しい人の姿を思い浮かべたのを最後に、フレイヤの意識は深く沈んでいった。