「わたくし……この間、筆の君をお見かけしたかもしれないのです」
「ええっ!?」
2人の令嬢たちと一緒に、危うくフレイヤも「ええっ!?」と声を出すところだった。
「本当ですの?」
「詳しくお聞かせくださいな」
「ええ……。でも、確証はないのです。わたくしの思い違いだったかもしれません。ですから、この話はここだけにしておいてくださいね」
「わかったわ」
「もちろんよ」
内心「怪しいものよ、その2人、噂話が好きそうだもの」と思うフレイヤだが、彼女たちと同じく話は聞きたいので、より一層耳をそばだてた。
「先日、本を買いに出かけた時のことです。書店の2階には高価な専門書が並んでいて、身元が保証された方しか入れないのですが……そこに、まるで町娘のような格好をされた方がいるのが見えたもので、気になってじっと見てしまいました」
「もしかして、その方が……?」
「ええ。お顔立ちがよく似ていらして……。でも、格好はとても簡素なものでしたし、髪もブルネット……他人の空似だったのかもしれません」
フローレンスは、蜂蜜のような黄金色の髪だったはずだ。
おまけに侯爵は公爵に次ぐ高位貴族。
その令嬢が町娘のような格好で出歩いているとは、通常であればなかなか考えづらい。
しかし、フローレンスそっくりさんがいた場所と、彼女が置かれている状況からして、フレイヤはそれが本人である可能性は高いのではないかと感じた。
それは、メイマイヤー子爵令嬢も同じだったようだ。
「ですが……かねてより不穏な噂は耳にしておりましたし、それが事実で、筆の君がご病気でないなら……身を隠されているのもありえない話ではないと思うのです。声を掛けてはご迷惑になるかと控えましたが、あの時お見かけした女性がかの方であればと願ってしまいますわ」
「……その方がいらしたのは、王都一番の本屋さんでしたの? だとしたら、ご本人である可能性は高いと思いますわ。だってあそこ、かの方の親戚筋の方が趣味で営まれているお店だそうですもの」
「筆の君は博学であらせられると聞きますし、専門書庫の方にいらしたのなら、やはりそうなのではありませんか?」
令嬢たちも同じ意見にまとまったようだ。
フレイヤはフローレンスがどうやら無事回復した模様であることに安堵しつつ、その事実を隠したがっていることが気になってしまう。
(ユーリの話と、メイマイヤー子爵令嬢が見かけたフローレンス様らしき女性……やっぱり、彼女は病気で臥せっているのではなく、毒を盛られて命の危険を感じ、王太子妃候補から降りたと考えるのが一番納得できるわ。回復を隠しているのは、再度狙われるのを避けるためよね。ということは、王家もアーデン侯爵家も、狙われたのは王太子殿下ではなくフローレンス様だと確信しているのかしら)
王家を謀るのは、いかに高位貴族といえど重罪なので、表向きフローレンスは病ということにして王太子妃候補を降りることに同意したなら、王家も事情は正しく把握しているはずだ。
「筆の君がご無事そうなのは何よりですけれど……一体、誰の仕業なのかしら」
「一番怪しいのは、後釜にすわった月の君のお家なのだけど……」
フレイヤはギクッとする。
生家のレイヴァーン伯爵家の紋章には、月桂樹が入っている。
文脈からしても、月の君というのはソフィア、そしてレイヴァーン伯爵家のことを指していた。
(た、確かに……お父様がそんなことをするはずもないから全然考えていなかったけれど、怪しまれても仕方がないわ……!)
ちょっとした衝撃を受け、ふと、先日のユーリとの会話が再び蘇る。
『ソフィア様は大丈夫ですよ、きっと。旦那様も奥様もうろたえていないのが、何よりの証拠です』
(お父様もお母様も、ソフィアお姉様に危険はないってある程度確信しているのね、と心強く思ったのだけれど……レイヴァーン伯爵家が、フローレンス様の排除に関与していたら──って、いえいえ、お父様に限ってそれはないわ!)
父は伯爵、そして文官として十分な地位を築いているし、権力争いとは無縁の穏やかでおおらかな人だ。
才女と名高く、周囲からも認められていたフローレンスを土壇場で排除してまで、ソフィアを王太子妃にしようなんて野心を抱くとは思えない。
「それは……ないでしょうね」
「ええ。野心がなく心の広いお方だと、お父様も話しておられましたわ」
(よ、よかった……! 今夜はお父様の人徳に乾杯よ……!)
ここで「ええ、あの方ならやりかねないわ」「きっとそうよ。悪辣なことで有名ですもの」なんて言われるような父でないことに、安堵と誇らしさが湧いてくる。
しかし、一体誰が、なんのためにフローレンスを排除したのかは相変わらず見えてこない。
(犯人がいるなら、かならず目的、動機があるはずよ。毒を使って王太子妃候補を次々に排除するわけにはいかないから……犯人は、フローレンス様を排除したらソフィアお姉様が次の候補になると踏んでいたのかしら? そして、お姉様が王太子妃になった方が、犯人にとっては都合がいい……?)