「ちょっといいですか」
小さく手招きされ、周囲に人気がないとはいえきな臭い話はできるだけ声をひそめたいものなので、フレイヤはユーリとの距離を詰めた。
「……彼女が病気がちだったって話は聞きませんし、そもそもこの国、王室も一夫多妻制じゃないから、健康は王太子妃候補を選ぶ時の結構な重要項目のはずです」
「そうね」
いくら美しく聡明であろうが、王太子殿下が熱烈に恋をしていようが、世継ぎを望めないようなか弱さでは王太子妃は務まらない。
その重責こそが世継ぎ誕生の邪魔なのだとして、王太子に限り第二、第三妃まで設けるべきだと主張している貴族がいるとも耳にする。
その意見にも一理あるが、彼らの本当の狙いは、娘を王太子妃かそれに準ずる立場にすることだろう。
それに、王族の一夫多妻を認めている国では、王位をめぐる泥沼の争いで、妃のみならず幼い王子や姫たちが暗殺されることが今なおあるそうだ。
もっとひどいと、どの王位継承者を次代の王とすべきかで国が割れて内乱状態となり、それに乗じて攻め入られて亡国となった例も存在する。
ベリシアン王国含め、現在多くの国が王族も一夫一妻制としているのは、そういった余計な火種を避けるためだった。
「フローレンス嬢は、これまで健康に問題なし。小さい頃からかなりの健康優良児だったみたいです。それが、突然起き上がれないほどの病になった」
「そういうことも……なくはないと思うけれど」
「まあ、確かに。でも、病で臥せってるという割に、屋敷に医者が出入りしてる様子がないんです。つまり、既に回復されている可能性がある。それでも表に出て来ずに、療養中として王太子妃を降りたんだとしたら……変だと思いません?」
「それは、そうだけど……そもそもなんでそんなこと、ユーリが知ってるの?」
「家令に頼まれて探ったんですよ。難病で苦しまれているなら、適当なお見舞いの品なんかより、治療に役立つ薬や滋養のつくものがいいじゃないですか」
「そうね」
「んで、うまいこと恩を売れたら、“どさくさに紛れて王太子妃の座を奪いやがってー!”とか逆恨みせずに、ソフィア様の後ろ盾になってくれるかもしれませんし」
なんとも打算まみれである。
しかし、貴族社会においてそういう駆け引きは特段珍しくはない。
「最良のお見舞い品は何がいいか探ろうとしたら、なんだか変だって気づいてしまったわけね」
「そういうことです。フローレンス嬢と親しかったご令嬢たちの間でも、突然倒れるなんておかしい、毒でも盛られたんじゃないかって密かに噂になってます。オレも割と同意見ですね。毒なら、解毒できて後遺症が残らなければずっと医者が通う必要ありませんし。王太子妃を降りたのも、生き残ったことで再び毒を盛られるよりはずっといいと思ったからとか」
「毒だなんて、そんな……」
フレイヤの記憶が正しければ、フローレンスは1つ年上で、まだ19歳だったはずだ。
王太子妃にと望まれ懸命に励んでいたであろう同年代の令嬢が毒に倒れたかもしれない、という話は、背筋を薄ら寒くさせた。
「フローレンス様は、ちゃんと回復されたのかしら……? お医者様が通っていないのは……その、実は亡くなっていた場合も考えられると思うのだけれど」
「なかなか物騒なこと考えますね、お嬢様……。直筆の手紙でやり取りはできてるらしいので、字を真似るのが天才的に上手い奴をアーデン侯爵家が雇ってるとかじゃなければ、まあまあ回復しているかと」
ひとまずほっとするが、心配なのはソフィアのことだ。
王城はこの国で最も厳重な警備が敷かれた安全な場所だから、賊に命を脅かされることはないだろう。
しかし、毒などの見た目にはわからない攻撃手段を使われたら、ローガンたち騎士がどんなに優秀でも、全てを完璧に防ぐのは難しいのではないだろうか。
「犯人はわかっているの? お姉様も狙われたりは……」
「そこまでは、なんとも。そもそも“犯人”が存在するのかもはっきりしませんし。いたとして、今の状況が狙い通りなのかもわからない。狙い通りでないなら──」
「お姉様も、危ない……」
フローレンスは本当に病に倒れたのであって、今ユーリとフレイヤが話している内容が、ただの深読みしすぎならそれが一番いい。
だが、そうでなかった場合……事態はかなり深刻だ。
「でも、当面は安全なんじゃないかと思いますよ、オレは。王太子妃候補が次々に倒れる中で、ハイハイ我こそは!って手を挙げるお嬢さんが出てきたら、黒幕とあっという間に繋がりますし」
「……確かに、そうね」
「仮に毒だった場合でも、狙いがフローレンス嬢だったとも限りません。彼女が倒れた状況がわからないのでなんとも言えないですけど、殿下を狙った毒を運悪く食らってしまったって可能性もありますから」
「はぁ……頭がこんがらがってきたわ」
「オレもですよ。ただお見舞いの品は何がいいか探ろうとしたはずなのに、なんでこんなややこしい問題について考える羽目になってるんだか」
2人して溜息を吐き、再びゆっくりと歩き始める。
「ソフィア様は大丈夫ですよ、きっと。旦那様も奥様もうろたえていないのが、何よりの証拠です」
「……!」
ユーリの言葉に、フレイヤはハッとした。
そうだ、両親は3人のきょうだいを皆それぞれに大切にしてくれている。
父・レイヴァーン伯爵は、宰相などの絶大な権力者ではないが、文官の中で相当な実力者だそうだから、ユーリやフレイヤよりも得ている情報は多いだろう。
ソフィアの王太子妃内定について告げたあの日、父も母も落ち着いた様子で、憔悴し悲嘆に暮れるような姿は見ていない。
両親は何かしら、ソフィアは安全であろうという確信めいたものを持っているのかもしれなかった。
そう気づくと、一気に気持ちが楽になってくる。
「長話になっちゃいましたね。きっと、エヴァが待ちくたびれてますよ」
「そうね、急いで帰らないと」
忍び出た時と同じく、見張りの目につきにくいところから縄梯子をかけて敷地内に入る。
あらかじめユーリが使いのカラスを飛ばして連絡してくれたので、庭園の生け垣では、エヴァがフレイヤの着替えを持って待っていてくれた。
「おかえりなさいませ。気分転換できましたか?」
「ええ。本当にありがとう、エヴァ」
「無事にお部屋に戻られるまでがお忍び外出ですよ」
「ふふ、そうね」
先日のローガンを真似て、護身用に持っていた短刀で花を一輪摘み取ってから屋敷に戻る。
もし誰かと鉢合わせた時は、庭園に出たことにしようかと思っていたのだが、そんな言い訳を使う機会がおとずれることはなく。
幸いにして、フレイヤはお忍び外出をお忍びのままに完遂することができた。
──と思っていた。
次の日の夜、過去最高に険しい顔をしたローガンが帰ってくるまでは。