「それじゃあ、また明日」

 階段を上り終えたところで図書室に向かう夏恵に手を振り、図書室とは反対側に位置する音楽室へと向かう。

 音楽室から溢れた、金管楽器の心地よい音色が響き渡る廊下を歩いていく。新入部員勧誘に向けて意気込んでいるのか、その音色は普段よりも生き生きとしていた。

 金管楽器に重なるように他楽器の音色も加わっていき、やがて一つにまとまった合奏を耳にしながら、音楽室の前を通り過ぎる。

 東校舎四階の一番端。音楽室の隣にぽつねんと存在する部室の、立てつけの悪い引き戸を開く。教室の広さの半分にも満たないこの小部屋は、かつて音楽室に収まりきらない楽器を保管するための予備室として使われていたらしい。その名残からか、ここが正式に文芸部の部室となった今でも、部屋の隅には楽器の入ったケースが所狭しと置かれていた。

 ただでさえ狭い室内の半分を占めるのは、真ん中に堂々と置かれた横長の会議用テーブル。そのテーブルにかぶりつきになりながら、こちらに背を向けてパイプ椅子に座っていた倉吉(くらよし)先輩が、くるりと振り返った。

 さらさらと黒い前髪が揺れ、アーモンド型の瞳が引き戸を開けた私を捉える。たったそれだけのことなのに、私の胸はトクンと大きな音を立て、脳裏には手鏡に映った自分の姿が蘇る。大丈夫。髪ははねていないか、制服の襟はちゃんとしているかなど、部室の前で何度も確認した。

 そう思いながらギュッとスカートの裾を握ると、倉吉先輩は静かに唇の端を持ち上げ、午前午後を問わない文芸部共通の挨拶を口にする。

「おはよ、ミャオ」

 ミャオというのは、部内で呼ばれている私のあだ名だ。美夜という名前が猫の鳴き声に似ているから、ミャオ。可愛いらしい響きのそのあだ名は、自分でも結構気に入っている。

「おはようございます」

 私は挨拶を返してテーブルの奥に回り、倉吉先輩の斜め前にあたる席に腰を下ろした。

 鞄から原稿用紙の入ったファイルを取り出していると、テーブルに頬杖をついてその様子を眺めていた倉吉先輩が口を開く。

「一応仮入部期間だから、もし一年生が来たら適当に見学させとけって、部長からの指示」

「上村先輩は今日も塾ですか?」

「そう。アイツ、国立狙ってるらしいから」

 倉吉先輩が下を向いてシャーペンを握り直し、そこで会話が途切れる。真剣な表情で机上のルーズリーフと向き合う彼に声をかける勇気もなく、私も取り出した原稿用紙にシャーペンを走らせ始めた。