ダースは俺にこう語った。
「ミレイお嬢様は『イ・リーガル』のトップ、J・D・スロート様の愛娘。日本人の母親との間に産まれた子供なの。赤羽というのは、母方の姓よ」
静かに、まるで赤子に聞かせるように。
「……順調にいけば、後々には『イ・リーガル』を束ねるはずだった。ところが、内部で派閥が出来てしまってね? 命を狙われたお嬢様は各国を転々として、最後にこの日本に逃げてきた」
俺は強く拳を握りしめる。
「今日のように、彼女は命を狙われ続ける。場合によっては事故にみせかけて、とかね。貴方とは住む世界が根本から違うの、ミコトちゃん」
「住む世界が、違う……?」
そして、ようやく絞り出したのはそんな声だった。
それは夜風に流れて、ダースにのみ届く。彼は小さく一つ頷いて言った。
サングラスを外して、蒼の瞳で俺のことを見つめて――。
「だから、もう関わるのはやめなさい。死にたくないなら」――と。
◆◇◆
――自室のベッドに倒れ込み、俺は仰向けになるよう寝返りを打った。
なんの実感もわかない。今日起きたことはあまりにも非日常的で、非現実的で、非常識なことだった。もっとも、常識に至っては『日本の』という言葉が付くが。
だが、そんな細かいことはどうでも良い。とにもかくにも、今まで平々凡々な学生生活を送ってきた俺にとっては、完全にキャパオーバーだった。
「…………」
ため息もでない。
薄く開いた口は塞がらないし、全身に力が入らない。
だって、思いもしなかった。普通に人生を送っていて、死にたくないなら、なんて言われるなんて。そんなのラノベとかアニメの中だけだと思ってた。
それでも、現実なんだよな、と思う。
目を閉じればまだ、あの銃撃の時のことがよみがえってきた。
赤羽ミレイはフランスマフィアの娘であり、その命を狙われている。それはどう足掻いても現実なわけで、俺にはどうしようもないことだった。
「どうしようも、ない……」
そう。そうだとも。
俺には無関係なことだったと。
今ここで、そうだと割り切ってしまえばすべてが終わりだった。
「そんなの……!」
――でも、できなかった。
「赤羽は、ミレイは――彼女だって普通の女の子のはずなんだ!」
俺はそう口にして、身を起こす。
今日見た彼女の仕草や、子供に話しかける姿、そして何よりも普通の暮らしがしたいと。そう語っていた姿には、普通の女の子であることしか感じなかった。
そこにマフィアだとか、命の危機だとか、関係ない。
俺は、ただ一人の友人として。
赤羽ミレイのことを守りたいと、そう思った。
惚れた腫れたはもう、いっそのこと度外視。いまはただ――。
「気合を入れろ、坂上命……!」
ドン、と胸を強く叩いた。
口から漏れた決意は、誰の耳にも届くことはない。
◆◇◆
「おはよう、ミレイ! 今日もいい天気だな!」
「えっ……? ミコト、くん?」
翌朝――俺は校門の前にいたミレイに声をかけた。そして、
「悪いけど、少しだけ時間いいか?」
人気のない校舎裏へと彼女を呼び出す。
ミレイは驚きに目を見開きながら、しかし拒否することはなかった。
「……で、話なんだけど」
「はい……」
俺がそう切り出すと、彼女は身を固くする。
キュッと拳を胸の前で握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でうつむいた。俺はそんなミレイに向かって、迷いのない結論をぶつける。
「俺が、ミレイのことを守る。何があっても」――と。
それは、彼女にとっては想定外のことだったらしい。
「えっ……!?」
またも目を見開くと、頬に一筋の涙が伝った。
呆然とした表情。そんなミレイは、どうにか言葉を絞り出した。
「そんな、私にかかわったら――」
――命が危ないのに、と。
そう現実を口にしかけて彼女は、唇を噛んだ。
色んな感情がない交ぜになっている。そのように思われた。
だから、そんな不安を打ち消すように俺は笑みを浮かべてこう伝える。
「俺はミレイの初めての友達だ。大好きな友達が困っていたら、手を差し伸べる。それは当たり前のことで、どんな状況になっても変わりはしない!」
そして、おもむろに手を差し出した。
これは意思表示。俺はもう、決意表明をした。
あと、それを受けるか決めるのはミレイの方だった。
「ミコト、くん……!」
震えた声で、彼女は――。
「ありがとう……!!」
言って、こちらの手を取った。
瞬間に俺は、彼女を強く抱きしめる。
胸の中で泣きじゃくるミレイ。そんな彼女を守るように。
どんな未来が待っていようとも、この決意だけは変わらない。
運命とやら、どこからでもかかってきやがれ……っ!