寿命の見える少年と幸薄少女、硝煙の香り。







「誰だ……!?」

 俺は声のした方を見る。
 地下室の入口――そこに立っていたのは、1人の初老の男性だった。
 口髭を蓄えており、身に着けているのは金の細いラインが入った黒のスーツ。眼鏡をかけたその顔立ちは、優しげな印象を受けた。
 微笑みをたたえたその男性は、余裕をもって言う。

「初めまして。私の名前は、御堂ハジメ――御堂財閥の頭取だよ」

 自分こそが、キミたちの敵である、と。
 そう宣言するようだった。

「お父様……!?」
「おやおや、アカネもいるのか。今日は寝ていなさいと言ったのに、悪い子だ」

 そんな父の姿に、思わず声を上げたのはアカネだ。
 彼女は悲喜交々といった表情で彼を呼ぶ。しかしそんな娘を見て、薄ら寒い笑みを浮かべた御堂ハジメ。芝居がかった口調と仕草で、少女のことを嘲笑った。
 俺は一目見て理解する。
 こいつには、娘に対する情というものがないのだ、と。

「これは、どういうことですの!? 『イ・リーガル』は、わたくしの命を狙っていたと、そう仰っていたではありませんか! それなのに――」
「あぁ、本気で信じていたのかい。それとも薄々、勘付いていたのかな」
「それって! どういう、意味ですの……?」
「分かっていて訊くのかい?」

 娘の必死な訴えに、クツクツと嗤うハジメ。
 そして、おもむろにこう語り始めた。

「金銭についての話があったのは本当だよ? ――『イ・リーガル』から、ね」
「それは、どういうことだ……?」

 そう切り出した彼に、割って入ったのはアレン。
 霞む目で必死にハジメを捉えているのか、瞬きが多く、呼吸も荒かった。
 そんなアレンの体力の消耗に気付いているらしい。まったく脅威ではないと、そう言わんばかりに財閥頭取はこう口にした。


「末端は知らないのかな。我々、御堂財閥と『イ・リーガル』が密な関係であること――そして、今のボスの娘を殺す手助けをしている、ということをね」


 それを聞いた、その場に居る全員が息を呑んだ。
 その宣言は間違いない。自分たちもまた闇の世界の人間であり、マフィアと癒着関係にあるということ、それの自白だった。
 おそらく御堂財閥に依頼したのは、反体制派だろう。
 しかし、その相手が反抗集団であることは重々承知であると、ハジメの目は語っているような気がした。罪悪感を抱いている様子は、微塵も見られない。

 その証拠に、彼はこうも語った。


「私たち御堂財閥は、反体制派に金銭の援助をする。その代りに事が上手く運んだ場合に、相応の報酬を得ることになっているんだ。さらに今、そこには莫大な金が転がっている――赤羽ミレイという、何千億という価値ある命がね!」


 それはもう、腐りきった言葉。人の命を軽んじたもの、外道のそれだった。
 こいつの目には、頭の中には、金のことしかない。人の心など、どこかに置き去りにした。その証拠に優しげだった笑みはいつの間にか、邪悪な色を帯びている。

 吐き気がした。
 こんな、ここまでの屑が生きていることに。

「お、父様……」

 そんな父の本性を見たアカネは、感情のない表情で大粒の涙を流していた。
 そしていよいよ許容範囲を超えたのか、その場にへたり込んだ。
 アレンはそれを支えて、優しく肩に手を置く。

「う、うぅ……!」

 少女のすすり泣く声が、金庫の中に響いた。
 しかしそんな娘など気にも留めず、ハジメは銃を取り出して構える。不自然に首を傾げながら、ケタケタと笑った。そして、

「いやぁ、実に愉快だね。何も知らないキミたちを見ているのは!」

 俺たち全員を小馬鹿にする。
 銃口をゆっくりと、ミレイの方へと向けて――。


「まさか『あんな近くにいる裏切り者』に気付かないなんて、ね」


 言って、引き金に指をかけた。
 その瞬間だ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「なっ――!?」



 完全にこちらから目を切った、その時。
 俺は全速力で、一直線に、ハジメへと突進した。そして――。



「ふざ、けんなああああああああああああああああああああああっ!!」



 渾身の力を込めて、その綺麗な顔をぶん殴った。
 そこには、冷静さなどない。そこには、計算などもない。
 ただただ怒りを込めて。ただただこの男が許せなくて。ただただ、アカネの心を傷付けたコイツが、ムカついて仕方なかった。

 この行動が正解かなんて、分からない。
 それでも、俺はもう我慢の限界だったのだ。

「てめぇ、自分が何を言ってるのか、分かってんのか!?」

 馬乗りになって、ハジメへと拳を振り下ろす。
 まるで想定していなかった事態に、彼は防戦一方になった。
 そんな外道に、何度も何度も何度も、俺は全力の拳を叩きつける。だが――。

「やめて、ミコト――っ!」
「な――!?」

 声が聞こえた。
 それは、父を守ろうとする娘の叫びだった。
 その懇願に、俺は思わず動きを止めてしまう。すると、

「……良い子だ、アカネェッ!」

 当然に、隙が生まれた。
 ハジメは銃を俺の脇腹に宛がうと、迷うことなく引き金を引く。


「かはっ……!?」


 直後に、発破音と共に激痛。
 そして全身から、脂汗が噴き出した。俺はどうしようもなく――。


「ミコトくんっ!!」



 ミレイの悲鳴を聞きながら、その場に横倒しになった。

 






「あはははははははははははははは!! 馬鹿なガキめ! あんな小娘の悲鳴ごときで隙を見せるなんて、甘ちゃんにも程がある!!」

 立ち上がったハジメは、こちらを見下ろしそう罵声を浴びせてくる。
 俺はそれを忌々しげに睨み上げた。しかし、身体に力は入らない。幸いなことに急所は外れているらしく、出血は思ったほどではなかった。
 それでも、弾が貫通したことによる痛みは恐ろしい。
 前にも喰らったことはあったが、やはり意識が飛びそうになる。

「ぐっ……!?」

 だが、ここで気を失うわけにはいかない。
 諦めたらすべてが終わりだった。だから俺は唇を噛み、目を見開く。
 口の中に鉄の味が広がった。心臓は早鐘のように脈打ち、呼吸はそれに応えるように上がっていく。それでも思考は止めなかった。

 相手は拳銃を持っているが、たった1人だ。
 慢心か油断、はたまたその両方か。部下を引き連れている様子はなかった。
 だがしかし状況は圧倒的に不利。傷だらけのアレンは、ミレイに銃口を向けられていることで動けなくなっていた。アカネは――ついに気を失ったか。

 俺は身動ぎ一つに相当な体力を使う。
 少しでもなにかをすれば、意識が飛んでしまいそうだった。

「まだだ、考えろ――!」

 絶望的な状況。
 その中で俺が選んだのは――。


「アレン、受け取れ!!」
「ミコト……!?」


 先ほど、黒服から奪った拳銃をアレンの方へと転がすこと。
 これがまずは最善の第一手。そして、次に起こり得る可能性に備えて――。


「ぐ……う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「ミコトくん……!?」


 想像を絶する痛みに、眉をしかめながらミレイの方へと駆けた。
 すると、ハジメはやや慌てて行動を開始する。
 それはミレイへの銃撃――!

「死ねぇ――――っ!」

 ダン、という音。
 その直後に、俺は背中に激痛を感じた。
 覚悟はしていたものの、これはかなり、きつい……。

「ミコトくん、ミコトくん……!!」

 倒れ込む俺を支えるようになったミレイ。
 彼女は涙声になりながら、俺の名前を繰り返していた。
 遠退く意識。その中で最後に見たのは、愛しい女の子の泣き顔だった。

「は――馬鹿め、これで……!」
「御堂ハジメ、これで終わりだ」

 後方で、そんな声がする。
 アレンだろう。彼はハジメを――。



 一発の銃声。



 それを耳にして、俺の意識はプツリと途切れた。

 






 ミレイの足もそれなりに治った頃。
 俺たちは、アカネの主催するパーティーに招待された。
 脇腹を撃たれた傷は生々しく痛みはするが、我慢できないほどではなくなっている。そのため俺は、着慣れない正装をして、御堂邸を訪れていた。

「あんなことがあったのに、持ち直すもの――なんだな」

 エントランスホールからダンスホールへ。
 あの事件が嘘だったように思える賑やかさに、思わずそう漏らしてしまった。

「…………頭取が死んだのに、な」

 俺の記憶は途切れ途切れになっているため、非常に曖昧だ。
 それでも、世界的に有名な財閥の頭取の死は、大きくニュースでも取り上げられていた。死因は頭部を撃たれたことによるもの。
 しかし、犯人はいまだ不明とされていた。
 第一発見者とされた御堂アカネも、調査に有益な情報を持ち合わせていない。そうしているうちに、あらゆる証拠は隠蔽され、闇に葬られていったのだ。

 俺たち『イ・リーガル』と、財閥の協力者の手によって。

「でも、そこから立て直したのは――」

 アカネの実力だろう、と。
 俺には、そんな確信に近い思いがあった。
 父の死後に彼女は、財閥内にいるハジメ派の人間を排斥。そこから全体に向けて大号令を出し、事業を見事に立て直してみせたのだ。
 いまや彼女は、社交界で知らない者はいない有名人だった。

「にしても、海晴の奴はしつこかったな……」

 そんな相手からの誘いに、我が家はざわついた。
 中でも海晴は自分も行くと言って騒ぎ、実力行使するまで納得しなかったのである。結果として俺はミレイとアレン、あの場にいた面子でここへやってきた。
 隣を歩くドレスを着たミレイが、俺の呟きを耳にしたのか小さく笑う。
 そして、こう言った。

「海晴ちゃん、私にもお願いしてきたんですよ?」
「え……? ミレイ、海晴の連絡先知ってるの?」
「はい。SNSで繋がってて、仲良いですよ」
「マジか……」

 思わぬ新事実に、俺は苦笑い。
 肩を落とし、ため息をつくのだった。

「ミコト、諦めろ。お嬢様と海晴はすでに『マブ』というやつだ」
「お前、なんでそんな変な日本語知ってるんだよ……」

 すると、所々に包帯を巻いたアレンが口を挟む。
 だが言葉のチョイスにツッコんでしまった。なんだよ『マブ』って。いや、意味は辛うじて知ってるけど、フランス人の彼が使うと違和感バリバリだった。

 さて、ダンスホールの入口付近でそんな話をしていると、だ。

「いらっしゃいですわ。3人とも」

 本日パーティー、その主催者が姿を現した。
 身に着けているのはミレイ同様にドレスなのだが、やはり上流階級の人間だ、ということなのだろう。生地や装飾の細かさ、そして微かにあしらわれた宝石の類が気品を感じさせた。元々の素材も悪くないために、アカネは周囲の視線を一身に受けている。



「本日はお招きいただき、ありがとうございます。御堂先輩」
「赤羽さんは、ついでなのですけど。諸々のお詫びもありましたから」
「お詫びだなんて。私は別になんとも思っていませんよ? ――ふふふっ」
「あらあら。そうでしたの? そう仰られるのなら、今からでもお帰りいただいて構いませんわよ? お時間取らせて申し訳ございませんですわ」
「それとこれは、話が別なのですよ――先輩?」
「あら、そうですの。ふふふっ」



 ――え……? なに、この険悪な空気。

 にこやかに言葉を交わすミレイとアカネの間には、なにやら火花が散っているように思われた。いいや、比喩ではなく明確に散っていた。
 その理由が分からずに、俺は言葉を挟むことができない。
 すると、そんなこちらに声をかけたのはアレン。

 彼はポンと優しく肩に手を置いてきて、こう口にした。


「兄弟――強く生きるんだぞ」


 ――はい? なんですか、それ。

 どこか憐れむような色さえうかがえる彼の目に、俺は首を傾げるしかなかった。
 だが、そうしていると不意にアカネがこう話しかけてくる。

「ところで、ミコト。少しお話よろしいですか?」
「え、俺だけ?」

 まさかの指名に、俺は思わず呆気に取られた。


◆◇◆


「先日は、わたくしの父がご迷惑をおかけしましたわ」

 ダンスホールを抜け出してベランダに出ると、アカネは開口一番、そう言った。
 小さく頭を下げる彼女に、俺はどこか申し訳なってしまう。

「いや、いいよ。それよりも、良かったのか?」

 だから、話題を変えた。
 それとはなにか。言葉にしなかったが、アカネは意を汲み取ったらしい。ほんの少しだけ目を伏せた後おもむろに、どこか寂しげに口を開くのだった。

「父がしたことは許されることではありません。ですから、アレンさんのことを恨んではいませんわ。その点はまず、誤解のないようお願い致します」
「……………………」

 彼女の言葉に、俺は沈黙をもって肯定する。
 だがしかし、

「そして『イ・リーガル』との関係についてですが、こちらについては今後も情報の共有を図ろうと考えています」
「アカネは、それで良いのか?」

 次に出てきたそれには、そう訊いてしまった。
 すると令嬢は、小さく微笑んでこう言う。

「良いのです。父の仕事を引き継ぐのは、娘の役目ですから。――それに、ミコトに少しでも協力したいと、恩返しがしたいと思ったのですわ」

 それは、彼女の覚悟そのものだった。
 自分は自分の責任と向き合う。それが、一族の贖罪なのだから、と。
 まだ高校3年生である少女にとって、それがいかに困難な道であるかは、少し考えただけでも分かった。だが、それがアカネの選んだ道なのなら……。

「……そう、か。何かあったら相談しろよ?」

 俺には、否定する権利はない。
 だから後押しするように、優しく声をかけた。

「ありがとうございます、ミコト」

 アカネは胸に手を当てながら、にこやかに笑う。
 その胸中にどれだけの感情を抱え込んでいるのか、誰にも覚られないように。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でていた。
 ほんの少しの抵抗はあったが、すぐに受け入れてもらえる。
 そうして、しばしの沈黙があった。

 だがそれを破ったのは、他でもないアカネ。
 彼女は一つ息をついてから、真剣な眼差しを向けて言った。

「――ミコト。貴方に伝えておきたいことが、ありますわ」



 そして、それは今後の俺たちの道に、陰を落とすもの。
 一度、目を閉じてから。ゆっくりとそれを開き、アカネはこう口にした。



「間違いありません。ミコトのすぐ傍に『裏切り者』がいます」――と。


 






 ――すぐ傍に、裏切り者がいる。
 俺の耳に張り付いて離れないその言葉は、学校生活が再開しても残っていた。
 考えたくはない。それでも、ミレイの命にかかわる情報だった。だとすれば決して、無視できる情報ではない。だからこう、クラスメイトも敵に見えて……。

「ミコトくん。どうしたのですか? すごく、怖い顔してます」
「……え。あぁ、ごめん。考え事してた」
「考え事、ですか?」

 と、そう考えているといつの間にか休み時間になっていた。
 隣の席に座るミレイが、心配そうにこちらを覗きこんでくる。小首を傾げて上目遣いに。いま最も不安であろうはずなのに、彼女はやはり、彼女だった。
 そんな少女に心配をかけないように、俺は話題を提供する。

「あぁ、そうだな――もうじき学園祭だろ? クラスの出し物、なにかなって」

 それはまさしく、ミレイの食いつきそうな話だった。
 彼女は普通の学生生活に憧れていたのだ。だからこういう風に言ってあげると、ぱっと表情を明るくする。そして、ニコニコの笑顔になって頷くのだった。

「楽しみですね! 私、こんな催しに出るの初めてなのです!」
「ははは、ホントに楽しみだな」

 その笑みに釣られて、俺も笑う。
 でも、心からの言葉だった。以前の俺なら、学園祭なんてリア充のイベントだ――滅んでしまえ、と思っていたに違いない。
 それでもミレイのこの喜びようを見ていると、そんな気持ちも引っ込んだ。

「ミレイは何がしたい?」
「そうですねぇ、色々ありますけど――」

 うーん、と。
 人差し指を唇に当てて、彼女は考え込んだ。
 そうしていると、どこか聞き覚えのある声が届いた。


「もちろん、キミたちのクラスは『メイド喫茶』に決まっている!」――と。


 声のした方を振り返った。
 そこにいたのは――。


「き、貴様はまさか……!」
「ふっ、驚いているようだな我がライバルよ!!」


 タイガだった。
 彼は格好つけて構えながら、最後は髪を掻き上げる。
 しかし、俺はそれに対して……。

「いや、そんなに驚いてない」
「急に冷めた対応するのはやめてくれ! 友よ!!」
「いつから友になったんだよ。ライバルはどこに行ったんだよ」

 淡白にツッコみを入れた。
 するとタイガはショックを受けて涙目になる。
 ――が、すぐに気を取り直したのか。一つ息をついてこう言った。

「こういった際には、メイド喫茶だと相場が決まっているだろう?」
「どこの相場だよ。さては、最近ラブコメにハマってるな、貴様」
「ふふ。そこに気付くとは、さすがは我が盟友だ……!」
「どんどんグレードアップしていく……!?」

 いやいや。
 こんな馬鹿なやり取りをしている場合ではなかった。

「……それで、どうしてメイド喫茶?」

 俺が訊ねると、おもむろにタイガは肩に腕を回してくる。
 そして、ミレイには聞こえない小声で熱っぽく語った。

「キミは見たくないのか? ――赤羽さんの、メイド姿が!」
「そ、それは……っ」



 ――――見たいっす。



 いや、もうね?
 そんなの見たいに決まっているじゃないですか。
 好きな女の子のメイド姿。ヲタク男子としては夢ですよ、たぶん。

「い――いや、しかし。無理矢理に着させるわけには……!」

 だが、そこで自制心が働いた。
 そんな時だ。俺の耳元で悪魔が囁いた。

「逆に考えるんだ。無理矢理だからこそ、いいじゃないか、と!」
「…………っ! タイガ、お前!」

 全身に電流が流れる。
 驚いて見れば、そこにはタイガのしたり顔。

「ふふん。その目は、どうやらイメージが降りてきたようだな」

 彼は俺の表情すべてから感じ取ったらしい。
 俺の、敗北を……!

「くそっ、そんな誘惑に勝てるわけねぇじゃないか……!」
「いいや。友よ、これは敗北ではない」
「タイガ……?」

 こちらが肩を落としていると、それを励ますようにタイガは言った。
 そう、これは勝ち負けではなく――。



「大いなる、第一歩だ」――と。



 俺はこの時に初めて、九条大我という人間を人生の先輩だと思った。
 覚悟を決めて立ち上がり、ミレイの方を見て、

「ミレイ、いいかな?」
「はい……?」

 ゆっくりと、こう提案した。




「メイド服、着てくれるかい?」




 真っすぐに、円らなその瞳を見つめて。
 すると彼女はどこか、恥じらいを見せながらこう答えた。



「………………はい」



 消え入るような、そんな声で。


 俺とタイガは無言で向き合い、手を掲げた。
 そして、力強くハイタッチを交わすのであった……。



 





 果たして、普段は目立たない俺の熱弁によって、我がクラスの出し物は『メイド喫茶』となった。主に女子から反発があったが、ねじ伏せることに成功。ミレイからの賛成を得られていたことが、最終的な決定の鍵になったりもした。
 いまやクラスの――学校の人気者である彼女の言葉だ。
 さすがだ、と。その一言に尽きた。

「でも、諸々の準備は坂上がやりなさいよ~?」
「分かってるっての」

 女子生徒からのそんな声に、俺は逆ギレしつつ答える。
 準備の指揮を執ることになるというのは、ある程度は覚悟していた。だから特別に嫌というわけでもなく、淡々と物事を前に進めていく。
 幸いに男子生徒は協力的だったため、どんどんと仕事は終わっていった。
 だが、時には問題も発生するわけで……。

「なぁ、肝心のメイド服はどうするんだ?」
「あぁ、それか。学校の方針で、外注するのは禁止だったな……」

 田中が問題提起をして、俺は考え込んだ。
 裁縫が得意な男子はもちろん少ない。だとすれば女子に、となるが……。

「あ、あの! 私にやらせていただけませんか?」

 そう思っていたら、ミレイが手を挙げた。
 少しだけ緊張した様子で、しかしどこか嬉しそうに。

「いいけど、ミレイは裁縫とか得意なのか?」
「はい! コスプレの衣装は、ほとんどが自作でしたので!」



 ――あ、そうだった。
 ミレイも大概にヲタなのだった。



 それなら、きっと問題なく作れるだろう。
 しかし人手は多いに越したことはない、ということで……。

「女子に頭を下げてくるか……」

 俺はそう言って、サボりまくってる女子のもとへと行こうとした。
 だがそれを止めたのは、ミレイ。

「私がお願いしてきます!」
「え、でも……。結構、骨が折れると思うぞ?」
「大丈夫ですよ。だって――」

 彼女は笑顔を浮かべて、こう言った。



「せっかくのお祭りなんですもん! みんなの思い出になった方が嬉しいです!」



 無邪気に、それこそ子供のように。
 そこにあったのは、今まで得られなかった時間を享受することに、心の底から歓喜している少女の姿。その背中を見送りながら、俺は自然と笑みをこぼしていた。
 その時だ。

「ミレイお嬢様も、ずいぶんと前向きになられたのね」
「…………なんでいるのさ」

 ダースが出没した。
 たしかに今は放課後ではあるものの、関係者以外は入れないはず。
 俺は苦笑いを浮かべながら見ていたが、彼はなんてことはない、といった風にウインクをしながらこう言った。

「大丈夫よ。ここまで誰にも見つからないよう、スニーキングしてきたから!」
「それって、ただの不法侵入じゃねぇかよ!?」

 サムズアップするダース。
 俺はほぼほぼノータイムでツッコんだ。
 クラスメイトは何事かと、少しだけ俺たちを見たがすぐ作業に戻る。お前らいいのか、明らかに怪しい人間が1人、ここにいるぞ……?

「なーんてね? ちゃんと警備員のオジサマに声をかけてきたわよ。ミレイお嬢様に差し入れがしたいのですけれど、ってね」
「いや。それはそれで、簡単に通すのはどうなのさ。我が校よ……」

 先日の体育祭で不審者騒ぎがあったのに、だ。
 結果的に死者は出なかったが、警戒をするべきだと思うのだが。なんだったら、担任伝手にでも校長にアプローチをかけた方が良いのかもしれない。
 俺は学園祭準備とはまったく関係ないことで、頭を抱えるのだった。
 そんな様子を見て、ダースはくすりと笑む。

「ミコトちゃんのお陰、かしらね」
「え……?」

 そして、そんなことを言うので俺は首を傾げた。
 彼はミレイを見ながら、目を細めて言う。

「ミレイお嬢様は色々な国で、命を狙われ続けてきたの。だから、天真爛漫だった性格も、次第に暗く大人しくなっていった」
「………………」
「頼る人が私とアレンしかいない、というのも辛かったのでしょうね。精神的に追い詰められていくのが、目で見て分かるほどだったのよ」
「……そう、だったのか」

 俺はふっと息をついて、最初の頃のミレイを思い出した。
 たしかに、どこかよそよそしくて、今よりもかなり大人しかったように思われる。初めてデートをした時も、笑い方がぎこちなく、遠慮がちだった。
 それもこれも、過酷を極める生い立ちゆえだったのか。
 今さらながらに、胸が締め付けられた。

「でも、それもミコトちゃんと関わるうちに解けていったわ。帰ってくると決まって話すのは貴方と、学校でどんな会話をしたのか、ということばかり」
「え、マジか……!?」
「貴方ずいぶんと、うちのお嬢様にアプローチをかけてるそうね?」
「……………………」

 ダースの微笑みに、背筋が凍った。
 不明瞭な返答で濁すか、黙ることしかできない。

 ちょっと待ってねミレイさん。保護者に話すって、小学生ですか……!

「まぁ、ミコトちゃんにお願いしてるのは私たちだから。それくらいは役得だと思ってくれていいわよ? ――アレンは、どう思ってるか知らないけど」
「はい。以後、気をつけますね」

 帰り道で、これからは背後に気をつけよう。
 本気でそう思った。

「あぁ、それじゃ。私はそろそろお暇するわね? これ、お嬢様に……」
「そうだ、ちょっと時間あるか? ダース」
「……? なにかしら」

 と、そこで帰ろうとした彼に訊ねる。
 首を傾げる相手に、俺は自分たちにしか聞こえない声量でこう伝えた。

「少し、話がある」


◆◇◆


 体育館の裏は、本当に人気がない。
 秘密の会話をするには、もってこいの場所だった。

「それで、話って? まさか、本命は私だ――」
「安心してくれ。それだけは、絶対に、なにがあってもあり得ない」

 冗談を口にするダースに、冷めたツッコみを入れる。
 しかし、お遊びはここまでだ。

「なぁ、ダース? 正直に答えてくれ」

 俺は呼吸を整えつつ、静かにこう訊ねた。





「『裏切り者』は、お前で間違いないよな」――と。


 






「あら、どうしてそう思うのかしら?」

 俺の言葉にダースは微笑む。
 理由を訊ねるその声には、どこか冷たい色があった。
 まるでこちらを殺さんとするような敵意を向けたそれに、固い唾を呑み込む。しかし出てしまった言葉は、もう戻らないのだ。俺は真っすぐに受け止めて、

「理由はいくつかあるけど――」

 そう切り出した。

「一番おかしいって思ったのは、ミレイが誘拐された時だよ」
「……そう。あの時、私も怪我をしていたけれど?」

 ダースは首を傾げる。
 そんな彼に向かって俺は、深呼吸1つ、こう続けた。

「怪我をしていたとかは関係ないんだ。おかしいんだよ。敵がわざわざ、ミレイをどこに連れ去ったかを話すわけがない。それなのに、ダースはミレイがどこに連れ去られたのか、断言してみせた。事実そこにミレイはいた。けれどもそれを知っているってことは、つまり――」

 俺は拳銃を取り出し、こう宣言する。


「内通者以外に、あり得ない」――と。


 凶器を向けて。
 ダースは笑みを崩さずにそれを聞いていた。
 なるほどね、と。小さく頷いてから、こう言った。

「たしかに、その可能性はあり得るわ。私が御堂財閥に情報を流していたかもしれない。――でもね、ミコトちゃん? こうとも考えられないかしら」
「……それは、どういう意味だ?」

 余裕を持った声色で、彼はそれを口にする。


「私はあえて御堂に情報を流した――『スパイ』だ、ってね?」


 そして、それは俺に迷いをもたらした。

「どういう、ことだ……?」
「ここまでバレてるなら、もうハッキリ言うわ。ミコトちゃんの言う通り、御堂に情報を流したのは――他でもない、私よ」
「………………」

 沈黙していると、ダースはさらに続ける。

「私は御堂財閥と『イ・リーガル』の反体制派が、繋がっている情報を得ていたの。そして、そこに大きな金の流れがあることも掴んでいた。だから――」
「あえて、ミレイを危険な目に遭わせた、ってのか!」
「それは申し訳ないことをしたわ。あそこまで相手が早く動くとは、思っていなかったの。でも、結果として御堂財閥から反体制派への金の流れは止められた」
「結果論じゃダメだろ! 彼女の命がかかってるんだぞ!!」
「………………」

 彼の主張に俺は声を荒らげた。
 信じられない。そんな危険を冒すなんて、信じられなかった。
 何よりも守らなければならない女の子の命を、組織を守ることと天秤にかけるなんて。少なくとも、俺には思いつきもしない考えだった。

 俺の怒りにダースは沈黙する。
 そのままの状態で、しばしの間が生まれた。

 どれほどの時間をそうやって過ごしただろうか。
 不意に、ダースはこう言った。

「ミコトちゃんは、ミレイお嬢様のことが好きなのよね?」

 それは、あまりに場違いな質問。
 俺は思わず呆気に取られて、銃を下げてしまった。

「私はね、実はボスのことが好きなの。心から敬愛している」

 それを見て、彼はこちらに歩み寄りながら語り始める。

「だから、そんな方の娘であるミレイお嬢様を殺めるなんて、できないの」

 ダースは、俺の手から銃を取った。
 そしておもむろに、自らの側頭部に銃口を突き付ける。

「これは、絶対の忠誠よ。でも、もしそれが間違いなのだとしたら――」


 彼はまた、優しく微笑んで引き金に指をかけた。



「私はここで退場するわ」



 目を疑った。
 俺には分かった。
 彼が本気なのだと、俺には分かった。

「ダース……!?」

 何故なら、彼の寿命が一気になくなっていったのだから。




 一発の銃声が、体育館裏に鳴り響いた。




 心臓が張り裂けんばかりに、脈打っている。
 呼吸が荒くなっていた。
 ダースは……。


「あらら。うふ、冗談に決まっているじゃない?」


 俺に腕を押さえ付けられながら、そう笑った。
 そんな彼を見て、俺は――。

「馬鹿か!? 冗談じゃなかっただろ! 何考えてるんだ!!」

 怒りを吐き出した。
 間違いなく、ダースはここで死のうとしていた。
 こちらが止めに入らなければ、間違いなく、命を絶っていたのである。

「ここまでしないと、ミコトちゃんは信用しなさそうだから?」

 首を傾げるダース。
 そこには、いつもの笑みが浮かんでいた。
 全身に冷や汗をかいている俺とは、まるで真逆。涼しい顔だった。

「でも、これで信じてもらえるかしら」
「…………分かったよ」

 大きく肩を落とす。
 銃を受け取って仕舞うと、思い出したようにダースはこう言った。

「あぁ、そうね。ミコトちゃんには、これを渡しておこうかしら」
「ん……? なんだ、これ。写真……?」
「えぇ、私とボス。それと――」

 懐かしそうに、目を細めながら。

「ミレイお嬢様の、お母様よ」

 受け取った写真に目を落とすと、そこには仲睦まじい3人の姿があった。
 肩を組んで、本当に幸せそうに……。

「……はぁ。本当に、お前はバカかよ」

 俺は思わずそう漏らした。
 最初から、この写真を見せれば良かったのに、と思う。
 これほどまでに、幸せな関係を見せられたらすぐに、信じたはずだった。

「うふふ。これはね、他の人には絶対に見せない宝物なの」

 それでも、ダースはそう笑う。
 なんだろうか。肩の力が、一気に抜けていく感があった。

「そう、ね。ミコトちゃんには伝えておこうかしら――」


 だが、その時。
 おもむろに、彼は俺の耳元で囁くのだ。
 そして、それは――。






「アレンの動向には、注意しておきなさい」






 俺の身体を凍らせるには、十二分なものだった。


 






 ――アレンの動向に注意しなさい。
 俺の頭の中では、その言葉がぐるぐると回っていた。
 ダースの可能性も捨てたわけではないが、それでもあの行動と寿命の変化を見れば、その線は薄いと考えるのが普通。そのため、身近な誰かというのがアレンになるのも、自然な推測だと思われた。思われるのだが……。

「なんだ、この違和感は……」

 どうしようもない、違和感が拭えなかった。
 仲間を疑いたくはないという気持ちが先行しているのか。それとも、あのような拷問を受けていたアレンを、そしてハジメを殺した彼を疑うことへの疑問なのか。
 考えれば考えるほどに、思考は泥沼の中に沈んでいった。

 ならば『裏切り者』がいるということさえも、嘘なのではないだろうか。

「いや、それはない」

 そこまで考えてから、仕切り直すように俺は首を左右に振った。
 何故なら、あの状況でアカネが嘘をつくとも思えないから。虚言を口にしたところで、アカネに旨味などないのだ。だから、彼女の忠告は重要な情報だった。

 そうなると『スパイ』であるダースを『裏切り者』と称したのか。
 つまりは、アカネの勘違いだ。

「………………」

 だがそれも違うように思われた。
 それとなると、ダースの口にした言葉の意味が分からなくなる。

 だとすると、つまり――。


「――だーっ!? どういうことだよ!!」


 そこで俺の脳みそは悲鳴を上げた。
 教室内の飾りつけをしながら、俺はついついそう叫ぶ。

「いや、お前がどういうことだよ」
「…………すまん」

 すると、隣で作業をしていた田中にツッコまれた。
 肩を落として謝罪する。すると、

「お前、さっきからブツブツ何か言ってたけど、疲れてるんじゃないか? ここは俺がやっておくから、あっちで休んでこいって。ずっと働き詰めだろ」
「……うい。そうする」

 そう提案されたので、素直に従うことにした。
 学園祭の準備は大詰めを迎えており、いよいよ高校に寝泊まりしての作業である。一部の生徒と交代で、今日は俺とミレイ、そして田中などが参加していた。

 というか、俺に至っては毎日なのだが……。

「それなら、心配されても当然か」
「お疲れ様です。ミコトくん! お茶をどうぞ」
「あぁ。ありがとう、ミレイ。そっちも今、休憩か?」

 さて、廊下に出て休憩用の椅子へと向かうとミレイと遭遇した。
 俺の表情を見た彼女は、すぐに飲み物を提供してくれる。

「はい、そうです。衣装の方は、あと少しで完成しそうです!」
「そっか、お疲れ様!」

 受け取って、嬉しそうに答える少女を見ていたら、なんだかこっちも嬉しくなってきた。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でる。
 幸い他の生徒は作業中らしく、廊下には俺たちしかいない。
 共に椅子に腰かけると、ミレイは自然とこちらに身を預けてきた。

「ふふふっ。なんだか、不思議な気持ちになりますね……」
「……そう、だな」

 ふわりと香るシャンプーのそれに魅惑されながら、俺は短くそう答える。
 すると彼女は嬉しそうに、しかし静かにこう続ける。

「こんなに楽しいのは、本当に初めてです」

 それは心の底からの言葉だと、俺には分かった。
 ミレイにとって、普通の学生らしく過ごすことがどれほど貴重なのか。
 そのことを一番知っているのはいま、もしかしたら俺だけなのかもしれない。いいや、アレンやダースも分かってるとは思うのだが……。

「ぜーんぶ、ミコトくんのお陰です」

 きっと、この時を過ごせるのは俺だけだから。
 彼女の眠気を誘うような甘い声色に、同調するように頷いた。

「ミレイも普通の女の子だもんな。それを俺は、知ってるよ」
「ありがとうございます。ミコトくん……」
「いいや、こちらこそ」

 静かに時が流れていく。
 こんな時間をあと、どれくらい享受できるのだろうか。
 俺は自分の寿命のことを思い出す。体育祭のあとに確認したそれは、残り5年を示していた。だが昨日の夜に見ると、また短くなっていて――。








「あと、半年――か」








 さすがに、少しだけ肝が冷えた。
 このように幸せな時間も、あと6か月を経過すれば消滅する。
 その後はどうなるのだろうか。ミレイは、果たして無事なのだろうか。どうにもそれだけが気がかりで、不安になって泣きそうだった。

 でも、だからこそ。
 いまできる最大限を、ミレイのために使おう。
 毎夜のように悩むのだが、最終的な結論はいつも同じだった。

「なぁ、ミレイ?」
「どうかしましたか、ミコトくん」

 そう考えていると、自然と俺は――。

「……いいや、なんでもない」

 しかし俺は寸前で、言葉を呑み込んだ。
 きっと、この言葉は口にしてはならないと、そう思ったから。
 もしかしたら、半年後にはミレイを苦しめる言葉になりかねなかったから。

「むぅ……」
「ん? どうしたんだよ、ミレイ」

 と、考えたのだが。
 なにやら、俺の肩に頭を乗せた彼女は不満げにうなった。
 その理由がまったく分からずに、俺は首を傾げる。すると――。




「ミコトくん、いけずです……」




 上目遣いに、潤んだ瞳でこちらを見て。
 熱のこもった声色で、ミレイはそう言った。

「へ? ――え?」
「……ここから先を、女の子に言わせるんですか?」

 膨れっ面になって。
 そんな文句を口にするのだった。

「え、いや――ごめんなさい?」
「もういいですっ!」

 反射的に、意味も分からずに謝罪する。
 でも、少女はそれで満足できなかった様子だった。
 ミレイはまるで子供みたいにいじけて、そっぽを向いてしまう。チラチラとこっちを覗きながら、なにか言葉を待っている様は小動物のようで、可愛くもあった。

 でも、今はそれを楽しんでいる場合ではない。

「なぁ、ごめんって。ミレ――」

 早く機嫌を取らなければ、と。
 そう思って、彼女の肩に触れようとした時だった。

「――――――!?」

 息を呑んだ。
 また、ミレイの寿命は――。


「おーい、坂上。そろそろ休憩終わりにしてくれないかー?」
「なっ――――!?」


 いいや違う。
 今回は、話が違った。

「ん、どうしたんだ? 坂上」
「ミレイ、だけじゃない……!?」

 俺は田中の頭上を見て、驚愕する。
 そう。何故なら――。


「もしかして……!」


 俺は慌てて、手鏡で確認した。
 そして、



「なんだよ、これ……!?」



 思わずそう口にする。

 またもや大きくミレイの寿命は短縮されていた。
 だが今回はそれだけではない。


 教室内に駆け込む。
 それで、予感は確信に変わった。


「……嘘、だろ?」


 ミレイだけじゃない。
 俺も、田中も、クラスメイトも。
 その全員の寿命が、まったく同じ時を示していた。

 






 俺たちの寿命は学園祭の当日、その終わり頃だった。
 なにが起きるのかは予想もつかないけれども、ただ一つ確信をもって言えることがある。それは『イ・リーガル』の反体制派が関与している、ということだった。
 最初は災害関係の線も疑いはしたが、他のクラスの生徒などの寿命は変化していない。そうとなれば、やはり組織が動いている可能性が高い。

 それが、俺の導き出した答えだった。

「それとなると、警戒するのは――」

 俺は寿命の変化を確認したその日から、行動を開始した。
 なにかと問われれば、監視だ。誰を監視するのか、と問われれば――。

「やっぱり、アレンだよな」

 ダースの可能性が低くなった以上、アレンを見張るというのが普通だろう。
 そんなわけで俺は彼の動向を追っていた。だが、しかし……。

「結局、不審なところは今日までなかったか……」

 学園祭の当日を迎えるまで、アレンが怪しい行動を取ることはなかった。
 もしかしたら、今回のことには関係ないのかもしれない。
 そう思い始めた時だった。



「それじゃ、行ってくるよ」
「行ってきますね、アレン」

 俺はいつも通り、公園でミレイのことを預かる。
 適当に言葉を交わして、その場を後にしようとした。すると、

「……待て、ミコト」
「ん……?」

 突然に呼び止められる。
 振り返ると、アレンはどこか考え込むようにしていた。
 その姿に思わず首を傾げてしまう。いったい、どうしたのだろうか。普段ならばこのように声をかけてくることはなかった。
 もしかしたら、俺たちの寿命について、有益な情報だろうか。
 そんな期待が僅かに生まれた時だった。


「学園祭、オレも行くからな」


 ピリッとした緊張が、肌を刺す。
 そして直後に、目を疑う結果となった。

「アレンじゃ、ないのか……?」

 震えた声で、俺はそう呟く。
 それが分かった理由は、一つしかなかった。
 アレンの頭上にある数字が、俺たちのそれと同じ時刻に切り替わったのだから。


◆◇◆


「だとしたら、誰なんだ……?」

 学園祭開催直前、俺は1人でポツリとそう漏らした。
 最後の最後、書類関係の処理を行っているのだが頭に入ってこない。これまでの予想と対策が、完全に水の泡となったのだから、仕方のないことだろう。

 しかしここで終わりというわけではない。
 アレンの寿命が短縮されたということ、それは彼へひとまずの信用を寄せても良い、ということを示していた。もっとも、全幅の信頼、というわけにはいかないが。それでも、自らの死を選ぶような作戦を決行するなど――ゼロではないが、可能性は低い。

 そうなってくると、今回は身内以外の行いである可能性が高かった。
 それこそ、体育祭の日に起きた事件のような。

「そういえば、あの時の男を殺したのは――口調からして、女か?」

 俺はふと思い出した。
 そういえば何かを被っているのかくぐもったそれだったが、相手は女である可能性が高かった。もっとも決めつけることは危険だが、それとなると……。

「ダースとアレンは、限りなく白に近い……か?」

 顎に手を当てて考え込む。
 そうなってくると、また色々と再考しなければならない。
 面倒なことになってきたな、と。一つ大きくため息をついた、その時だ。



「ミコトくんっ! 見てくださいっ!!」



 更衣室の方から、明るいミレイの声が聞こえてきたのは。

「ん、どうした? ミレ――」

 俺は重たくなった頭を持ち上げて、声のした方を見た。
 そして……。


「ぐはっ…………!?」



 完全にノックアウトを喰らった!
 今まで考えてきたこと、すべてが遠く彼方へホームラン!

「どうですか? 似合ってます?」
「いや、あの、うん……似合ってりゅ……」

 呂律が回らない。
 それほどまでの破壊力だった。

 だって、ミレイのミニスカメイド姿だぞ!?
 しかも猫耳付きで!!

 ふわふわなフリルをふんだんに使用したスカート。
 彼女が動くたびに、宙を舞う。

 駄目だ、上手く表現できない。
 鼻から血が出てきた……。

「えへへっ! ミコトくんには、一番にお見せしたかったのです!」
「あ、ありがとう……」

 俺はティッシュを鼻に突っ込みながら、サムズアップ。
 何はともあれ、致命傷で済んだ。仰げば尊死、とならなくてよかっ――。



「いいえ、お褒めいただき感謝なのです! ――『ご主人さま』!」



 そこからしばらく、俺の記憶はない。


 






 さて。短い気絶から目覚めると、いよいよ営業開始だ。
 俺は受付と客引きを担当していた。いまのところ、問題らしい問題も起きていないので、順調といっていいだろう。
 ミレイも楽しそうに仕事をしているし、文句なしだ。
 そして時刻も12時に近づいて、いよいよ客の数も増えてきた頃合い。

「やぁ、我が親友よ。赤羽さんは指名できるかな?」
「残念ながらお客様、当店は指名制ではございません。そして、勝手に親友にしないでいただきたいのですが、言っても聞かないのは分かっています」
「ははは! ミコトっちも、最近ではなかなか話が分かるようになったじゃないか! ボクは一人の先輩として、嬉しいことこの上ないよ」
「うるせぇ、黙れ。いい加減にしないと、頭撃ち抜くぞ」

 タイガがやってきた。
 意気揚々と、ミレイへの贈り物であろう花束を手に。
 俺は思いっ切り入店拒否をかまそうと思ったが、どうにもコイツは女子人気が高いとのこと。それを考えると、俺が対応を間違えればミレイの友人関係にも影響が出かねなかった。そんなわけで、不承不承ながら店内に案内する。

「お、おぉ……! これは、まさしくヘヴン!」

 すると、タイガは大仰にそう言うのだった。
 たしかにメイド喫茶というものは、比較的田舎なこの街にはない。そのことを考えれば、女好きであろう彼が歓喜するのは道理と思われた。
 まぁ、喜んでもらえること自体は、悪い気はしない。

「それで、どんなオプションがあるのかな?」
「女子に少しでも触れたら、その手を切り落とすからな。マジで」

 ――でも、絶対にミレイには接客させないからな……!?
 俺は大きくため息をついて、ひとまずこの変質者を席に案内した。
 彼のファンらしき女子に接客は任せて、再び受付に戻る。その途中で、聞き覚えのある男性の声が聞こえてきた。なにやら、店の外で揉めているようだが……。

「って、アレは――」

 俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
 そして、何やら小太りな男性を外国語で罵っている人物に話しかける。

「なにやってるのさ、アレン……」

 その人――アレンは相手の首根っこを掴んだまま、こちらを振り返った。
 彼は俺を認めると、小さく頷く。そして、

「あぁ、ミコトか。少しこの男の挙動が怪しかったのでな、詰問していたんだ」
「いやいや。平和な学園祭で、キナ臭いことしないでくれな?」
「だが、この男のスマホを確認してみてほしい」
「スマホ……?」

 俺へと男性のスマホを放り投げてきた。
 すると、顔を真っ青にする男性。その様子を見て、俺も違和感を覚えた。
 なので若干の罪悪感はあったものの、スマホを起動させてみる。どうやら直前にカメラを使用していたらしい。そんなわけで、撮ったものを見てみると……。

「………………盗撮、ね」

 そこにはミレイの写真がズラリ、と。
 中には、下着が見えそうな角度のものもあった。

「ち、違うでゴザルよ!? せ、拙者は依頼されただけで――」
「盗撮の依頼って、なんだよ。てか、否定はしないんだな」
「ほ、本当でゴザル!! まずは話を――」
「なぁ、ミコト。少しいいか?」
「ん? どうした」

 男性の弁明を無視していると、アレンが声をかけてきた。
 見ると彼は懐に手を突っ込んでいる。そして、



「日本でなら、盗撮の現行犯を殺しても構わないよな?」



 ポツリ、そう言った。


「どの国でも駄目だと思うよ!?」


 俺は思わず声を上げてしまう。
 いや、この盗撮犯を擁護するつもりではないが。
 それでも事を荒立てる必要はない。適度に、爪を一枚ずつ剥ぐとか、その程度の私刑で構わないと思われた。なので、ひとまずアレンに落ち着くよう言う。

「まぁ、その男の処遇はミコトに任せよう」
「あー、うん。とりあえず担任の先生に任せてくるから、待ってて」

 すると、意外と素直に従ってくれた。
 俺は職員室へ出向き、先生方に事情を説明して男を預けることにする。だがその道中で、何やら男は不思議なことを言っていた。

「拙者が撮ってたのは『女の子だけじゃない』でゴザル……」――と。

 ――いや、それ認めてるじゃん。
 俺は心の中でツッコみを入れたが、どこか違和感も抱いていた。

「女の子『だけじゃない』って、どういう意味だ?」

 職員室に男を任せてから、頭を悩ます。
 なにか、大きな見落としをしているような気がした。



「少し、調べてみるか」


◆◇◆


「ミコトくん、どうしたんです?」
「いや、ね。ちょっとばかり気になっていることがあって……」

 俺は教室に戻ると、少しだけ客払いをしてから調査を開始した。
 調べるのは、あの男が撮っていた写真、そこに映しだされていた場所。気のせいかもしれなかったが、クラスメイトおよび俺たちの寿命が、一向に戻らないのも問題だった。

 もしかしたら、もしかするかもしれない。
 最悪のケースを想定しながら、慎重に記憶を手繰っていった。すると――。


「マジかよ……」


 本当にあった。
 みんなの寿命を縮めていた原因が。

「ミコト。これって、もしかして……!」
「あぁ、そうだな。十中八九、その予想通りだと思う」

 アレンも俺の手元を覗き込み、眉間に皺を寄せた。
 彼に同意して、俺は固い唾を呑み込む。そして、思わずこう漏らした。


「時限爆弾なんて、映画の中だけにしてくれよ……」


 刻一刻と進む、タイマー。
 そこからは配線が伸びており、黒い塊に繋がっていた。

「ミコト。ここは任せろ、爆弾の解体なら覚えがある」

 冷や汗を流すこちらに、アレンはそう告げる。
 それなら安心だ、と。俺は彼に、

「あぁ、それなら任せ――」
「動くな! 全員、その場に伏せろ!!」
「なっ――!?」

 委ねようとした、その時だった。
 黒い服に目出し帽を被った集団が、教室の中に雪崩れ込んできたのは。そしてその集団のリーダーらしき者が、声高に宣言するのだった。



「この場所は、我々『イ・リーガル』が占拠した!」――と。