――すぐ傍に、裏切り者がいる。
 俺の耳に張り付いて離れないその言葉は、学校生活が再開しても残っていた。
 考えたくはない。それでも、ミレイの命にかかわる情報だった。だとすれば決して、無視できる情報ではない。だからこう、クラスメイトも敵に見えて……。

「ミコトくん。どうしたのですか? すごく、怖い顔してます」
「……え。あぁ、ごめん。考え事してた」
「考え事、ですか?」

 と、そう考えているといつの間にか休み時間になっていた。
 隣の席に座るミレイが、心配そうにこちらを覗きこんでくる。小首を傾げて上目遣いに。いま最も不安であろうはずなのに、彼女はやはり、彼女だった。
 そんな少女に心配をかけないように、俺は話題を提供する。

「あぁ、そうだな――もうじき学園祭だろ? クラスの出し物、なにかなって」

 それはまさしく、ミレイの食いつきそうな話だった。
 彼女は普通の学生生活に憧れていたのだ。だからこういう風に言ってあげると、ぱっと表情を明るくする。そして、ニコニコの笑顔になって頷くのだった。

「楽しみですね! 私、こんな催しに出るの初めてなのです!」
「ははは、ホントに楽しみだな」

 その笑みに釣られて、俺も笑う。
 でも、心からの言葉だった。以前の俺なら、学園祭なんてリア充のイベントだ――滅んでしまえ、と思っていたに違いない。
 それでもミレイのこの喜びようを見ていると、そんな気持ちも引っ込んだ。

「ミレイは何がしたい?」
「そうですねぇ、色々ありますけど――」

 うーん、と。
 人差し指を唇に当てて、彼女は考え込んだ。
 そうしていると、どこか聞き覚えのある声が届いた。


「もちろん、キミたちのクラスは『メイド喫茶』に決まっている!」――と。


 声のした方を振り返った。
 そこにいたのは――。


「き、貴様はまさか……!」
「ふっ、驚いているようだな我がライバルよ!!」


 タイガだった。
 彼は格好つけて構えながら、最後は髪を掻き上げる。
 しかし、俺はそれに対して……。

「いや、そんなに驚いてない」
「急に冷めた対応するのはやめてくれ! 友よ!!」
「いつから友になったんだよ。ライバルはどこに行ったんだよ」

 淡白にツッコみを入れた。
 するとタイガはショックを受けて涙目になる。
 ――が、すぐに気を取り直したのか。一つ息をついてこう言った。

「こういった際には、メイド喫茶だと相場が決まっているだろう?」
「どこの相場だよ。さては、最近ラブコメにハマってるな、貴様」
「ふふ。そこに気付くとは、さすがは我が盟友だ……!」
「どんどんグレードアップしていく……!?」

 いやいや。
 こんな馬鹿なやり取りをしている場合ではなかった。

「……それで、どうしてメイド喫茶?」

 俺が訊ねると、おもむろにタイガは肩に腕を回してくる。
 そして、ミレイには聞こえない小声で熱っぽく語った。

「キミは見たくないのか? ――赤羽さんの、メイド姿が!」
「そ、それは……っ」



 ――――見たいっす。



 いや、もうね?
 そんなの見たいに決まっているじゃないですか。
 好きな女の子のメイド姿。ヲタク男子としては夢ですよ、たぶん。

「い――いや、しかし。無理矢理に着させるわけには……!」

 だが、そこで自制心が働いた。
 そんな時だ。俺の耳元で悪魔が囁いた。

「逆に考えるんだ。無理矢理だからこそ、いいじゃないか、と!」
「…………っ! タイガ、お前!」

 全身に電流が流れる。
 驚いて見れば、そこにはタイガのしたり顔。

「ふふん。その目は、どうやらイメージが降りてきたようだな」

 彼は俺の表情すべてから感じ取ったらしい。
 俺の、敗北を……!

「くそっ、そんな誘惑に勝てるわけねぇじゃないか……!」
「いいや。友よ、これは敗北ではない」
「タイガ……?」

 こちらが肩を落としていると、それを励ますようにタイガは言った。
 そう、これは勝ち負けではなく――。



「大いなる、第一歩だ」――と。



 俺はこの時に初めて、九条大我という人間を人生の先輩だと思った。
 覚悟を決めて立ち上がり、ミレイの方を見て、

「ミレイ、いいかな?」
「はい……?」

 ゆっくりと、こう提案した。




「メイド服、着てくれるかい?」




 真っすぐに、円らなその瞳を見つめて。
 すると彼女はどこか、恥じらいを見せながらこう答えた。



「………………はい」



 消え入るような、そんな声で。


 俺とタイガは無言で向き合い、手を掲げた。
 そして、力強くハイタッチを交わすのであった……。