寿命の見える少年と幸薄少女、硝煙の香り。







 普通に考えれば、マフィアの関係者を捕まえたら然るべき機関に任せるのが筋だ。しかし、俺がダースに告げられたのは予想だにしない場所。
 御堂邸――すなわち、アカネの家だった。

 この街の中でも最も有名な一族。
 それも当然だ。世界的に名を馳せている財閥なのだから。
 実際に見たことはなかったけれど、その華麗なる一族が住まう家は豪邸と呼んで間違いないものだった。いいや、外観は西洋の城に近い。
 門の前には警備員のオジサンが、さながら門番のように立っていた。

 ここだけが異世界だ、と。
 そう言われても納得できる場所だった。

「どうして警察――国に任せないんだ?」

 草葉の陰から門を睨み、俺はそう呟く。
 さっきも言ったが、そのような危険な団体を捕らえたなら相応のところに任せるのが当たり前だと、そう思われた。娘の誘拐を企てていると知っていたなら、なおのこと。しかし、御堂家の特殊部隊は自分たちから攻勢を仕掛けて、ミレイを連れ去った。

 考えれば考えるほど、違和感だらけだ。
 やってることが逆だった。これでは、まるで……。



「やっぱり、きましたのね」
「へ……?」



 あれ、なんか背後から聞き覚えのある声が。



「…………なんで、ここにいるんすか?」
「わたくしの家の前ですよ。いてもおかしくはない、そうでしょう?」



 振り返ると、そこにいたのはアカネだった。
 彼女は小声でそう口にすると、スッと俺の隣にやってくる。

「いやいやいやいや。ここは、そういう場面じゃないでしょ?」
「場面……? なにを言っていますの」
「なんでもないです」

 俺が思わずツッコみをいれると、眉間に皺を寄せてそう言われた。
 怒っているような声に、つい引き下がってしまう。
 仕方ない。今は流すとしよう。

「……で? どうしてアカネが、こっちにいるんだよ」

 咳払い一つ。
 俺は単刀直入に本題へと入った。
 するとアカネは、少し悩んだような素振りをしてから答える。

「わたくしも、おかしいと思っていましたの。殺害予告があったのが、体育祭の前でした。それなのに、国はおろか警察にも届を出さないのです」
「それは、親御さんが……ってことか?」
「えぇ、そうですわ」

 確認すると、それを肯定するアカネ。
 俺はその異様な対応に、さらに大きな疑問を抱いた。
 やはり、この事件はおかしいのだ。なにかが、普通でないなにかが動いている。そう考えなければ辻褄が合わない、そう考えられた。

 もしかして、すべてが仕組まれている……?

「いいや、決めつけるな。考えるんだ」

 俺は決まり文句を口にする。
 思考を巡らせ、様々な可能性を探した。
 しかし、今回ばかりはこれ以上の結論は導き出せない。

「ミコト。貴方に改めて、護衛を命じますわ」
「……アカネ?」

 考え込む俺に、アカネはそう言った。
 それは再度、ここで共同戦線を張ろうというそれ。
 俺は少し悩むが、一つ頷くのだった。これが今できる最善策のはずだ。

「分かった。でも、一つだけ条件がある」
「条件? なんですの?」

 こちらの返答が予想外だったらしい。
 彼女はほんの僅か、目を見開いてそう言った。そんなアカネに俺は、



「絶対に、死ぬな。それは――俺が許さない」



 一言、そう告げる。
 真っすぐに、その勝ち気な目を見つめ返して。
 小指を一本立てて、約束しろと、そう迫るのだった。

「……ふふっ!」

 そうすると、アカネは口元を隠して笑い始める。
 次第にそれは大きくなり、静かな空間に、ちょっとだけ残響した。なんとか堪えて、彼女は同じように小指を出して答える。
 反対の手で、目元に浮かんだ涙を拭いながら。

「面白いですわね、貴方は。『あの時』から変わっていませんわ」

 そう言って、指を軽く絡ませた。


「分かりましたわ。絶対に死にません――約束です」


 強い眼差しを向けて、アカネは微笑んだ。
 俺はそれを心強く思う反面、責任感を抱いていた。何故なら――。

「では、行きましょう。裏口に案内しますわ!」
「あぁ、分かった」

 アカネに従って、進んでいく。
 その最中にも、俺は彼女の頭上から目を離せないでいた。




 ――あと、2時間。
 アカネの寿命は、さらに短縮されていた。


 






 裏口から御堂邸に侵入すると、すぐにその物々しい空気に気付いた。
 違和感と呼べばいいのか、俺はそれをアカネに確認する。

「いつも、こんなに人がいるのか?」
「そんなわけがありませんわ。わたくしを誘拐する話が出た時も、ここまでの警備ではありませんでした。これではまるで、奥に何かがあると言っているようなものですわね……」

 自身の家の異変に眉をひそめた彼女を隣から見て、俺は顎に手を当てた。
 そして、少しばかり思考を巡らせる。

「ということは、ダースの情報は正しかった、ってことか」
「ダース……? どなたですの、それは」
「仲間だよ、俺のな」

 だが、すぐにやめた。
 いまはミレイを助けることに集中しよう。
 きょとんとしたアカネに短く答えて、俺は前を向いた。長く続く廊下にいる黒服を数える。目視で分かるのは、3~4人といったところか。
 いや、本当に注意すべきなのは人の視線よりも……。

「なにか、こう……赤外線の探知機とかって、あるのか?」
「ありますわよ。当然ではありませんか」
「いや、当然じゃねぇよ」

 危ないところだ。確認しておいてよかった。
 あるのが当たり前と思っている彼女が、それをわざわざ忠告することはない。一般家庭の常識が通じる場所ではないことを、改めて頭に叩き込んだ。
 ここはそうだな、海外映画の中の世界だと思っておこう。

「しかし、そうなると……」

 俺は考えながら、小さくそう漏らした。
 なにかしらの策がないと奥にも進めない、ということになる。
 そうなると、だ。やはりこの家の内部に詳しいアカネに頼るのが、最善手だろう。そう思って、周囲を警戒しながら彼女に問いかけた。

「探知機の類がないルート、ってあるのか?」
「ありますけど、警備が固まっているでしょうね」
「だろうな。でも、さっきから何も言わない、ってことは――アカネも探知機の止め方とか、知らないんだろ?」

 俺の言葉に、アカネは小さくなる。

「そう、ですわね。申し訳ないですが……」
「じゃあ、決まり。そうなると、見つかるのは時間の問題。つまり――」
「ミコト? 貴方、もしかして馬鹿なこと考えたりしてませんわよね?」
「馬鹿なことじゃねぇよ。考え得る中で最善の手だ」

 こちらの考えを読んだのか、唖然として訊いてくる彼女に俺は笑いかけた。
 怖いとか、そんなこと言っていられないのだから。
 だからハッキリと、こう宣言した。



「強行突破、これしかない。最短ルートでな」――と。


◆◇◆


「本気ですの……?」
「ここまできて、尻込みなんて出来ないだろ?」
「そんなことを訊いてはいません! 我が家の特殊部隊は、それぞれ武道のエキスパートが揃っています。そんな中に飛び込もうだなんて、正気の沙汰では――」
「大丈夫だって。こっちには、これがある」

 廊下を進みながらも、反対してくるアカネ。
 そんな彼女に、俺は懐からある物を取り出して示した。

「貴方、そんなものどこで……!?」
「託されたんだよ。仲間からな」

 それは、一丁の拳銃。
 弾は計6発。心許ないが、仕方ない。
 そしてこれを見て、アカネは一つの結論に至ったらしい。

「やはり貴方も、赤羽ミレイも――『イ・リーガル』の関係者、ですのね」
「……………………」

 これ以上は隠しようもないだろう。
 それに、これは彼女の問題でもあるのだから、隠す方が危険だった。俺はそれを首肯して、これからどうするかを訊ねる。
 するとアカネは一つ、ため息に近いものを漏らしてこう答えるのだ。

「ミコトに協力しますわ。どうやら『イ・リーガル』というのも、一枚岩ではない様子ですし。それよりも、そんな組織と御堂財閥がどんな関係なのか、そちらの方が余程わたくしにとっては重要ですわ」
「ははは、ずいぶんと威勢の良い令嬢さんもいたもんだな」
「狂っている貴方に言われたくありませんわ……」
「…………?」

 彼女の言葉に思わず笑うと、何やら白けた表情を向けられた。
 なんで……? 俺、なにか変なことしてるか?

「……っと。さすがに人が多くなってきたな」
「奥――おそらく、赤羽ミレイが拘束されているのは金庫ですから。この警備の数を見ると、予想通りですわね」
「それじゃ、ちょっとばかり確認……」
「なにをしてますの?」

 アカネの不思議そうな顔を尻目に、俺は鏡で自分の寿命を見た。
 そして、廊下の先にいる――5人の黒服のそれも見る。
 なるほど、これなら……。

「それじゃ、ちょっと行ってくる」
「ミコト……!?」



 俺はまるでコンビニに行くような気楽な声で言って、黒服の前に姿を晒した。
 一直線に駆け出して、彼らのもとへと迫る。



「なっ……!!」

 すると、想定外だったのか一番手前の男が短く声を上げた。
 しかしエキスパートと言われるだけあって、とっさに身構えようと試みる。――が、こちらの方が一手先を行っている!

「――――――――っ!」

 懐に飛び込むと、俺は思い切り一人目の顎を掌底で打ち抜いた。
 素人とはいえ、手加減なんてなしの一撃だ。軽い脳震盪を起こした男は、膝から崩れ落ちる。でも、これで終わりではなかった。
 最小限の動きで倒したものの、残りの4人には気付かれてしまう。
 彼らは俺を見ると、各々に行動を起こした。

 4人のうち3人は、ナイフを持って迫ってくる。
 そして、最後の1人は奥で銃を構えた。

「迷うな……っ!」

 俺はすかさず銃を取り出し、反動に備えつつ構える。
 頭ではない。狙うのなら、彼らの胴だ。それならまったくの素人である俺でも、外す可能性は多少低くなるはずだった。

「これでも、ゲーセンの成績は良いんだよ……!」

 トリガーを引く。
 すると、4発放ったうちの3発が命中した。
 1人目は手首に、2人目は太ももに、そして3人目はつま先に。彼らはまさか当たると思ってなかったのだろう。突然の痛みに、うずくまった。

 しかし、相手が動けなくなったことを確認している暇はない。
 俺は次に奥の1人へ向かって駆けだした。すると、相手は狙いを定め――。


「――死ね、ガキが!」


 躊躇なく、撃った。
 だけど俺は、それに驚くことはない。
 そして足も止めたりはしない。真っすぐに、男へ向かって――!




「なっ!?」
「悪いな、俺の寿命はまだ先なんだよ!!」




 銃弾は、俺の頬を掠めていった。
 確実に殺したと思っていたらしい黒服は、瞬間の隙を見せる。
 その刹那に――。



「がはっ……!」



 俺は男の右肩を撃ち抜いた。
 銃を奪い取って、その頭に突き付ける。
 これで、生涯初めての銃撃戦は終わりだった。

「よし……! もういいぞ、アカネ!」

 男たちが動かないのを目視で確認してから、後方に控えた令嬢を呼ぶ。
 すると、彼女はこちらを見て一言こう口にした。



「何者ですの、貴方……」――と。


 





「――金庫は、この先ですわ」
「そっか。ところで、鍵はどうなってる?」
「普段なら閉まっていますけど、こればかりは行ってみないと……」

 俺たちは地下への階段を下りながら、小声でそう情報を共有する。
 先ほど倒した男たちからは情報を引き出せなかった。その代りといっては何だが、アカネがどこからか取り出した縄で縛る時に、武器をごっそりと奪った。
 ナイフに拳銃、そして驚いたのは手榴弾まであったこと。
 誤爆しないように気をつけながら持ち歩く。

「やっぱり、ここにもいるか。そりゃそうだよな……」

 音を殺すようにして進むこと10分弱。
 金庫があるという地下に辿り着くと、そこには先ほどと同様に黒服がいた。
 それでも、部屋が狭いこともあってか人数は2人。しかし今までと異なるのは、その男たちの体格だった。一目見て、近接戦では勝てないと分かる。
 もしかしたら、防弾仕様の何かしらを身に着けているかもしれなかった。

 そう考えると無策に突っ込むのは、あまりに下策といえるだろう。
 だとしたらどうするか。俺はふとアカネを見た。
 そして……。


「――――あ」


 ある秘策を、思いついた。


◆◇◆


「いや、まさか上手くいくとは思わなかったな」
「………………」
「それにしても、騙されやすい相手で良かった」
「………………」
「アカネもありがとうな。良い反応だったな!」
「………………」
「んー? アカネさん? どうしましたかー?」

 作業をしながら、俺は無言のアカネに問いかけた。
 すると彼女は小刻みに震えながら、涙目になって――。



「…………どうしましたか――じゃ、ありませんわよ!?」



 そう、叫んだ。
 地下室の中に響き渡る甲高い声。
 耳にキーンとくるそれに、俺は思わず身を縮めた。

「ど、どうしたんだよ。なにを怒ってるんだ……!?」
「怒るに決まっているでしょう!? なんの相談もなしに、あんなこと!!」

 そして目を白黒させながら訊ねると、そんなリアクション。
 どうやらマジで怒っていらっしゃる様子だった。

「いや、たしかに相談なしでやったのは悪かった! でも――」
「分かってますわよ! 本気だと思わせないと、意味ないですものね!?」

 がーっと、捲し立てるように。
 アカネはその綺麗な顔を般若のように歪めながら、詰め寄ってきた。どうやら『アレ』が最善の手だと理解しながらも、本気で怖かったらしい。

 まぁ、たしかに――。


「予告なし、人質作戦――ってのは、刺激が強かったか」







 俺はアカネの側頭部に銃を突き付けながら、男たちの前に立っていた。
 引き金に指をかけて、相手が少しでも動けば彼女を殺せる、そんな状態で。それを見た男たちは明らかに動揺していた。しかし、どこかまだ余裕もあるようにも見えた。その理由がなにかは、俺にも分かっている。

 なので――。



「ここまで、ありがとうな。アカネ」



 そっと、彼女の耳元でそう囁いた。
 すると今までキョトンとしていたアカネさん。
 一気に青ざめて、警備の男たちに向かって声を荒らげた。



「お前たち、今すぐここから立ち去りなさい!? わたくし、ここで死にたくはありませんわ!! ――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!?」



 それは真に迫った演技――ではなく。
 心の底からの、生への執着というやつだった。





 そんなこんなで、今に至るというわけで。
 アカネはげっそりとし、大きく肩を落としながらこう言った。

「冗談ではなく、寿命が10年は縮みましたわ……」
「あぁ、それは大丈夫。縮みようがないから」
「どういう意味ですの……」

 俺の切り返しに半眼で睨んでくる彼女。
 そんな視線を無視して作業を進めること、さらに数分ほど。まるで部屋の入口のようで、されど重厚な造りがされた金庫の扉に、手榴弾のセットが終了した。

「あとは、起爆するだけ――と」
「貴方、本当に肝が据わってますのね」

 俺が一つの手榴弾を手に額の汗を拭うと、アカネが疲れた声で言った。
 肝が据わってる、と言われても首を傾げるしかない。俺はあくまで、ミレイのことを救いたい一心で動いているだけだったから。

「そんなことどうでも良いから、離れよう。そうしないと、本当に死ぬぞ?」
「断 固 拒 否 致 し ま す わ !!」

 てなわけで、移動である。
 そして階段の中ほどから、俺は起動した手榴弾を一つ放り込んだ。



 すると、数秒の間を置いてから――。



「うおおおおっ!? 思ったよりもやべぇ!!」
「死にたくない死にたくない死にたくない!!」



 轟音が鳴り響いた。
 御堂邸全体が揺れたのではないかと錯覚する。
 それほどの衝撃だった。だが、どうやら上手くいったらしい。

「開いてる、な。よし行こう」

 金庫には、大きな穴が開いていた。
 俺は自分の寿命を確認して、慎重にその中へと足を踏み入れる。


 果たして、中にいたのは……。


「……ミコト、くん?」
「ミレイ! それに、アレン……!」


 寿命の短い、最愛の少女。
 そして、血まみれで意識を失ったアレンだった。


 







 俺は即座に金庫内部の状況を確認した。
 金品などはなく、5メートル四方の薄暗い空間が広がっている。爆破した入口から差し込む明かりで、ほんの少しばかり奥が見える、という程度だった。

 そこにミレイとアレンの姿がある。
 彼らは身を寄せ合って、しかしアレンの方はもう意識が朦朧としている様子だった。それでも先ほどの衝撃から彼女を守ろうとしたらしい。
 その身をミレイの前に投げ出していた。

「ミコト、か……?」
「アレン喋るな! ミレイは大丈夫だから、安心しろ!」

 掠れた声でこちらに話しかける彼を、俺は制止する。
 ミレイは大丈夫――嘘っぱちだ。何故なら現時点でアレンよりも、ミレイの寿命の方が圧倒的に短いのだから。しかし、彼の寿命も決して長いとは言えなかった。
 現状で一番、生存の目が大きいのは俺だ。

 ならば、俺にできることはなにか。
 考えるんだ。冷静になれ。この状況でまず、することは――!


「アカネ、アレンの治療を――」
「アカネ……? 御堂アカネ、か!?」


 傷の手当てが最優先。
 そう思ったのだが、どうやら地雷を踏んだようだった。


「きゃ……っ!?」


 さすがは素早い。
 傷だらけであるにも関わらず、アレンは即座に立ち上がるとアカネを拘束した。羽交い絞めにして、少し力を込めれば首の骨を折れる状態まで持っていく。
 アカネは短く悲鳴を上げて、身動きを取れなくなった。

 考えてみれば、こうなるのは必然にも思える。
 アレンも馬鹿ではない。敵の情報はある一程度、頭に入れているはずだった。その可能性を考慮しなかった俺の失策。

「ちっ……!?」

 腕時計で時間を確認した。
 すると、分かる。アカネの寿命は、もうすぐだった。
 つまりこのまま放置すれば、アレンはアカネを殺すということ。それだけは避けなければならない。彼女もまた、俺にとっては大切な仲間だった。

「落ち着くんだ、アレン。アカネは――」
「落ち着いているさ。この女が御堂財閥の娘であることは知っている――それならば、ここで始末するのが正しいだろう」
「くそ……っ!」

 説得しようと試みるが、どうやらアレンは正気ではなかった。
 それも当然だろう。このような大怪我を負って、精神を摩耗して、正常な判断をしろという方が無理な話だった。
 敵の娘は敵だ、と。
 そこだけで思考が完結していた。

 ――どうする?
 どうしたら、そんなアレンの説得ができるのか。
 考えろ、考えろ考えろ考えろ。まだ諦めるようなところではない!

「……そうだっ!」

 その時だ。俺は、一つの策を思い付く。
 彼がアカネを敵だと認識しているなら、それを逆手に取ればいい。もちろんリスクのある手段ではあったが、なにもせずに見殺しにするよりは可能性があった。

 だから、一つ深呼吸をして俺は――笑みを浮かべる。

「アレン。それじゃ、損だ」
「な、に……?」

 そして口にした。
 一か八かの、提案を。



「そいつは敵の娘だ。だったら、人質とした方が価値が出る」――と。



 そうそれは、俺も彼女を殺すつもりだという素振りを見せること。
 これならばアレンの混乱した思考でも、アカネを生かすことへの納得が得られるかもしれなかった。失敗する可能性もあったが、成功の可能性も十分にある。

 果たして、この作戦は――。



「……なるほど、な。たしかにそうだ」



 上手くいった。
 彼女の寿命は延長され、その拘束も緩められる。
 アカネ自身は生きた心地がしない表情を浮かべていたが、俺は胸を撫で下ろした。こうなれば、あとは一つ。何よりも優先しなければいけないことだけだった。

「ミレイは、あと――」


 最愛の女の子の寿命は、残り30分。


 俺はゆっくりと息をついた。
 ここからの展開は、まるで読めない。
 誰が、どうやってミレイのことを殺すのか。


「おやおや。部下がやられたと思えば、相手は子供一人でしたか」




 だが、その答えは向こうからやってきた。

 






「誰だ……!?」

 俺は声のした方を見る。
 地下室の入口――そこに立っていたのは、1人の初老の男性だった。
 口髭を蓄えており、身に着けているのは金の細いラインが入った黒のスーツ。眼鏡をかけたその顔立ちは、優しげな印象を受けた。
 微笑みをたたえたその男性は、余裕をもって言う。

「初めまして。私の名前は、御堂ハジメ――御堂財閥の頭取だよ」

 自分こそが、キミたちの敵である、と。
 そう宣言するようだった。

「お父様……!?」
「おやおや、アカネもいるのか。今日は寝ていなさいと言ったのに、悪い子だ」

 そんな父の姿に、思わず声を上げたのはアカネだ。
 彼女は悲喜交々といった表情で彼を呼ぶ。しかしそんな娘を見て、薄ら寒い笑みを浮かべた御堂ハジメ。芝居がかった口調と仕草で、少女のことを嘲笑った。
 俺は一目見て理解する。
 こいつには、娘に対する情というものがないのだ、と。

「これは、どういうことですの!? 『イ・リーガル』は、わたくしの命を狙っていたと、そう仰っていたではありませんか! それなのに――」
「あぁ、本気で信じていたのかい。それとも薄々、勘付いていたのかな」
「それって! どういう、意味ですの……?」
「分かっていて訊くのかい?」

 娘の必死な訴えに、クツクツと嗤うハジメ。
 そして、おもむろにこう語り始めた。

「金銭についての話があったのは本当だよ? ――『イ・リーガル』から、ね」
「それは、どういうことだ……?」

 そう切り出した彼に、割って入ったのはアレン。
 霞む目で必死にハジメを捉えているのか、瞬きが多く、呼吸も荒かった。
 そんなアレンの体力の消耗に気付いているらしい。まったく脅威ではないと、そう言わんばかりに財閥頭取はこう口にした。


「末端は知らないのかな。我々、御堂財閥と『イ・リーガル』が密な関係であること――そして、今のボスの娘を殺す手助けをしている、ということをね」


 それを聞いた、その場に居る全員が息を呑んだ。
 その宣言は間違いない。自分たちもまた闇の世界の人間であり、マフィアと癒着関係にあるということ、それの自白だった。
 おそらく御堂財閥に依頼したのは、反体制派だろう。
 しかし、その相手が反抗集団であることは重々承知であると、ハジメの目は語っているような気がした。罪悪感を抱いている様子は、微塵も見られない。

 その証拠に、彼はこうも語った。


「私たち御堂財閥は、反体制派に金銭の援助をする。その代りに事が上手く運んだ場合に、相応の報酬を得ることになっているんだ。さらに今、そこには莫大な金が転がっている――赤羽ミレイという、何千億という価値ある命がね!」


 それはもう、腐りきった言葉。人の命を軽んじたもの、外道のそれだった。
 こいつの目には、頭の中には、金のことしかない。人の心など、どこかに置き去りにした。その証拠に優しげだった笑みはいつの間にか、邪悪な色を帯びている。

 吐き気がした。
 こんな、ここまでの屑が生きていることに。

「お、父様……」

 そんな父の本性を見たアカネは、感情のない表情で大粒の涙を流していた。
 そしていよいよ許容範囲を超えたのか、その場にへたり込んだ。
 アレンはそれを支えて、優しく肩に手を置く。

「う、うぅ……!」

 少女のすすり泣く声が、金庫の中に響いた。
 しかしそんな娘など気にも留めず、ハジメは銃を取り出して構える。不自然に首を傾げながら、ケタケタと笑った。そして、

「いやぁ、実に愉快だね。何も知らないキミたちを見ているのは!」

 俺たち全員を小馬鹿にする。
 銃口をゆっくりと、ミレイの方へと向けて――。


「まさか『あんな近くにいる裏切り者』に気付かないなんて、ね」


 言って、引き金に指をかけた。
 その瞬間だ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「なっ――!?」



 完全にこちらから目を切った、その時。
 俺は全速力で、一直線に、ハジメへと突進した。そして――。



「ふざ、けんなああああああああああああああああああああああっ!!」



 渾身の力を込めて、その綺麗な顔をぶん殴った。
 そこには、冷静さなどない。そこには、計算などもない。
 ただただ怒りを込めて。ただただこの男が許せなくて。ただただ、アカネの心を傷付けたコイツが、ムカついて仕方なかった。

 この行動が正解かなんて、分からない。
 それでも、俺はもう我慢の限界だったのだ。

「てめぇ、自分が何を言ってるのか、分かってんのか!?」

 馬乗りになって、ハジメへと拳を振り下ろす。
 まるで想定していなかった事態に、彼は防戦一方になった。
 そんな外道に、何度も何度も何度も、俺は全力の拳を叩きつける。だが――。

「やめて、ミコト――っ!」
「な――!?」

 声が聞こえた。
 それは、父を守ろうとする娘の叫びだった。
 その懇願に、俺は思わず動きを止めてしまう。すると、

「……良い子だ、アカネェッ!」

 当然に、隙が生まれた。
 ハジメは銃を俺の脇腹に宛がうと、迷うことなく引き金を引く。


「かはっ……!?」


 直後に、発破音と共に激痛。
 そして全身から、脂汗が噴き出した。俺はどうしようもなく――。


「ミコトくんっ!!」



 ミレイの悲鳴を聞きながら、その場に横倒しになった。

 






「あはははははははははははははは!! 馬鹿なガキめ! あんな小娘の悲鳴ごときで隙を見せるなんて、甘ちゃんにも程がある!!」

 立ち上がったハジメは、こちらを見下ろしそう罵声を浴びせてくる。
 俺はそれを忌々しげに睨み上げた。しかし、身体に力は入らない。幸いなことに急所は外れているらしく、出血は思ったほどではなかった。
 それでも、弾が貫通したことによる痛みは恐ろしい。
 前にも喰らったことはあったが、やはり意識が飛びそうになる。

「ぐっ……!?」

 だが、ここで気を失うわけにはいかない。
 諦めたらすべてが終わりだった。だから俺は唇を噛み、目を見開く。
 口の中に鉄の味が広がった。心臓は早鐘のように脈打ち、呼吸はそれに応えるように上がっていく。それでも思考は止めなかった。

 相手は拳銃を持っているが、たった1人だ。
 慢心か油断、はたまたその両方か。部下を引き連れている様子はなかった。
 だがしかし状況は圧倒的に不利。傷だらけのアレンは、ミレイに銃口を向けられていることで動けなくなっていた。アカネは――ついに気を失ったか。

 俺は身動ぎ一つに相当な体力を使う。
 少しでもなにかをすれば、意識が飛んでしまいそうだった。

「まだだ、考えろ――!」

 絶望的な状況。
 その中で俺が選んだのは――。


「アレン、受け取れ!!」
「ミコト……!?」


 先ほど、黒服から奪った拳銃をアレンの方へと転がすこと。
 これがまずは最善の第一手。そして、次に起こり得る可能性に備えて――。


「ぐ……う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「ミコトくん……!?」


 想像を絶する痛みに、眉をしかめながらミレイの方へと駆けた。
 すると、ハジメはやや慌てて行動を開始する。
 それはミレイへの銃撃――!

「死ねぇ――――っ!」

 ダン、という音。
 その直後に、俺は背中に激痛を感じた。
 覚悟はしていたものの、これはかなり、きつい……。

「ミコトくん、ミコトくん……!!」

 倒れ込む俺を支えるようになったミレイ。
 彼女は涙声になりながら、俺の名前を繰り返していた。
 遠退く意識。その中で最後に見たのは、愛しい女の子の泣き顔だった。

「は――馬鹿め、これで……!」
「御堂ハジメ、これで終わりだ」

 後方で、そんな声がする。
 アレンだろう。彼はハジメを――。



 一発の銃声。



 それを耳にして、俺の意識はプツリと途切れた。

 






 ミレイの足もそれなりに治った頃。
 俺たちは、アカネの主催するパーティーに招待された。
 脇腹を撃たれた傷は生々しく痛みはするが、我慢できないほどではなくなっている。そのため俺は、着慣れない正装をして、御堂邸を訪れていた。

「あんなことがあったのに、持ち直すもの――なんだな」

 エントランスホールからダンスホールへ。
 あの事件が嘘だったように思える賑やかさに、思わずそう漏らしてしまった。

「…………頭取が死んだのに、な」

 俺の記憶は途切れ途切れになっているため、非常に曖昧だ。
 それでも、世界的に有名な財閥の頭取の死は、大きくニュースでも取り上げられていた。死因は頭部を撃たれたことによるもの。
 しかし、犯人はいまだ不明とされていた。
 第一発見者とされた御堂アカネも、調査に有益な情報を持ち合わせていない。そうしているうちに、あらゆる証拠は隠蔽され、闇に葬られていったのだ。

 俺たち『イ・リーガル』と、財閥の協力者の手によって。

「でも、そこから立て直したのは――」

 アカネの実力だろう、と。
 俺には、そんな確信に近い思いがあった。
 父の死後に彼女は、財閥内にいるハジメ派の人間を排斥。そこから全体に向けて大号令を出し、事業を見事に立て直してみせたのだ。
 いまや彼女は、社交界で知らない者はいない有名人だった。

「にしても、海晴の奴はしつこかったな……」

 そんな相手からの誘いに、我が家はざわついた。
 中でも海晴は自分も行くと言って騒ぎ、実力行使するまで納得しなかったのである。結果として俺はミレイとアレン、あの場にいた面子でここへやってきた。
 隣を歩くドレスを着たミレイが、俺の呟きを耳にしたのか小さく笑う。
 そして、こう言った。

「海晴ちゃん、私にもお願いしてきたんですよ?」
「え……? ミレイ、海晴の連絡先知ってるの?」
「はい。SNSで繋がってて、仲良いですよ」
「マジか……」

 思わぬ新事実に、俺は苦笑い。
 肩を落とし、ため息をつくのだった。

「ミコト、諦めろ。お嬢様と海晴はすでに『マブ』というやつだ」
「お前、なんでそんな変な日本語知ってるんだよ……」

 すると、所々に包帯を巻いたアレンが口を挟む。
 だが言葉のチョイスにツッコんでしまった。なんだよ『マブ』って。いや、意味は辛うじて知ってるけど、フランス人の彼が使うと違和感バリバリだった。

 さて、ダンスホールの入口付近でそんな話をしていると、だ。

「いらっしゃいですわ。3人とも」

 本日パーティー、その主催者が姿を現した。
 身に着けているのはミレイ同様にドレスなのだが、やはり上流階級の人間だ、ということなのだろう。生地や装飾の細かさ、そして微かにあしらわれた宝石の類が気品を感じさせた。元々の素材も悪くないために、アカネは周囲の視線を一身に受けている。



「本日はお招きいただき、ありがとうございます。御堂先輩」
「赤羽さんは、ついでなのですけど。諸々のお詫びもありましたから」
「お詫びだなんて。私は別になんとも思っていませんよ? ――ふふふっ」
「あらあら。そうでしたの? そう仰られるのなら、今からでもお帰りいただいて構いませんわよ? お時間取らせて申し訳ございませんですわ」
「それとこれは、話が別なのですよ――先輩?」
「あら、そうですの。ふふふっ」



 ――え……? なに、この険悪な空気。

 にこやかに言葉を交わすミレイとアカネの間には、なにやら火花が散っているように思われた。いいや、比喩ではなく明確に散っていた。
 その理由が分からずに、俺は言葉を挟むことができない。
 すると、そんなこちらに声をかけたのはアレン。

 彼はポンと優しく肩に手を置いてきて、こう口にした。


「兄弟――強く生きるんだぞ」


 ――はい? なんですか、それ。

 どこか憐れむような色さえうかがえる彼の目に、俺は首を傾げるしかなかった。
 だが、そうしていると不意にアカネがこう話しかけてくる。

「ところで、ミコト。少しお話よろしいですか?」
「え、俺だけ?」

 まさかの指名に、俺は思わず呆気に取られた。


◆◇◆


「先日は、わたくしの父がご迷惑をおかけしましたわ」

 ダンスホールを抜け出してベランダに出ると、アカネは開口一番、そう言った。
 小さく頭を下げる彼女に、俺はどこか申し訳なってしまう。

「いや、いいよ。それよりも、良かったのか?」

 だから、話題を変えた。
 それとはなにか。言葉にしなかったが、アカネは意を汲み取ったらしい。ほんの少しだけ目を伏せた後おもむろに、どこか寂しげに口を開くのだった。

「父がしたことは許されることではありません。ですから、アレンさんのことを恨んではいませんわ。その点はまず、誤解のないようお願い致します」
「……………………」

 彼女の言葉に、俺は沈黙をもって肯定する。
 だがしかし、

「そして『イ・リーガル』との関係についてですが、こちらについては今後も情報の共有を図ろうと考えています」
「アカネは、それで良いのか?」

 次に出てきたそれには、そう訊いてしまった。
 すると令嬢は、小さく微笑んでこう言う。

「良いのです。父の仕事を引き継ぐのは、娘の役目ですから。――それに、ミコトに少しでも協力したいと、恩返しがしたいと思ったのですわ」

 それは、彼女の覚悟そのものだった。
 自分は自分の責任と向き合う。それが、一族の贖罪なのだから、と。
 まだ高校3年生である少女にとって、それがいかに困難な道であるかは、少し考えただけでも分かった。だが、それがアカネの選んだ道なのなら……。

「……そう、か。何かあったら相談しろよ?」

 俺には、否定する権利はない。
 だから後押しするように、優しく声をかけた。

「ありがとうございます、ミコト」

 アカネは胸に手を当てながら、にこやかに笑う。
 その胸中にどれだけの感情を抱え込んでいるのか、誰にも覚られないように。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でていた。
 ほんの少しの抵抗はあったが、すぐに受け入れてもらえる。
 そうして、しばしの沈黙があった。

 だがそれを破ったのは、他でもないアカネ。
 彼女は一つ息をついてから、真剣な眼差しを向けて言った。

「――ミコト。貴方に伝えておきたいことが、ありますわ」



 そして、それは今後の俺たちの道に、陰を落とすもの。
 一度、目を閉じてから。ゆっくりとそれを開き、アカネはこう口にした。



「間違いありません。ミコトのすぐ傍に『裏切り者』がいます」――と。


 






 ――すぐ傍に、裏切り者がいる。
 俺の耳に張り付いて離れないその言葉は、学校生活が再開しても残っていた。
 考えたくはない。それでも、ミレイの命にかかわる情報だった。だとすれば決して、無視できる情報ではない。だからこう、クラスメイトも敵に見えて……。

「ミコトくん。どうしたのですか? すごく、怖い顔してます」
「……え。あぁ、ごめん。考え事してた」
「考え事、ですか?」

 と、そう考えているといつの間にか休み時間になっていた。
 隣の席に座るミレイが、心配そうにこちらを覗きこんでくる。小首を傾げて上目遣いに。いま最も不安であろうはずなのに、彼女はやはり、彼女だった。
 そんな少女に心配をかけないように、俺は話題を提供する。

「あぁ、そうだな――もうじき学園祭だろ? クラスの出し物、なにかなって」

 それはまさしく、ミレイの食いつきそうな話だった。
 彼女は普通の学生生活に憧れていたのだ。だからこういう風に言ってあげると、ぱっと表情を明るくする。そして、ニコニコの笑顔になって頷くのだった。

「楽しみですね! 私、こんな催しに出るの初めてなのです!」
「ははは、ホントに楽しみだな」

 その笑みに釣られて、俺も笑う。
 でも、心からの言葉だった。以前の俺なら、学園祭なんてリア充のイベントだ――滅んでしまえ、と思っていたに違いない。
 それでもミレイのこの喜びようを見ていると、そんな気持ちも引っ込んだ。

「ミレイは何がしたい?」
「そうですねぇ、色々ありますけど――」

 うーん、と。
 人差し指を唇に当てて、彼女は考え込んだ。
 そうしていると、どこか聞き覚えのある声が届いた。


「もちろん、キミたちのクラスは『メイド喫茶』に決まっている!」――と。


 声のした方を振り返った。
 そこにいたのは――。


「き、貴様はまさか……!」
「ふっ、驚いているようだな我がライバルよ!!」


 タイガだった。
 彼は格好つけて構えながら、最後は髪を掻き上げる。
 しかし、俺はそれに対して……。

「いや、そんなに驚いてない」
「急に冷めた対応するのはやめてくれ! 友よ!!」
「いつから友になったんだよ。ライバルはどこに行ったんだよ」

 淡白にツッコみを入れた。
 するとタイガはショックを受けて涙目になる。
 ――が、すぐに気を取り直したのか。一つ息をついてこう言った。

「こういった際には、メイド喫茶だと相場が決まっているだろう?」
「どこの相場だよ。さては、最近ラブコメにハマってるな、貴様」
「ふふ。そこに気付くとは、さすがは我が盟友だ……!」
「どんどんグレードアップしていく……!?」

 いやいや。
 こんな馬鹿なやり取りをしている場合ではなかった。

「……それで、どうしてメイド喫茶?」

 俺が訊ねると、おもむろにタイガは肩に腕を回してくる。
 そして、ミレイには聞こえない小声で熱っぽく語った。

「キミは見たくないのか? ――赤羽さんの、メイド姿が!」
「そ、それは……っ」



 ――――見たいっす。



 いや、もうね?
 そんなの見たいに決まっているじゃないですか。
 好きな女の子のメイド姿。ヲタク男子としては夢ですよ、たぶん。

「い――いや、しかし。無理矢理に着させるわけには……!」

 だが、そこで自制心が働いた。
 そんな時だ。俺の耳元で悪魔が囁いた。

「逆に考えるんだ。無理矢理だからこそ、いいじゃないか、と!」
「…………っ! タイガ、お前!」

 全身に電流が流れる。
 驚いて見れば、そこにはタイガのしたり顔。

「ふふん。その目は、どうやらイメージが降りてきたようだな」

 彼は俺の表情すべてから感じ取ったらしい。
 俺の、敗北を……!

「くそっ、そんな誘惑に勝てるわけねぇじゃないか……!」
「いいや。友よ、これは敗北ではない」
「タイガ……?」

 こちらが肩を落としていると、それを励ますようにタイガは言った。
 そう、これは勝ち負けではなく――。



「大いなる、第一歩だ」――と。



 俺はこの時に初めて、九条大我という人間を人生の先輩だと思った。
 覚悟を決めて立ち上がり、ミレイの方を見て、

「ミレイ、いいかな?」
「はい……?」

 ゆっくりと、こう提案した。




「メイド服、着てくれるかい?」




 真っすぐに、円らなその瞳を見つめて。
 すると彼女はどこか、恥じらいを見せながらこう答えた。



「………………はい」



 消え入るような、そんな声で。


 俺とタイガは無言で向き合い、手を掲げた。
 そして、力強くハイタッチを交わすのであった……。



 





 果たして、普段は目立たない俺の熱弁によって、我がクラスの出し物は『メイド喫茶』となった。主に女子から反発があったが、ねじ伏せることに成功。ミレイからの賛成を得られていたことが、最終的な決定の鍵になったりもした。
 いまやクラスの――学校の人気者である彼女の言葉だ。
 さすがだ、と。その一言に尽きた。

「でも、諸々の準備は坂上がやりなさいよ~?」
「分かってるっての」

 女子生徒からのそんな声に、俺は逆ギレしつつ答える。
 準備の指揮を執ることになるというのは、ある程度は覚悟していた。だから特別に嫌というわけでもなく、淡々と物事を前に進めていく。
 幸いに男子生徒は協力的だったため、どんどんと仕事は終わっていった。
 だが、時には問題も発生するわけで……。

「なぁ、肝心のメイド服はどうするんだ?」
「あぁ、それか。学校の方針で、外注するのは禁止だったな……」

 田中が問題提起をして、俺は考え込んだ。
 裁縫が得意な男子はもちろん少ない。だとすれば女子に、となるが……。

「あ、あの! 私にやらせていただけませんか?」

 そう思っていたら、ミレイが手を挙げた。
 少しだけ緊張した様子で、しかしどこか嬉しそうに。

「いいけど、ミレイは裁縫とか得意なのか?」
「はい! コスプレの衣装は、ほとんどが自作でしたので!」



 ――あ、そうだった。
 ミレイも大概にヲタなのだった。



 それなら、きっと問題なく作れるだろう。
 しかし人手は多いに越したことはない、ということで……。

「女子に頭を下げてくるか……」

 俺はそう言って、サボりまくってる女子のもとへと行こうとした。
 だがそれを止めたのは、ミレイ。

「私がお願いしてきます!」
「え、でも……。結構、骨が折れると思うぞ?」
「大丈夫ですよ。だって――」

 彼女は笑顔を浮かべて、こう言った。



「せっかくのお祭りなんですもん! みんなの思い出になった方が嬉しいです!」



 無邪気に、それこそ子供のように。
 そこにあったのは、今まで得られなかった時間を享受することに、心の底から歓喜している少女の姿。その背中を見送りながら、俺は自然と笑みをこぼしていた。
 その時だ。

「ミレイお嬢様も、ずいぶんと前向きになられたのね」
「…………なんでいるのさ」

 ダースが出没した。
 たしかに今は放課後ではあるものの、関係者以外は入れないはず。
 俺は苦笑いを浮かべながら見ていたが、彼はなんてことはない、といった風にウインクをしながらこう言った。

「大丈夫よ。ここまで誰にも見つからないよう、スニーキングしてきたから!」
「それって、ただの不法侵入じゃねぇかよ!?」

 サムズアップするダース。
 俺はほぼほぼノータイムでツッコんだ。
 クラスメイトは何事かと、少しだけ俺たちを見たがすぐ作業に戻る。お前らいいのか、明らかに怪しい人間が1人、ここにいるぞ……?

「なーんてね? ちゃんと警備員のオジサマに声をかけてきたわよ。ミレイお嬢様に差し入れがしたいのですけれど、ってね」
「いや。それはそれで、簡単に通すのはどうなのさ。我が校よ……」

 先日の体育祭で不審者騒ぎがあったのに、だ。
 結果的に死者は出なかったが、警戒をするべきだと思うのだが。なんだったら、担任伝手にでも校長にアプローチをかけた方が良いのかもしれない。
 俺は学園祭準備とはまったく関係ないことで、頭を抱えるのだった。
 そんな様子を見て、ダースはくすりと笑む。

「ミコトちゃんのお陰、かしらね」
「え……?」

 そして、そんなことを言うので俺は首を傾げた。
 彼はミレイを見ながら、目を細めて言う。

「ミレイお嬢様は色々な国で、命を狙われ続けてきたの。だから、天真爛漫だった性格も、次第に暗く大人しくなっていった」
「………………」
「頼る人が私とアレンしかいない、というのも辛かったのでしょうね。精神的に追い詰められていくのが、目で見て分かるほどだったのよ」
「……そう、だったのか」

 俺はふっと息をついて、最初の頃のミレイを思い出した。
 たしかに、どこかよそよそしくて、今よりもかなり大人しかったように思われる。初めてデートをした時も、笑い方がぎこちなく、遠慮がちだった。
 それもこれも、過酷を極める生い立ちゆえだったのか。
 今さらながらに、胸が締め付けられた。

「でも、それもミコトちゃんと関わるうちに解けていったわ。帰ってくると決まって話すのは貴方と、学校でどんな会話をしたのか、ということばかり」
「え、マジか……!?」
「貴方ずいぶんと、うちのお嬢様にアプローチをかけてるそうね?」
「……………………」

 ダースの微笑みに、背筋が凍った。
 不明瞭な返答で濁すか、黙ることしかできない。

 ちょっと待ってねミレイさん。保護者に話すって、小学生ですか……!

「まぁ、ミコトちゃんにお願いしてるのは私たちだから。それくらいは役得だと思ってくれていいわよ? ――アレンは、どう思ってるか知らないけど」
「はい。以後、気をつけますね」

 帰り道で、これからは背後に気をつけよう。
 本気でそう思った。

「あぁ、それじゃ。私はそろそろお暇するわね? これ、お嬢様に……」
「そうだ、ちょっと時間あるか? ダース」
「……? なにかしら」

 と、そこで帰ろうとした彼に訊ねる。
 首を傾げる相手に、俺は自分たちにしか聞こえない声量でこう伝えた。

「少し、話がある」


◆◇◆


 体育館の裏は、本当に人気がない。
 秘密の会話をするには、もってこいの場所だった。

「それで、話って? まさか、本命は私だ――」
「安心してくれ。それだけは、絶対に、なにがあってもあり得ない」

 冗談を口にするダースに、冷めたツッコみを入れる。
 しかし、お遊びはここまでだ。

「なぁ、ダース? 正直に答えてくれ」

 俺は呼吸を整えつつ、静かにこう訊ねた。





「『裏切り者』は、お前で間違いないよな」――と。