「赤羽ミレイを出してもらおうか……ヒヒッ!」

 黒ずくめの般若男は、気色の悪い声を発しながらそう言った。
 俺はそいつの様子に若干の違和感を覚えながら、しかし引くことはない。しっかりと状況を判断して、どうにかしてミレイを守る。それだけしか考えていなかった。
 まず確認したのは、相手の腕の中にある女子生徒のこと。
 どこかで見た覚えがあるのだが……。

「あ……! アンタ、もしかして!」
「貴方は、あの時の……!?」

 そして、同じタイミングで思い出したらしい。
 俺たちは互いにそう声を上げた。男に拘束をされている女子生徒は、先ほどのリレーでミレイと交錯した上級生だ。膝に擦り傷がある。
 おそらくは、競技を終えてあちらも治療にきたのだろう。

「た、助けなさい! ――これは命令です!!」
「この状況で、よくそんなこと言えるな!?」

 女子生徒は混乱しているのか、俺に向かってそんな世迷言を口にした。
 どうにも高飛車な性格をしているらしい。彼女は表情を引きつらせながらも、自分が助からないなどとは微塵も思っていない様子だった。
 そんな上級生をちらりと見て、少し考える。


「後回しでいいか……」
「ちょっと、聞こえてますわよ!?」


 ――とりあえず、優先順位は下げてもいいかもしれない。
 そう判断したのだが、それが思わず口に出てしまったらしい。女子生徒から思い切り非難の声が上がった。俺は苦笑いをしながら、彼女をなだめる。

「大丈夫。アンタの図太さなら、あと52年は生きれるから!」
「何を言ってますの!? それに、やけに具体的ですのね!!」

 やはり、図太い。
 この状況で、こちらにツッコむ余裕があるのだから。
 俺はそれを聞いて、一つ息をついた。この状況において、この女子生徒の心配をする必要はないだろう。寿命を見たところ、52年先まで未来があるのだから。
 それだとしたら、ミレイの危機を回避することを考えなければいけないかった。しかし、打開策が見当たらない。得物の差は大きい。
 しかも、体格の差も考慮に入れなければならないだろう。


「さて、最後に考えないといけないのは……」


 俺は、少しだけ視線を窓へと向けた。
 すると反射して見えたのは――。

「これなら、いいか……!」

 そこで、覚悟を決めた。
 深呼吸をして、震える手をぐっと握りしめる。
 戦えるはずだった。いいや、戦わなくてはならない。そうでなければ、何のための『イ・リーガル』だ。何のためのファミリーだ。

 大切な子を守るために、俺はこの道を選んだのだから……!

「――――行くぞ!」
「ヒヒッ……!?」

 次の瞬間に、俺は一気に駆け出した。
 完全に不意打ちになったのだろう、男は短く声を上げて一歩後退。
 そして女子生徒を投げ出し、刃物を振り上げるのだった。俺は一か八か、向かって左に転がる。すると、カイン! という軽快な音。相手の得物が床を打った。

「今だ……!」

 俺は即座に立ち上がり、男へと距離を詰める。
 そして、力いっぱいにハサミを突き出した。それは間違いなく男の脇腹を抉る。

「グギィ……!?」

 苦悶の声を上げる相手に、俺はさらに蹴りを加えた。
 狙うのは膝から下。素人の蹴りでも、一程度のダメージを与えられる脛だ。
 その判断は果たして功と出た。男はもんどり打って倒れ込む。すると、相手の手にあった得物は床に転がった。俺はそれを見て、そちらへと駆けだす。

 しかし――。

「ちっ……!?」
「まだだァ……! この、クソガキィ!」

 男の判断も早い。
 そのため、最後は競争となった。
 果たしてその結末は――。




「終わりだァ……!」



 俺の、負けだった。
 床に倒れ込んだこちらに、刃物を突き付ける男。
 女子生徒の悲鳴が木霊して、それがついに振り下ろされた。



「待って! 貴方の目的は、私なのでしょう!?」
「ミレイ……!?」



 その時、ついに彼女が声を上げてしまった。
 男の手にした刃物は、俺の喉元で動きを止める。そして、ゆっくりと視線を声のした方へと向けた。俺もそちらに目をやると、足を引きずりながら立つミレイの姿。
 だが、絶体絶命と思える局面で俺は確信した。
 この勝負は――。


「がっ……!?」






 俺たちの勝ちだ、と……。