それは下校中のこと。
俺は例によって、ミレイを公園まで送り届けていた。
送り届けるとはいっても、寿命に気を割いてさえいれば普通に帰っているのと変わりない。護衛をしている感覚より、好きな子と一緒に帰る、そんな一つのイベント染みた感覚に近かった。
「ところでミコトくん。体育祭は、何に出るか決めましたか?」
「あぁ、そうか。明日それ決めるんだっけか……」
その最中、ミレイがそう話題を振ってきた。
俺はそれを聞いて、ようやく体育祭の存在を思い出す。
我が校ではいくつかの競技に立候補して、参加しなければならないことになっていた。そこには強制力があり、帰宅部である俺などには辛いもの。
最大限、体力を使わないそれの取り合いに勝利しなければならなかった。
しかしミレイの手前、大声でそれを口にするのははばかられる。
「……ミレイは、なにに出るつもりなんだ?」
なので、ここはあえて質問を返してみた。
すると彼女は特に気にする様子もなく、小さな唇に人差し指を当て、空を見上げながら考える。そして、一つ頷いたかと思えば、満開の花を咲かせて言った。
「私は学年対抗リレーに参加したいです! あとは、借り物競争!」
「ずいぶんと落差があるな。それって、花形競技とお遊び競技じゃないか?」
「えへへっ! 日本のアニメとか見てると、借り物競争は楽しそうだったので! 学年対抗リレーは、クラスの女の子に推薦されているんです!」
「へぇ、推薦されるってことは――ミレイって結構、足速いの?」
「運動神経には、それなりに自信がありますよっ!」
えっへん、と。
小ぶりな胸を張って、子供っぽく笑う彼女。
俺はそんな姿を見て微笑ましく思った。そうしていると、だ。
「ミコトくんも、学年対抗リレー出ましょう?」
「えぇ……?」
不意にそんな提案をされた。
思わず変な声が漏れる。ミレイはそんな反応をした俺に、
「どうされたんですか?」
きょとんとした顔で、上目遣いにそう訊いてきた。
「えー……? いや、俺はちょっと、ね」
目を逸らす。あまりに無垢な表情に、要らぬ意地が出てきた。
こんな顔をされて、運動神経に自信がないのでやめておく、なんて口にできるだろうか。そのため俺は苦笑いをして頬を掻きながら、答えを濁した。
「いや、うん。考えておくよ……」
ぶっちゃけ、俺が出場する可能性はゼロ。
何故なら学年対抗リレーは、我が校一番の花形競技だからだ。
俺が立候補した時点で、目立ちたがり屋の運動部員のブーイングに消されてしまう。というか、立候補すらさせてもらえないかもしれないが……。
そんなわけだから、今はこの答えで十分だろう。
「そうですね! では、また明日に!」
「あぁ、気をつけてな」
「はいっ!」
そうこうしているうちに、公園に着いていた。
そこにはアレンが迎えにきており、彼にミレイのことを任せる。
俺の役割はここまで。あとは、ゆっくりと自宅へ帰れば今日は終わりだった。
「……やあ。キミが――坂上命くん、だね?」
「ん……?」
そう思っていたのだが、ミレイと別れた直後に声をかけられる。
歳若い男性のそれに振り返ると、そこにいたのは同じ高校の上級生だった。胸の学生バッジの色が青だから間違いないのだが、なんだろうか。
この上級生、どこかで見たような気がした。
「自己紹介がまだだったね、僕の名前は――|九条大我(くじょうたいが)。気軽にタイガとでも呼んでくれると嬉しいかな」
「はぁ、タイガさん、っすか」
彼――タイガはふっと笑い、金に染めた短い髪を掻き上げる。
長身で細身のように見えるが、腕や脚はしっかりと鍛えられている印象を受けた。なにかしらの運動部に所属しているのだろうか。
顔立ちは整っており、パッと見は王子様系というか、そんな感じ。
まぁ、そこまで興味は持てなかったけど。
「あぁ、よろしくね。ところで――」
だが、不意にタイガは目を細める。
そしてこう言った。
「坂上くんは、赤羽ミレイさんと……どういう関係なのかな?」
とても冷たい声色で。
それは威嚇するようなもの、だったのかもしれない。
だが俺はとくに気にかけずに、少しの間を置いてこう答えるのだった。
「んー……今は、仲の良い友達、ですかね?」
「へぇ、なるほど。『今は』――ね」
「…………?」
すると、どういうわけかニタリと笑うタイガ。
そこに至ってようやく、俺は相手の様子がおかしいことに気付いた。首を傾げていると、彼は一歩、こちらへと歩み寄ってくる。そして、耳元で……。
「大怪我をしたくなかったら、赤羽ミレイさんとは関わらない方が良い」
そう囁くのだった。
「え……、なんだって?」
訊き返すと、タイガは少し距離を取ってこう言う。
「僕の知り合いには、この辺り一帯を占めているセンパイがいてね? キミみたいに弱々しい人間一人くらいだったら、簡単に沈められるんだ」
その意味は、言わなくても分かるよね? ――と。
タイガは爽やかな笑みを浮かべて語った。ここまで言われたら、頭の悪い俺でも意味が分かる。これは要するに脅しだった。ミレイを渡せ、というそれ。
自分のバックには怖い人間がたくさんいるから、彼女から手を引け、と。
しかし俺は、そこでまたも首を傾げてこう言ってしまった。
「はぁ、それで……?」――と。
あまりにも間の抜けた声で。
すると、タイガはきょとんとした。
まさかの返答だったのだろう。しばしの沈黙が生まれた。
「キミは、馬鹿か……?」
数十秒の間を置いてから、ようやく彼はそう口にする。
しかし俺がさらに首を傾げると、どこか焦った様子で続けた。
「いいか? もう一度言っておくが、僕にはキミなんかすぐに殺せるような――そんな知り合いがたくさんいるんだ。怖くないのかい? 怖いだろう……?」
「…………いや、別に?」
「………………」
「…………?」
またもや沈黙。
俺は暇を持て余し、頬を掻いた。
怖いはずがなかった。何故なら、それよりも怖い相手と、俺はすでに会っているから。それと比べてしまえば、不良グループの一つや二つ、なんてことない。
しかし、それを知らないタイガは目を丸くしていた。
話が決まると踏んでいたのだろう。しばらく、何かを考えていた。
そして、おもむろに口角を歪めてこう言うのだ。
「いいだろう。キミの胆力は良く分かった」
「さいですか」
「それなら、こちらも正々堂々勝負しようじゃないか!」
「はぁ、それで?」
俺は完全に生返事。
そんなこちらに、タイガはこう宣言した。
「体育祭の、学年対抗リレーで勝負だ! 赤羽ミレイさんを賭けて!!」
あまりにも一方的に。
俺はそれを聞いて、改めてこう答えるのだった。
「……はぁ」――と。
まったく、関心のない声で。
さて、タイガにあのように言われたわけだが。
「別に怖くはないんだよな、アレンとダースに頼るつもりはないけど」
これといって俺は、その脅しを気にしていなかった。
というかむしろ、彼の身を案じている。下手にミレイに手を出せば、タイガの方が危険だった。なにせ、今さらながらミレイはマフィアのボス、その娘だ。
事情を知れば手を引いてくれるだろうけど、それを話すわけにはいかない。
だとすれば、どうするべきなのか……。
「うーむ……」
「どうしたんだよ、坂上。珍しく難しい顔して」
「珍しくは余計だろ? 田中」
腕組みしながら考えていると、前の席の田中が声をかけてきた。
間もなく体育祭の競技決めが行われる。その前の休み時間なのだが、例によってミレイは隣の席にいない。仲の良い女子グループに囲まれて、相槌を打っていた。
そんな彼女の順調な学生生活を見守りながら、俺は思考を元に戻す。
ここは一つ、試しに田中に意見を求めてみることにした。
「なぁ、田中。九条大我――って人、知ってるか?」
「ん、九条先輩か? サッカー部のエースだろ。有名人だよ」
とりあえず情報収集と思ったら、即座にそんな返答。
なるほど。しっかりした体格には、それなりの理由があったのか。
「その人に喧嘩売られたんだけど、どうすれば良いと思う?」
「はぁ!? お前、坂上……何したんだよ」
「いや、身に覚えはないけど……」
とりあえず、とぼけておく。
すると田中は大きくため息をついて、こう言った。
「九条先輩は、敵に回すと厄介だぞ? 女子のファンも多いし、下手に逃げ回ったりすると怒って何をするか分からない。少し気性が荒いからな……」
「マジかー……。それは厄介だ」
主に、タイガの身が心配で。
「どんな条件の喧嘩なのか知らないけど、真っ向から受けるしかないな」
「ふむ。なるほど……」
俺はそれを聞いて、考え込む。
面倒事にならないよう、ミレイの護衛としての仕事がやってきたのかもしれない。だとすれば、俺はどうするべきなのか。それは……。
「いや、でもさすがにリレーに出るわけにはいかないよな……」
ボンヤリと、そう思った。
すまないタイガ。骨は拾うからな……。
「おい、席に着け~。競技決めをするぞ」
そんな風に諦めを抱いていると、担任が入ってきた。
そして、黒板に競技名を記入し始める。隣の席にはミレイが戻ってきて、なぜだか凄くニコニコしていた。理由を訊くと、首を傾げるばかりで何も言わない。
女子グループで何かを吹き込まれたのか、と。そう考えていた。
そう。あの瞬間までは……。
「……それじゃあ、最後に学年対抗リレーの出場者を決めるぞ」
さて、時間も経過して最後の競技になった。
当然ながらそれは、花形である学年対抗リレーである。
担任がそう宣言をすると、ミレイがまずいの一番に手を挙げた。
「はい! 私、やってみたいです!!」
「他に立候補はいないな。それでは、女子は赤羽が出場だな」
そして、次に男子を決めることに。
俺は自分は関係ない、そう思って窓の外を眺めていた。すると、
「はい! 坂上ミコトくんが、良いと思います!!」
「………………へ?」
隣の少女が、元気いっぱいにそう宣言するのが聞こえた。
驚いて見るとミレイが再び手を挙げて、クラス中の視線を集めている。
そんな姿を俺はポカンと、呆然として見守るしか出来なかった。反対の声を上げようにも、一拍遅れてしまい、さらにその隙間を埋めるようにして……。
「は~い、賛成!」
「アタシも坂上が良いと思う~!」
なん、だと……?
「どうなってやがるんだ!?」
女子が続々と手を挙げるのだった。
そうなってくると、他の男子生徒は立候補できない。
「坂上、推薦されているが……どうする?」
「えぇ……!?」
そうこうしているうちに、担任からの確認が飛んできた。
俺は狼狽えて返事が出来ない。すると、隣のミレイが代わりにこう言った。
「大丈夫です! ミコトくんと、頑張りたいのです!!」
それは、彼女の願い。
俺と一緒に、この競技に出場したい。
その気持ちが、ありありと伝わってきた。
「ミレイ……」
そう言われると、むげにはできないだろう。
俺はそこで気持ちを決めた。
「……み、みんながそれで良いなら」
おずおずと、手を挙げる。
すると、教室の中は拍手喝采に包み込まれた。
いやいやいや。
どうして、こうなった……!?
というわけで、俺はミレイと共に学年対抗リレーに参加することになった。
他の学生から不満が出ると思っていたが、そんなことはなく、むしろどこか温かく見守られている感さえある。その理由が分からずに首を傾げるしかなかった。
だが、とにもかくにも出るといってしまったのだ。
そうなったら最大限、足を引っ張らないように頑張らなければ……。
「ぜぇ、ぜぇ……っ!」
そう、思っていたのだけど。
俺は全体での初練習にて、すでに音を上げそうになっていた。
このリレーは一人200メートルを走り、バトンを繋ぐ。その中でも俺はなぜかアンカーになっており、ミレイから引き継ぐことになっていた。
それなのに、この体たらくである。
いや。普通に考えたら、帰宅部員には荷が重すぎるって……!
「大丈夫ですか? ミコトくん……」
「へ、へーき、へーき……! ごほっ、心配いらないから、大丈夫!」
しかし、ミレイに声をかけられると思わず強がってしまった。
だって仕方ないじゃないか。男ならそうだろう? 好きな女の子の前で、情けないことは言いたくないって思うのは。俺だって、立派に青春したいのだ。
それでも、疲労は顔に出ているらしい。
ミレイはそんな俺に、スポーツドリンクを手渡してくれた。
「この後、ラスト一本走ることになってますけど……」
「んぐっ……ん、分かったよ。頑張る」
「はい! 頑張りましょうね!」
それを喉に思い切り流し込み、彼女に答える。
するとミレイは少し汗の浮かんだ顔に、爽やかな笑みを浮かべるのだった。
「でも、熱中症は怖いですから。ミコトくんは少し休んでて下さいね?」
「あぁ、ありがとう。そうするよ」
そう言うと、彼女は一つ頷いて他のメンバーの方へ。
残された俺は指示の通りに、木陰に腰を落ち着けるのだった。
そして、天を見る。スポーツの秋という季節に差し掛かってはいるが、まだまだ気温は高かった。太陽が燦々と大地を照らし、コンクリートの上は歪んでいる。
「はぁ、それにしても……」
と、そこで俺は後方へと振り返った。
声をかけないわけにはいかない。そう思った。
「なんで、ずっと隠れて見てるんすか。タイガさん……?」
「別に隠れてなんていないさ。ちょっとした敵情視察、というやつかな?」
そこにいたのは――タイガ。
彼は髪を掻き上げながら、不敵な笑みを浮かべるのだった。
何かしてくるわけではないので流していたが、俺たちの練習をずっと見られていたのだ。気にするなという方が無理な話で、ついに声をかけてしまったのである。
「しかし、キミは情けないな。僕との勝負は決まったようなものだね!」
「あー、はいはい。またその話ですか……?」
さて、そうすると水を得た魚のように。
タイガは自信満々に胸を張りながら、そう宣言するのだった。
ぶっちゃけどうでもいいと思っている俺としては、聞き流し案件だ。とはいっても、これ以上彼を危険なところへ踏み込ませるわけにはいかない。
どちらかというと、そんな気持ちをもってこう問いかけた。
「なんでそんなに、俺に突っかかるんですか? 何かしましたっけ、俺」
すると、何やらタイガの笑みが凍り付く。
数秒の間を置いてから、彼は不思議そうな声色でこう言った。
「…………キミは、なにを言っているんだ?」
それは心底からの疑問だ、と言わんばかりの答え。
俺は首を傾げた。そして……。
「なにって、ミレイのことが好きなら俺なんかに構う必要ないでしょう?」
「…………………………」
そう続けると、タイガは額に手を当てて空を仰いだ。
あたかも何かに絶望するかのように。
「あぁ、なんて可哀想なんだ。赤羽さんは……!」
「へ? なんで、そこでミレイ?」
「oh……」
何故か海外の方のようなリアクション。
そして、唐突に俺の肩をガッシと掴むのだった。
「キミは、罪作りな男だな!!」
「何この人、急に失礼」
思わず冷めた目でツッコみを入れてしまう。
するとタイガは、大きくため息をついてこう口にした。
「ふっ、だけどその悲しみももうすぐ終わる……」
「あのー? 一人で何言ってるんですかー?」
「待っていてくれ、赤羽さん……っ!!」
「待ってー、俺を置いて行かないでー」
なにやら意味不明なことを言って、彼は校内へと戻ってしまう。
そんな後ろ姿を見ながら、俺は呆然と立ち尽くした。
「大丈夫かな、あの人……」
もしかして、頭でも打ったのか?
そんな風に思って、本気で心配になってきた。
しかし何はともあれ、人死にを見たくはないので勝負には勝たないと。そう思って俺は、重い腰を持ち上げるのだった。するとそこにタイミングよく、
「あ、ミコトくん! 最後の一本始めますって!」
「分かったよ、今行く!」
ミレイがそう声をかけてくる。
俺は何やら変な使命感を胸に、練習へと向かうのだった。
さてさて。
そんなこんなで、体育祭当日。
俺はぐったりとした朝を迎えて、すでに全身筋肉痛な身体を無理矢理に動かした。入念にストレッチを行ってから、いつもよりさらに早く公園へ向かう。
そこでミレイと合流して、雑談しながら高校へと――走った。
なんでもウォーミングアップだとか、なんとか……。
「…………はぁ」
そんな愉快な朝を終えて、俺は大きくため息。
いいや。気持ちを切り替えるんだ。今日が終われば、地獄の練習からも解放される。そう思えば一日を頑張ろうと、そう思えるような気がした。
それと忘れてはいけないのは、タイガのこと。
彼の命もまた心配であった。いや、寿命的には大丈夫なんだけど、社会的に。
「やあ、逃げずに来たようだね! 我がライバルよ!」
「いやいや。いつの間にライバルになったんすか?」
そんなことを考えていると、ついに体育祭が始まった。
するとすぐに、俺たちのもとに件の彼がやってくる。
何故かライバル宣言をされているわけだが、もはや気にしていられない。適当にツッコみを入れてから虫を決め込もうと、そう思った。だがしかし……。
「少し、時間をもらえるか。坂上くん」
「へ……?」
なにやら指名を受けることになった。
――で。
そのまま校舎裏に連れて行かれて、真っすぐに向き合うことに。
二人きりという状況にうすら寒さを覚えるが、とりあえず相手に敵意を感じられなかったので流すことにした。しばらく時間をかけてから、タイガはこう言う。
「僕は赤羽さんを愛している」――と。
それは、今さらながらな宣言だった。
俺は「さいですか」と、小さくそう答える。すると彼は、
「確認だが、キミの気持ちも聞かせてほしい。坂上くん」
そう口にして、目を細めた。
つまるところ俺のミレイへの気持ちを言えと、そういうわけか。
それとなると、引き下がることは出来ない。なので真っすぐにタイガの目を見て、こう告げるのだった。
「俺は心から、ミレイを幸せにしたいと思っている」――と。
曇りなき心を。
それを聞いたタイガは、くすりと笑った。そして、
「いいだろう。それなら――」
こちらへと歩み寄り、すれ違いざまにこう言う。
「勝負だ。彼女を賭けて……!」
◆◇◆
「九条さんと何をお話していたんですか?」
「ん、別に。というかミレイ、タイガのこと知ってるんだ」
「ええ、以前に少しだけお話をしたことがあります。取り留めもないことですが」
陣営に戻ると、ミレイとそんな会話をする。
彼女がタイガのことを知っているのは少し意外だったが、そんなこともあるのだろう。俺はとくに気にすることなく、今日のプログラムを確認した。
そして、ミレイにこう伝える。
「……あ、そろそろ借り物競争じゃない?」
そう、次はミレイが楽しみにしていた競技だった。
俺の言葉を聞いた彼女は、ハッとした表情になって駆け出す。その後ろ姿を見送って、俺は自分の競技の時間までを潰そうと、借り物競争の観戦に切り替えるのだった。とりあえず、ミレイの出番だけはしっかりと目に焼き付けないと……。
「よいしょ、っと……!」
思って俺は、家から持ってきた一眼レフを構えた。
そして、まずは整列する彼女をパシャリ。
「そろそろ、ミレイの番だな」
そのまま待つこと数分。
いよいよ彼女の順番が回ってきた。
パーンと弾ける音と共に、ミレイは一直線に走り出す。そして他の誰よりも先に、借り物の書かれた紙を手に取って――。
「……ん、どうしたんだ?」
俺は首を傾げた。
何故なら、紙を開いた瞬間に彼女は硬直したから。
「難しいものでも引いたのか……?」
まずそう思ったが、硬直するほどの物とは何だろうかとなる。
他の学生が散っていく中、ミレイはしばしそのままでいた。しかし突然に動き出したかと思えば、何やらこちらへと一目散に走ってくる。
どことなく頬を赤くして、俺のもとへやってきた。
「ミコトくんっ! えっと……!!」
そして、視線を泳がせるミレイ。
なんだ……? 彼女は、なにを探している?
目の動きを追うと、どことなく俺を中心に回っているように思えた。だから、
「もしかして――!」
俺はハッとし、確信をもって言う。
「この一眼レフか!?」
「違います!!」
いつになく、ハッキリと否定されてしまった。
「え、だとすると……?」
俺は頭を悩ませる。
腕を組んで唸っていると、ミレイが急いだようにこう言った。
「わ、私と来てください! と――とにかくっ!」
「ふえっ!?」
そして、思い切り俺の腕を引く。
されるがままについて行くことになったが、いったいなんだろうか。
走っている間にミレイの顔を見ようとすると逸らされるし、何やら耳まで真っ赤になってるし。謎は深まるばかりだった。
けれども、どうにかこうにかゴールイン。
ミレイは素早く紙を担当の教員に手渡していた。すると、
「ほほう……」
その教員は、顎に手を当ててにやりと笑う。
そして、俺たちがまだ手を繋いでいるのを確認して言うのだった。
「お幸せにな」――と。
…………どういうこと?
俺は首を傾げるしか出来なかったが、ミレイは意味が分かったらしい。
とうとう爆発したのか、頭から湯気を出しながらうずくまってしまうのだった。それを見て笑う教員に、困惑する俺。
そうして、体育祭の一日は過ぎていく。
◆◇◆
「……で、結局なんだったの?」
「い、言いませんから!! ……その、まだ駄目です」
「…………ん? それって、どういう意味?」
「とにかく、駄目なものは駄目なんです!!」
陣営に戻って訊ねると、珍しく怒られた。
プンスカと、子供のように頬を膨らせたミレイ。
そんな彼女も可愛らしいと思えてしまうのは、さすがに惚れ過ぎかな、とも思う。でも可愛いものは可愛いのだし、この感情は正常なものだとも思われた。
「……でも、楽しかったです」
「そっか、それは良かった」
「はい……!」
何はともあれ、彼女は満足しているようで。
俺もそのことに安心して、微笑む。そうしているとミレイはおもむろに、こう語り始めた。
「本当に、楽しいです。こんな生活に憧れていたのです」
「ミレイ……」
それは、今までの自身の境遇を振り返ってのこと。
組織の騒動に巻き込まれて、命を狙われ、そして各国を転々としてきた。それを思うと彼女の今までの人生は、過酷という言葉では足りないのかもしれない。
だが、そんな苦労を微塵も感じさせない笑顔を浮かべて彼女は言った。
「私、ミコトくんに会えて本当に良かったです!」
それは、こちらにとっても嬉しい一言。
俺はそれを受けて思わず、
「きゃっ……!?」
「あ、ごめん……」
まるで、かつて海晴にしていたようにミレイの頭を撫でていた。
彼女は少し驚いたのか、軽く身を縮める。しかし、拒絶することはなく――。
「本当に、ありがとうございます……」
顔を真っ赤にしながら、そう漏らすのだった。
「あぁ、どういたしまして」
俺はそう答えて笑う。
そして改めて、本気で彼女を守ろうと、そう誓った。
しかし、その時だった。
一陣の風が舞い、目を閉じた次の瞬間。
「―――――――っ!?」
――また、だ。
また、ミレイの寿命は大きく縮んでいた。
ミレイの次の寿命は、今日の夕方――リレー競技が終わった頃。
しかし今回は状況が不味すぎた。何故なら、全校生徒が集まっている上に、保護者などの観客の視線があったから。つまり360度、どこからでも彼女の命を狙えるのだ。もっとも犯人が、このように人目のあるところで殺すような馬鹿なことをするようにも思えなかった。
「いや、考えるのをやめるな。……可能性は、それだけじゃない」
そうだ。思考を単純化してはいけない。
初めてミレイを助けた時、彼女は何で死にかけたのか。
それは少なくとも、偶然の産物のように思われた。すなわち、今回もなにかしらの事故によって、彼女の命が奪われる。その可能性も捨ててはいけなかった。
――事故か、殺害か。
どちらとも取れる、そんな状況。
俺の思考は、だんだんと暗いものに変化していく。
しかしミレイを守るためには、疑心暗鬼になる程度が良いように思えた。
「さぁ、もうそろそろ勝負の時だね。我がライバルよ!」
その時、タイガが陽気な声でそう話しかけてくる。
リレーの入場ゲート前で整列すると、ちょうど彼は俺の隣だった。
「……ん? どうしたんだい、そんな怖い顔をして」
「いや、なんでも……」
こちらを見て、不思議そうな表情を浮かべる相手。
でも俺はそんな彼に構う余裕もなく、素っ気なくそう返答した。するとタイガは、それをどう受け取ったのか、満足げに頷いてこう言うのだ。
「その眼差し――ようやく、本気になったようだね」
そのタイミングで、入場の音楽が鳴り響く。
俺は彼の言葉などに耳を貸す気などなかったが、
「さぁ、死ぬ気で争おうじゃないか」
その言葉だけは、やけにハッキリと聞こえるのだった。
◆◇◆
リレー競技が始まった。
バトンが繋がり、だんだんと会場のボルテージが上がっていく。
歓声が大きくなり、自然の音が掻き消されていった。各々のチームを応援する声援が入り混じり、まるでこの空間だけが異世界のようでもある。
だから思った。ミレイを殺すなら――今だ、と。
「いつだ……」
下手に身動きは取れない。
変な動きをすれば、また状況が変わってしまう。
好転も悪化もあり得る。後者になることだけは避けたかった。
一周200メートルのグラウンド。整列すると、幸いなことに彼女は俺の目の前だ。だから、常に寿命の確認だけはできる。念のために付けていた腕時計で、時刻と照らし合わせた。――まだ、幾ばくかの猶予はある。
「ミコトくん、頑張りましょうね!」
「……え。あ、あぁ!」
そうしていると、不意に彼女に声をかけられて動揺してしまった。
何とか返答するが、異変に感付かれたらしい。
「どうしました……?」
首を傾げるミレイ。
俺は精一杯の笑顔を浮かべ、こう答えた。
「なんでもないよ。優勝目指して頑張ろう!」
それどころではない。
そう理解はしながらも、あえてそう口にした。
するとその時だった。彼女の隣に立つ、3年の女子がこう言う。
「――ふん。下級生のくせに、調子に乗らないでほしいですわ」
それは、とても小さな声だった。
だが神経質になっているからだろうか、俺の耳にはハッキリと届いた。それ以上はなにも語らなかったが、その女子生徒がミレイに悪意を持っているのは明らか。
それでも、今後の展開に影響なんて……。
「え……?」
ないと、そう思っていた時だ。
俺はミレイの寿命が動いたことに気付いた。
「30分、延長された……?」
それは意外なこと。
俺は少しだけ目を疑った。だがそれと同時に、
「それじゃ、行ってきますね!」
「あ……」
ミレイの番がきたらしい。
彼女は明るくそう言ってから、走路に出た。
そして、前走者からバトンを受け取って走り始める。
「どういうこと、だ……?」
俺はそれを見守りながら、次走者として走路に並んだ。
すると、その時だった。
「さぁ、準備は良いかい?」
タイガが、俺の耳元でそう囁く。
混乱の最中にかけられた声に、瞬間だけ気を取られた。直後、
「きゃっ!」
短いミレイの悲鳴が、耳に届く。
俺はハッとしてその声のした方へと目をやった。
するとそこには先ほどの女子生徒と、もつれ合うようにして転倒する彼女の姿があった。苦悶の表情を浮かべるミレイに対して、すぐに立ち上がる女子生徒。
なにかをミレイに言ってから、タイガへとバトンを繋いだ。
「悪いね、これも勝負――」
その時に、隣のタイガがなにかを言おうとした。
だが、それよりも先に――。
「大丈夫か、ミレイ!?」
俺は自然と、彼女のもとへと駆けだしていた。
近くにくるとすぐに分かったのは、ミレイの足が赤黒く変色していること。明らかに骨に異常がある。素人目でも判断できる状態だった。
「あはは、すみません。ちょっとだけ痛くて……」
「ちょっとじゃないだろ!? ほら、肩を貸すから……!」
それでも走ろうとする少女を制して、俺はミレイのその身を支える。
遅れてやってきた教員に、保健室へ連れて行くよう指示を受けて歩き出した。寿命を確認する――残り45分程度。俺は気を引き締めた。
これは、事故死ではない。
ミレイは間違いなく、何者かに命を狙われるのだ、と。
保健室にやってくると、担当医の先生が対応してくれた。
それでもやはり応急処置程度しか出来ないらしく、救急車を呼ぶと言って外へ出て行ってしまう。結果として俺とミレイだけが、そこに残されることとなった。
グラウンドの喧騒を聴きながら、息を殺すようにしてベッドに腰かける。
――残り10分。
ミレイの寿命を確認して、一つ息をついた。
彼女を殺すのならば、いまこの部屋で、というのが定石だろう。もっとも、それは犯人が人目につきたくないという条件にのみ限られるが……。
「ミコトくん。そんな怖い顔して、どうしたのですか……?」
「あ、いや。なんでもないよ、気にしないで」
そうしていると、ミレイが不安げにそう訊いてきた。
どうやら顔に出ていたらしい。無理矢理にではあるが、俺は笑みを浮かべて答えた。しかし彼女は申し訳なさそうに頭を下げて、こう言うのだ。
「ごめんなさい。私が転んだせいで、せっかくの練習が……」
それは、競技で負けてしまったことに対しての謝罪。
きっとミレイは、ずっと一緒に練習をしてきた俺に申し訳ないのだろう。そして、他のメンバーに対しても。でも俺は、そんなことを気にしてはいなかった。
何よりも、いま苦しんでいるのは間違いない――ミレイだから。
「大丈夫だよ。きっと、みんな許してくれるって!」
「でも、ミコトくん。あんなに練習したのに……」
涙目になってそう口にする彼女の頭を撫でて、俺はこう言った。
「気にしない気にしない! 俺も十分に楽しかったから! それに――」
心からの、誠意を込めて。
「ミレイと一緒なら、俺はなんだって嬉しいんだよ」
それは俺の真っすぐな気持ちだった。
ミレイはその言葉にハッとしたような表情になって、目を細める。
「ミコトくん……!」
「お、っと……」
そして、ぽすっと、俺の胸に軽く顔を埋めた。
受け止めた俺は彼女の足に響かないように注意して、優しく抱きしめる。そうすると、やはり思うのだ。理屈など関係なしに、俺はこの子のことが好きなのだ、と。
守りたい。なにがあっても、守ってみせる。
改めて、そう心に誓った――その時だ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
悲鳴が聞こえた。
それは女子生徒のものだろう。
ちょうど保健室の前で上がったそれに瞬間、身を固くする。
「ミコトくん、今のは……!?」
「静かに、ミレイはここにいるんだ!」
俺は怯える少女に指示を出して、音をたてないように立ち上がった。
少し早くないか。思って、ミレイの寿命を確認した。
「あと、5分か……」
やっぱり、変化はない。
そうなると、今の悲鳴は相手方の失策の可能性が高かった。
「いや、決めつけるな。考えろ……!」
そう考えた瞬間だ。
保健室の扉が、乱暴に開かれた。するとそこに立っていたのは……。
「なんだ、アイツは……!?」
全身を黒で統一し、顔に般若の仮面を付けた筋骨隆々な男。
右腕に一人の女子生徒を拘束し、左手には刃渡り10センチ以上の刃物を持っていた。下卑た笑い声を発しながら、そいつはゆっくりとこちらへやってくる。
俺は唾を呑み込み、手元にあったハサミを掴んだ。
ここでミレイを死なせるわけにはいかない。
「かかってきやがれ……!」
自分を奮い立たせるように。
俺は、そう小さく言葉を吐きだした。
「赤羽ミレイを出してもらおうか……ヒヒッ!」
黒ずくめの般若男は、気色の悪い声を発しながらそう言った。
俺はそいつの様子に若干の違和感を覚えながら、しかし引くことはない。しっかりと状況を判断して、どうにかしてミレイを守る。それだけしか考えていなかった。
まず確認したのは、相手の腕の中にある女子生徒のこと。
どこかで見た覚えがあるのだが……。
「あ……! アンタ、もしかして!」
「貴方は、あの時の……!?」
そして、同じタイミングで思い出したらしい。
俺たちは互いにそう声を上げた。男に拘束をされている女子生徒は、先ほどのリレーでミレイと交錯した上級生だ。膝に擦り傷がある。
おそらくは、競技を終えてあちらも治療にきたのだろう。
「た、助けなさい! ――これは命令です!!」
「この状況で、よくそんなこと言えるな!?」
女子生徒は混乱しているのか、俺に向かってそんな世迷言を口にした。
どうにも高飛車な性格をしているらしい。彼女は表情を引きつらせながらも、自分が助からないなどとは微塵も思っていない様子だった。
そんな上級生をちらりと見て、少し考える。
「後回しでいいか……」
「ちょっと、聞こえてますわよ!?」
――とりあえず、優先順位は下げてもいいかもしれない。
そう判断したのだが、それが思わず口に出てしまったらしい。女子生徒から思い切り非難の声が上がった。俺は苦笑いをしながら、彼女をなだめる。
「大丈夫。アンタの図太さなら、あと52年は生きれるから!」
「何を言ってますの!? それに、やけに具体的ですのね!!」
やはり、図太い。
この状況で、こちらにツッコむ余裕があるのだから。
俺はそれを聞いて、一つ息をついた。この状況において、この女子生徒の心配をする必要はないだろう。寿命を見たところ、52年先まで未来があるのだから。
それだとしたら、ミレイの危機を回避することを考えなければいけないかった。しかし、打開策が見当たらない。得物の差は大きい。
しかも、体格の差も考慮に入れなければならないだろう。
「さて、最後に考えないといけないのは……」
俺は、少しだけ視線を窓へと向けた。
すると反射して見えたのは――。
「これなら、いいか……!」
そこで、覚悟を決めた。
深呼吸をして、震える手をぐっと握りしめる。
戦えるはずだった。いいや、戦わなくてはならない。そうでなければ、何のための『イ・リーガル』だ。何のためのファミリーだ。
大切な子を守るために、俺はこの道を選んだのだから……!
「――――行くぞ!」
「ヒヒッ……!?」
次の瞬間に、俺は一気に駆け出した。
完全に不意打ちになったのだろう、男は短く声を上げて一歩後退。
そして女子生徒を投げ出し、刃物を振り上げるのだった。俺は一か八か、向かって左に転がる。すると、カイン! という軽快な音。相手の得物が床を打った。
「今だ……!」
俺は即座に立ち上がり、男へと距離を詰める。
そして、力いっぱいにハサミを突き出した。それは間違いなく男の脇腹を抉る。
「グギィ……!?」
苦悶の声を上げる相手に、俺はさらに蹴りを加えた。
狙うのは膝から下。素人の蹴りでも、一程度のダメージを与えられる脛だ。
その判断は果たして功と出た。男はもんどり打って倒れ込む。すると、相手の手にあった得物は床に転がった。俺はそれを見て、そちらへと駆けだす。
しかし――。
「ちっ……!?」
「まだだァ……! この、クソガキィ!」
男の判断も早い。
そのため、最後は競争となった。
果たしてその結末は――。
「終わりだァ……!」
俺の、負けだった。
床に倒れ込んだこちらに、刃物を突き付ける男。
女子生徒の悲鳴が木霊して、それがついに振り下ろされた。
「待って! 貴方の目的は、私なのでしょう!?」
「ミレイ……!?」
その時、ついに彼女が声を上げてしまった。
男の手にした刃物は、俺の喉元で動きを止める。そして、ゆっくりと視線を声のした方へと向けた。俺もそちらに目をやると、足を引きずりながら立つミレイの姿。
だが、絶体絶命と思える局面で俺は確信した。
この勝負は――。
「がっ……!?」
俺たちの勝ちだ、と……。
俺は笑った。
何故なら、ミレイの寿命は大きく延長されていたから。
それならもう、ここでの俺の役割は終わりを迎えたと言って良い。その証拠に、流れは一気にこちらへと傾くのだった。
「だあああああああああああああああああああああああああっ!?」
「がっ……!?」
絶叫と共に現われたのは――タイガ。
頬に傷を負った彼は、サッカーで鍛えたのだろうその足で思い切り男の側頭部を蹴った。なにかが砕ける音が耳に届く。そして、横倒しになった男の手からこぼれた刃物を奪い、俺は立ち上がってそれを突き付けた。短い悲鳴を上げた般若の男は、隙間から震えた眼差しを向ける。
「さすがだね、我がライバル……」
「そんなこと、言ってる場合じゃないでしょう?」
こんな時でも調子のいい発言をするタイガに、俺は心底から呆れた。
しかし、内心で感謝する。彼がこなかったら、確実に死んでいただろうと思った。ミレイの寿命を確保できたなら、俺としては十分だけど。
それでも彼女を守るのは、傍にいるのは俺でありたかった。
「あ、まて――!」
そう思っていた矢先に、タイガが声を上げる。
俺は少しだけ反応が遅れたが、どうやら男が隙を突いて逃げ出したらしい。
だが、とっさに追いかけようとするタイガを俺は止めた。首を左右に振って、とりあえず警察に連絡するんだ、と。それに彼は同意し、スマホで警察を呼んだ。
だけれども、俺は奴が捕まらないだろうと予想していた。
それなのになぜ、俺は相手を逃がしたのか。
その理由は――。
「あと1分、か……」
あの男の寿命が、もうじき終わりを迎えようとしていたから。
死に方までは分からないが、原因はおおよそ想像できた。
「きっと、アイツが向かうのは人気のない場所だ」
俺は勘を頼りに、校舎裏を目指す。
そして、もう少しでそこにたどり着く、という瞬間に――。
「………………っ!」
乾いた音がした。
しかし、それには体育祭で使うそれよりも生々しさがあった。
俺は陰に隠れて、様子をうかがう。誰かが話している。しかし、くぐもった声であるそれからは性別はおろか、誰の物なのかはまったく分からない。
息を呑んで、耳を澄ませた。すると聞こえたのは――。
「ホント、使えないわね」
そんな一言だった。
それ以上の言葉はなく、淡々と遺体の処理を済ませる集団。
俺は、ここまでと踏んでその場を後にした。焦ってはいけない。いまはその集団が存在している、そのことを確認できただけで十分だった。
だけど、いつかは相対するだろう。
何故だろうか。
自分は一介の高校生に過ぎないと理解しているのに。
その予想だけは確信に近い、不思議な感覚が胸にあったのだ。
◆◇◆
体育祭から、数日が経過した。
ミレイはやはり骨折しており、しばしの入院を余儀なくされた。
今日は日曜日。彼女の入院しているところへ、お見舞いに向かう予定だ。
「うわー、減ってるな」
鏡を見て、俺は前髪を掻き上げながらそう漏らした。
とりあえず、入院先にはアレンがいてくれるから安心だろう。そんなわけだから俺は、束の間の穏やかな朝を過ごしていた。
そうしていると、おもむろに海晴が顔を出す。
「なにが減ってるの? ――まさか、若禿げ?」
「うっせ! 余計なこと言うな!」
そして、そんな日常的なやり取り。
軽口を叩きあいながらも、笑い合う、そんな平和な時間。
「お兄ちゃん。次、私が使うから早く代わってよ」
「あー、分かった分かった」
俺は最後に、もう一度だけ鏡を見た。
そして、一つ頷いてからその場を後にする。
この選択をしたことを、後悔はしない。むしろ、誇ろう。
俺の寿命は――あと、5年。
それまで、俺はきっとミレイのことを守り続ける。
ミレイが入院してから2週間が経過した。
もうそろそろ、松葉杖を使いながらだが退院できるとのこと。送迎はアレンの運転する車になるが、とりあえずはまた彼女と学校生活を送ることができるのだ。
しかし、それまでに色々なことが発生していた。
これはミレイの入院期間中に起きた事件である。
「ん、俺に会いたい人がいるって……?」
それは体育祭の翌週の昼休み。
購買で買ってきた焼きそばパンを食べていると、田中がそう声をかけてきた。
なにやら緊張した面持ちで、俺の返答に言葉なく何度も頷いている。それほどまでにガチガチになる来客とは、いったい誰のことだろうか。
タイガ――は、違うと思う。アイツは人を使って俺を呼び出したりしない。教室に堂々と入ってきては、馴れ馴れしく話しかけてくるのだ。
「だとしたら、誰だ?」
自慢ではないが、俺は自分のクラス以外の人とはあまり絡まない。
だから、こんな時に思い当たる相手がいないのだ。
「まぁ、なにか授業の関係だろ」
でも考えたって仕方ない。
俺はそう思い、おもむろに立ち上がった。
そして、その人物がいるという教室の前に向かう。すると――。
「あ……アンタは、あの時の」
そこには、どこか見覚えのある女子生徒がいた。
肩ほどまでの黒髪に、端正な顔立ち。目元に泣きぼくろがあり、勝ち気な眼差しをこちらに向けている。腕を組んだその上には、たわわな果実が2つ乗っていた。
背丈は俺より少し低いくらいだが、態度も相まってそうは思えない。
「アンタ、とは失礼ですわね。わたくしの名前をご存じなくて?」
「申し訳ないっすけど、知らないっす」
こちらの呼び方が気に入らなかったらしい。
彼女は眉間に皺を寄せた。そして、そう訊いてきたので素直に答える。そうすると女子生徒はどこか、信じられない、といった表情になり震えてこう言った。
「ま、まぁ――それは良しとしましょう」
いや絶対、良しとは思ってないね。
そう思ったが、口には出さなかった俺、賢い。
というところで、改めて彼女は居住まいを正してこう名乗った。
「では、自己紹介しますわ。わたくしの名前は――|御堂(みどう)アカネ」
大きな胸を張って、こう誇る。
「かの世界的に有名な、御堂財閥の令嬢ですわ!!」――と。
◆◇◆
「で、そんな財閥令嬢サマが、俺なんかに何の用で?」
「言い方に棘がある気がしますわね。別に構いませんけれども……」
そんなこんなで。
俺たちは、二人で中庭にやってきていた。
学生たちが休み時間を楽しむそこは、ぶっちゃけたところアウェイだ。リア充の巣窟など滅べばいいのにと、そう思うくらいにカップルが戯れている。
イチャイチャするなら、目につかないところでお願いしたいところだった。
しかし、ゆっくり話すにはここが最適な場所であることに間違いない。なので、手頃なベンチに腰かけて俺たちは言葉を交わすことにした。
「話というのは、他でもありませんわ」
仕切り直し、とばかりにアカネはそう言う。
俺が首を傾げると、彼女は真っすぐにこちらの顔を見て続けた。
「貴方――わたくしの、ボディーガードになりなさい」
そう、命令口調で。
しばしの間を置いてから、俺はようやく声を発した。
「…………はぁ?」
なに言ってんだ、コイツ。
そんな、素直な気持ちをありったけ乗せて。
「ふふん、名誉なことですから驚くのも仕方ありませんわね!」
だが俺の反応をどう受け取ったのか、彼女は鼻を鳴らして誇らしげに言った。
そして、こちらの答えなど聞かずにこう口にする。
「もちろん、タダでとは言いませんわ。相応の対価を支払いましょう」
「相応の対価って、俺はまだやるとは――」
「さしあたって、契約料で1000万円といったところでしょうか」
「――いっせん……!?」
その金額に、思わず咳き込んでしまった。
なにを考えているんだ、この子は! なにかの冗談だろう!?
そう思ったのだが、至って真面目にアカネは俺の目を見てこう口にするのだった。それは少しばかり、聞き逃すことができない内容で……。
「実はですね、わたくしフランスのマフィアに命を狙われてますの」
「…………なんだって?」
俺は、ついついそう訊き返していた。
「本当ですわ。金銭目当てでしょうけれど、まさか海外の組織に狙われるなんて――さすが、わたくしですわね!!」
「なぜに、そこで自慢げになるのか。そこだけは疑問なんですけど?」
「とにかく、この条件でいかがですか?」
「いかがですかって……」
ツッコみを入れながら、苦笑い。
どうにも真偽こそ不明ではあるが、アカネが本気なのは確かだった。
それに、フランスのマフィア、という単語が引っ掛かる。本来マフィアといえばイタリアが発祥であり、フランスにもあれど数は多くないはずだった。
そうなると『イ・リーガル』が無関係、とは言い切れない。
「………………」
そこまで考えてから、俺はあることを確認した。
そして、大きくため息をついてから……。
「分かった。いつまで、護衛すればいい?」
アカネに、そう答えた。
すると彼女は待ってました、と言わんばかりに頷く。
「期間は今週末のパーティーが終わるまで。よろしくお願い致しますわ」
「……今週末、か。分かったよ」
俺が了承すると、令嬢は満足げに笑って立ち上がった。
「それでは、今日の放課後からお願いします」
そう言い残し、去っていく。
俺はそんなアカネの後ろ姿を見ながら、呟いた。
「今週末の、23時――か」
それは、彼女の寿命。
どうやら、俺は結構にお人好しらしい。