写真家のき碓井(ウスイ)さんは俺の師匠で、雇い主で、そしてよき理解者であった。
碓井さんは、『お前の写真には心がなくなった』と言った。


俺が碓井さんの元でアシスタントをやるようになったのは、高校二年の夏にフォトコンテストで賞を取ってからだ。審査員をしていた碓井さんに声を掛けてもらった。


総一郎(そういちろう)はこれからもっと伸びる。新しい世界を見て、視野がどんどん広がっていく度に、もっと良い感動を伝えられるようになるよ』

だから、撮り続けろと言ってくれた。才能を買ってくれ、プロの世界に触れる機会を与え続けてくれていた。


しかし俺は、あの日からずっと写真を撮っていない。


スランプ?いや、違う。
原因なんて分かりきってる。偉琉(タケル)だ。偉琉が居なくなったからだ。

偉琉に会えなくなってから、あんなにも煌めいていた世界が、急に霞んで見えるようになってしまったんだ。


『総一郎の技術は素晴らしいと思うよ。魂抜けたままでそんだけ撮れれば大したもんだ。露出も構図も完璧だよ。その才能があれば、この先もなんとなくやっていけるんだろうよ』

撮れなくなってからも、碓井さんは叱るでもなく慰めるのでもなく、ただ近くで見守っていてくれた。

だがこれはつい先日言われたことだった。情けなくも胸に突き刺さっていた。

とうとう呆れられてしまったか。

カメラを持つと寂しくて堪らなくなるんだ。楽しかった筈の思い出なのに、思い出すと泣けてくる。カメラを持つ腕は鉛のようで、フィルターを覗くと脳に電気が走るように痛みが走った。

だから写真はもういいかなって諦めていた筈なのに、突き放されたような気持ちになった。


期待に応えられない歯がゆさがちゃんとあるのに、撮るのが辛い。



『今の総一郎には何も感じない。ただ上手いだけで、ストーリーも感情も訴えるものが何もない』

碓井さんが俺に批評をくれたのは、賞をとって以来だった。

「最後通告かな」

自嘲する。
どうしても、シャッターを切るときの、あの高揚した気持ちを思い出せない。偉琉と一緒に、意欲まで失ってしまったのか。

偉琉の"最後の日"から仕舞いっぱなしだった。

お揃いだったカメラが入った段ボールは、埃だらけになっていた。