紗穂との通話を終えたスマートフォンが、リビングの窓から差し込む西日を受け、反射する。二月の下旬。窓に目を向けると、寒々しい空が広がっている。マンションは十一階建てで、夫は見晴らしの良い九階の購入を決めた。「愛する妻にも、愛する子供にも広い空を見せてあげたい」と言っていた。私は、そんなことを母から言われたことがあっただろうか。安普請のアパートを思い出す。ダイニングキッチンに和室が二間だけの家。母や父との思い出が豊かなものであれば、そんな狭小な部屋でも愛着を持てたかもしれない。だけど、私は母に呪いをかけられていた。私にとって、あの家はコンプレックスの塊でしかない。今、私も紗穂もいないあの冷たい部屋で母はどんな生活をしているのだろうか。生活保護を受けようにも、無知な母にそれができるとは思えない。きっと、わずかな父の収入を当てにしながらその日暮らしをしているのだろう。紗穂が保育園に入る頃に始めたパートだって、結局は長続きしなかったのだ。
 瞳を閉じて想像してみる。料理が苦手な母のことだから自炊はしていないはずだ。菓子パンやインスタント食品を貪り、眠くなったら張替のしていない畳の上で寝ているのだろう。情けない。なんて情けないんだ。我が親ながら、貧相で直視もできない。そんな母が末期癌で苦しんでいる。入院できる金はあるのだろうか。医療の助成を受けているのだろうか。日中は誰が母を見ているのだろうか。
 不思議と腹が立ってきた。ふつふつと静かに湧いてくる怒り。

 無知だからと生活保護を諦めるのか。
 保険には入っていないのか。
 末期癌になるまでどう過ごしてきたのか。
 金がないなりに工夫はしてこなかったのか。
 黙っていても誰かが助けてくれると思っているのか。
 また、私にそうやって呪いをかける気なのか。

 頭の中が怒りで揺さぶられる。ぐわんぐわんと目が回りそうになる。座っていながらもふらついてしまった私は、テーブルの角にしがみつき、何とか体勢を保った。ふと、正面を見ると、誰かが立っているのが見えた。
 あぁ、あなたは。高校生の頃の私だ。公立の商業高校の制服を着た私。何か伝えたいことでもあるのか。高校生の私は、今を生きる私にゆっくりと近付いてきた。