私は紗穂との通話を終えた。スマートフォンをリビングのテーブルに放るように置く。長いため息を吐いた。……母の余命がもうあと一か月。どうするのが正解なのだろう。私は紗穂が生まれた年のことを思い出していた。

 私は夏の夕暮れ時に生まれたから「夕香」、紗穂は秋の穂が実る時期に生まれたから「紗穂」と、それぞれ名付けられた。自分の名前が嫌いなわけではなかったが、紗穂という優しい響きが羨ましいなと、九歳ながらの私は思っていた。
 ふにゃふにゃと泣いたり笑ったりを繰り返す紗穂を見て母が言った。
「夕香もお姉ちゃんなんだから紗穂の面倒を見なさいよ」と。父はフリーの写真家で、夕香が物心付いた時からほとんど家にいなかった。だから、紗穂の面倒は自分と母で協力して見るのだと。私はそれが姉である自分の務めだと黙って頷いた。
 しかし、紗穂の面倒は思いの外、大変だった。おしめ替え、ミルクやり、着替えの他にも、汗をかいたら柔らかいガーゼで肌を傷つかないように拭き取ったし、絵本を読んだり、ぬいぐるみであやしたりと、紗穂の遊び相手も私がすべて行っていた。
 母は洗濯やお風呂、母乳を与えるだけで、それ以外の時間はアパートの狭い部屋でだらだらと過ごしていた。紗穂に愛情がないわけではなかったと思う。ただ、最低限の義務を果たすことで、後のことは私に丸投げすればいいと思っていたのだろう。
 紗穂が成人してから、私にこう言ったことがある。「私、小さい頃にお母さんに遊んでもらった記憶がない。お姉ちゃんの後ばかりついてた気がする」と。実際に紗穂の記憶は間違っていなかった。紗穂の遊び相手はいつも私。卒乳後に食事の面倒を見るのもいつも私だった。
紗穂が四歳になり、私は中学に進級した。母がパートを始めると同時に紗穂を保育園に入れることになった。保育園と私が通う中学校は距離が近かった。だから母は、私に紗穂の送迎を頼んだ。
「保育園と近くて良かったわね。紗穂もお姉ちゃんと一緒にいられるって喜んでる」と言った。