LCTの寿命の書き換えは全人類に起こった。
隕石が衝突するのか、過去の大噴火のような災害が起こるのか、それとも未知のウイルスが蔓延するのか。
様々な仮説が議論される中、答えは誰にもわからなかった。ただ、ぼくたち人類に残された余命はあと一ヶ月という事実だけが真実だった。
政府は非常事態宣言を発令し、全ての人類に対しコールドスリープに入るよう通達を出した。その場しのぎな解決策ではあるがとりあえず、一ヶ月という余命を先延ばしにすることができるからだ。
「解熱剤と、ビタミン剤。これも……一応持っていくか」
周りの人々がコールドスリープで眠りゆく中、ぼくはまだ病院の廊下を歩いていた。
それは彼女、函館美和の治療をするためだ。
あの日倒れた理由を、函館さんは疲れただけだというがぼくにはそうは思えなかった。しかし、医者も正規の看護士もみんな眠ってしまったいま、こうしてかじった知識で函館さんへの服薬を見つけるのが精一杯だった。
「なにしてるんですか?」
函館さんの病室を開けると、函館さんはあの日のようにセーラー服を着て、カバンに荷物を詰め込んでいた。
「なにって、ここから出て行くんだよ」
「この間倒れたばっかりでしょ。精密検査も受けてないし、LCTにも登録しないまま。このままじゃ、函館さんはいつ死ぬかわからないんですよ」
「それが当たり前なんだよ。それが嬉しいんだよ」
函館さんは手を止めず、なんでもないことのようにさらりと呟く。
眉根を寄せるぼくの顔を見て、函館さんはカバンをパタンと閉じる。
「コールドスリープで眠る前、私は余命宣告を受けた。今の小野寺と同じ。一年って言われた」
「……え?」
「私はもともと体が弱くて、小さい頃からまともに学校にも通えなかった。それでもちょっとだけ回復して、これから高校入学するぞって時に余命宣告受けて即入院。いろんな治療を受けたけどダメで。その結果、こうして百年後の世界でひとりぼっちだよ。こんなことなら余命なんて知りたくなかった。余命なんてクソくらえだよ」
「じゃあ函館さんは、もう死んでもいいって思ってるの?」
「そうじゃないって。すごく生きたいよ」
今までにないくらい、函館さんははっきりとした口調で言い切った。
「いつか、この世に絶対はないって言ってたけど、人は絶対に死ぬ。それだけは百年たっても変わらない。だけどさ、毎日自分の終わりを意識しながら生きるのなんてつまんないじゃん」
そうでしょ、と函館さんはぼくを見る。
その目はマクドナルドでぼくを見つめたときと同じものだった。生きることを諦めているぼくのことを。
「あんたを見てると、私は昔の自分を見てるようでムカつくんだよ」
ぼくは、函館さんから顔を背け、過去に誰かから言われた言葉を繰り返すことしかできない。
「余命を知らないと、無駄な日々を過ごすことに……」
「無駄じゃないし、って言うか無駄でもいいじゃん」
「……え?」
「昼過ぎぐらいまで寝ちゃって、出かけようか家にいようか迷ってる間に結局夕方になって寝る時に今日一日なのにしなかったな、っていう日とかさ。友だちと勉強しようねって家に集まったけど結局全然勉強捗らなかった時間とか。そういう無駄に思える小さな日々だって私はかけがえないものだと思うし、大切な記憶だと思う」
函館さんの言葉を聞いて、ぼくはふいに、昔のことを思い出した。それは小学校の頃、まだ自分の余命を知らない頃の記憶だ。
その頃のぼくは毎日があっという間だった。
友だちと外で遊んだり、ゲームをやりこんだり、テストで良い点を取ろうと頑張ったり、時間がいくらあっても足りなかった。
だけど、中学に上がる頃、ぼくは両親から自身のLCTによる余命を知らされた。
その時、ショックよりもまず、腑に落ちたことがあった。
ぼくはもっと小さい頃、長い間入院をしていたことだ。
生まれてすぐにLCTに登録され余命を受けたが、両親は我が子のあまりにも早い余命に抗おうと、たくさんの精密検査を受けさせた。
ぼくはなにも知らされず、ただなにもないベッドに寝ているだけの毎日が退屈で、窓から見える他の子どもたちが楽しそうで、いつしか心を閉ざしていった。
だけど、そこで出会った看護師さんたちがいつもぼくに構ってくれた。
「大丈夫。慎吾くんはきっと良くなるよ」
「お薬飲めて偉いね」
検査の時も、それ以外の時にも病室に来て話し相手になってくれた。ぼくが薬の副反応で体調が良くないときは励ましてくれて、ぼくが元気なときは一緒に笑ってくれる。
そんな彼らに囲まれているうちに、いつしかぼくは、彼らのような看護師や医者になりたいと思うようになった。
自分もいつか医者になりたい。退院時、花束を抱えたぼくは一生懸命、先生に伝えた。
「小野寺くんならきっとなれるよ」
あの時の先生の言葉が、ぼくの生きる希望だった。だけどぼくは二十二歳までしか生きられない。
勉強しても、高校を卒業して大学の医学部に進学しても、卒業する頃には余命が尽きる。医者になる前に死んでしまう。
だったら、目指すだけ無駄じゃないか。
そうしてぼくは、いろんなことを諦めてきた。
「じゃあね、小野寺さん。色々お世話になりました」
カバンを掴んだ函館さんは深々と頭を下げる。
「どこに行くの?」
「別に決めてないけど、ここにいる理由もないし。みんな一ヶ月後には眠っちゃうんでしょ」
「函館さんは、コールドスリープに入らないの?」
「もう十分入ったよ」
「一ヶ月後に『死ぬ』かもしれないんだよ」
チッチッチッ、と函館さんは人差し指を振りながら舌を鳴らす。
「私は一ヶ月後に『死なない』かもしれない」
「どうして」
「だってLCTに言われてないもん」
「……それは登録してないからだろ」
函館さんは初めて会った時のように片方の口角を上げ、ニヤリと笑った。
そうだ。
あの時ぼくが函館さんにムカついたのは、余命を知り、後悔のない生き方をしてきたはずのぼくよりもずっとずっと、楽しそうだから。
「じゃあね」
ぼくを通り過ぎ、扉に手をかける函館さんには、もはやなにをいっても無駄だろうと、函館さんと過ごした日々がぼくに教えてくれる。
函館さんはここから出ていく。
もう会うことはないだろう。
函館さんの背中を見ながら、ぼくはまた諦めようとしていることに気がついた時、無意識のうちに声が出ていた。
「一緒に……」
振り返る函館さん。まっすぐな函館さんの目からぼくは顔を背けることなく、じっと函館さんを見つめ返す。
「一緒に、北海道に行ってみませんか?」
しんと静まる病室に、暖かな風が吹き込む。
「北海道って、もうないんでしょ?」
「……ないけど」
「じゃあ無駄じゃん」
「無駄、だけど……」
そう。全ては無駄だ。
どうせあと一ヶ月で死んでしまうし、人々が眠りにつきライフラインが止まった世界で移動するのは困難だし、そもそも北海道は海に沈んでいるし。
それでもぼくは。
「函館さんと、一緒にいたいから」
かつてぼくが憧れた医者や看護師のように、どんな時もそばにいる存在でありたいと思った。
だってぼくは、函館さんのアシスタントナースだから。
ぼくの発言が意外だったのか、函館さんは目を見開き、ボソボソと呟く。
「無駄の極致じゃ、なかったのかよ」
「は?」
「なんでもない!」
函館さんは真っ赤になった顔をブルブルと揺らし、力強く扉を押し開く。
なにか怒らせてしまっただろうか。
「あの、函館さ……」
「そうと決まれば急ぐよ! 明日死ぬかもしれないんだからさ!」
函館さんはぼくの言葉をかき消すと、風のように駆け抜ける。
「待ってください!」
ぼくは急いで更衣室へ向かい、リュックの中に着替えや、函館さんのための薬を詰め込む。すると腕に装着されたデバイスが目に入った。
もう、いらないな。
ぼくはデバイスを外し、函館さんの元へと急いだ。
誰もいない更衣室で、静かにデバイスが震える。
『LCTより通知が一件』
それからすぐに自動的に通知が表示される。
『あなたの寿命が書き換わりました』
そのメッセージを読むものは誰もいない。
隕石が衝突するのか、過去の大噴火のような災害が起こるのか、それとも未知のウイルスが蔓延するのか。
様々な仮説が議論される中、答えは誰にもわからなかった。ただ、ぼくたち人類に残された余命はあと一ヶ月という事実だけが真実だった。
政府は非常事態宣言を発令し、全ての人類に対しコールドスリープに入るよう通達を出した。その場しのぎな解決策ではあるがとりあえず、一ヶ月という余命を先延ばしにすることができるからだ。
「解熱剤と、ビタミン剤。これも……一応持っていくか」
周りの人々がコールドスリープで眠りゆく中、ぼくはまだ病院の廊下を歩いていた。
それは彼女、函館美和の治療をするためだ。
あの日倒れた理由を、函館さんは疲れただけだというがぼくにはそうは思えなかった。しかし、医者も正規の看護士もみんな眠ってしまったいま、こうしてかじった知識で函館さんへの服薬を見つけるのが精一杯だった。
「なにしてるんですか?」
函館さんの病室を開けると、函館さんはあの日のようにセーラー服を着て、カバンに荷物を詰め込んでいた。
「なにって、ここから出て行くんだよ」
「この間倒れたばっかりでしょ。精密検査も受けてないし、LCTにも登録しないまま。このままじゃ、函館さんはいつ死ぬかわからないんですよ」
「それが当たり前なんだよ。それが嬉しいんだよ」
函館さんは手を止めず、なんでもないことのようにさらりと呟く。
眉根を寄せるぼくの顔を見て、函館さんはカバンをパタンと閉じる。
「コールドスリープで眠る前、私は余命宣告を受けた。今の小野寺と同じ。一年って言われた」
「……え?」
「私はもともと体が弱くて、小さい頃からまともに学校にも通えなかった。それでもちょっとだけ回復して、これから高校入学するぞって時に余命宣告受けて即入院。いろんな治療を受けたけどダメで。その結果、こうして百年後の世界でひとりぼっちだよ。こんなことなら余命なんて知りたくなかった。余命なんてクソくらえだよ」
「じゃあ函館さんは、もう死んでもいいって思ってるの?」
「そうじゃないって。すごく生きたいよ」
今までにないくらい、函館さんははっきりとした口調で言い切った。
「いつか、この世に絶対はないって言ってたけど、人は絶対に死ぬ。それだけは百年たっても変わらない。だけどさ、毎日自分の終わりを意識しながら生きるのなんてつまんないじゃん」
そうでしょ、と函館さんはぼくを見る。
その目はマクドナルドでぼくを見つめたときと同じものだった。生きることを諦めているぼくのことを。
「あんたを見てると、私は昔の自分を見てるようでムカつくんだよ」
ぼくは、函館さんから顔を背け、過去に誰かから言われた言葉を繰り返すことしかできない。
「余命を知らないと、無駄な日々を過ごすことに……」
「無駄じゃないし、って言うか無駄でもいいじゃん」
「……え?」
「昼過ぎぐらいまで寝ちゃって、出かけようか家にいようか迷ってる間に結局夕方になって寝る時に今日一日なのにしなかったな、っていう日とかさ。友だちと勉強しようねって家に集まったけど結局全然勉強捗らなかった時間とか。そういう無駄に思える小さな日々だって私はかけがえないものだと思うし、大切な記憶だと思う」
函館さんの言葉を聞いて、ぼくはふいに、昔のことを思い出した。それは小学校の頃、まだ自分の余命を知らない頃の記憶だ。
その頃のぼくは毎日があっという間だった。
友だちと外で遊んだり、ゲームをやりこんだり、テストで良い点を取ろうと頑張ったり、時間がいくらあっても足りなかった。
だけど、中学に上がる頃、ぼくは両親から自身のLCTによる余命を知らされた。
その時、ショックよりもまず、腑に落ちたことがあった。
ぼくはもっと小さい頃、長い間入院をしていたことだ。
生まれてすぐにLCTに登録され余命を受けたが、両親は我が子のあまりにも早い余命に抗おうと、たくさんの精密検査を受けさせた。
ぼくはなにも知らされず、ただなにもないベッドに寝ているだけの毎日が退屈で、窓から見える他の子どもたちが楽しそうで、いつしか心を閉ざしていった。
だけど、そこで出会った看護師さんたちがいつもぼくに構ってくれた。
「大丈夫。慎吾くんはきっと良くなるよ」
「お薬飲めて偉いね」
検査の時も、それ以外の時にも病室に来て話し相手になってくれた。ぼくが薬の副反応で体調が良くないときは励ましてくれて、ぼくが元気なときは一緒に笑ってくれる。
そんな彼らに囲まれているうちに、いつしかぼくは、彼らのような看護師や医者になりたいと思うようになった。
自分もいつか医者になりたい。退院時、花束を抱えたぼくは一生懸命、先生に伝えた。
「小野寺くんならきっとなれるよ」
あの時の先生の言葉が、ぼくの生きる希望だった。だけどぼくは二十二歳までしか生きられない。
勉強しても、高校を卒業して大学の医学部に進学しても、卒業する頃には余命が尽きる。医者になる前に死んでしまう。
だったら、目指すだけ無駄じゃないか。
そうしてぼくは、いろんなことを諦めてきた。
「じゃあね、小野寺さん。色々お世話になりました」
カバンを掴んだ函館さんは深々と頭を下げる。
「どこに行くの?」
「別に決めてないけど、ここにいる理由もないし。みんな一ヶ月後には眠っちゃうんでしょ」
「函館さんは、コールドスリープに入らないの?」
「もう十分入ったよ」
「一ヶ月後に『死ぬ』かもしれないんだよ」
チッチッチッ、と函館さんは人差し指を振りながら舌を鳴らす。
「私は一ヶ月後に『死なない』かもしれない」
「どうして」
「だってLCTに言われてないもん」
「……それは登録してないからだろ」
函館さんは初めて会った時のように片方の口角を上げ、ニヤリと笑った。
そうだ。
あの時ぼくが函館さんにムカついたのは、余命を知り、後悔のない生き方をしてきたはずのぼくよりもずっとずっと、楽しそうだから。
「じゃあね」
ぼくを通り過ぎ、扉に手をかける函館さんには、もはやなにをいっても無駄だろうと、函館さんと過ごした日々がぼくに教えてくれる。
函館さんはここから出ていく。
もう会うことはないだろう。
函館さんの背中を見ながら、ぼくはまた諦めようとしていることに気がついた時、無意識のうちに声が出ていた。
「一緒に……」
振り返る函館さん。まっすぐな函館さんの目からぼくは顔を背けることなく、じっと函館さんを見つめ返す。
「一緒に、北海道に行ってみませんか?」
しんと静まる病室に、暖かな風が吹き込む。
「北海道って、もうないんでしょ?」
「……ないけど」
「じゃあ無駄じゃん」
「無駄、だけど……」
そう。全ては無駄だ。
どうせあと一ヶ月で死んでしまうし、人々が眠りにつきライフラインが止まった世界で移動するのは困難だし、そもそも北海道は海に沈んでいるし。
それでもぼくは。
「函館さんと、一緒にいたいから」
かつてぼくが憧れた医者や看護師のように、どんな時もそばにいる存在でありたいと思った。
だってぼくは、函館さんのアシスタントナースだから。
ぼくの発言が意外だったのか、函館さんは目を見開き、ボソボソと呟く。
「無駄の極致じゃ、なかったのかよ」
「は?」
「なんでもない!」
函館さんは真っ赤になった顔をブルブルと揺らし、力強く扉を押し開く。
なにか怒らせてしまっただろうか。
「あの、函館さ……」
「そうと決まれば急ぐよ! 明日死ぬかもしれないんだからさ!」
函館さんはぼくの言葉をかき消すと、風のように駆け抜ける。
「待ってください!」
ぼくは急いで更衣室へ向かい、リュックの中に着替えや、函館さんのための薬を詰め込む。すると腕に装着されたデバイスが目に入った。
もう、いらないな。
ぼくはデバイスを外し、函館さんの元へと急いだ。
誰もいない更衣室で、静かにデバイスが震える。
『LCTより通知が一件』
それからすぐに自動的に通知が表示される。
『あなたの寿命が書き換わりました』
そのメッセージを読むものは誰もいない。