「死ぬ前にしたいことのベタなやつ、一緒に消化しようぜ」

 それは1通のメッセージ。幼馴染からである。

 彼のことはずっと避けている。大学進学で上京する時突然実家にやってきて、「ずっと前からめっちゃ好きです」と祖母の前で告白した、頭のおかしな男だから。

 彼と、折目正しい安寧を目指している私のこれからは、永遠に交わらないと思っていた。このメッセージだって既読無視に値する代物。でも、この時の私は思考を投げ出したくなるほどに疲弊していた。

 家具メーカーの営業職という、特に希望したわけではない仕事に忙殺されて、好きかどうかわからない恋人とは先月別れたばかり。

 ニュース番組をぼーっと鑑賞しながら、ああ、私はこのまま孤独死するんだなと悟った時、心の隙間に入り込んできたのがこのメッセージだ。

 誰かの温もりが欲しい。それだけの理由で、いいよ、と返信してしまった。

 飛行機に乗って極寒の異国の地に連れて行かれることを事前に知っていれば、もう少しちゃんと検討できたかもしれないけれど、もう、なにもかも遅い。
 

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 身体中に貼るカイロを付け合った、夜中の1時。厚手の服を重ね着して、耐寒性に優れたお揃いのダウンジャケットを着込んだ。

 空港で購入したダウンジャケットは、このご時世でも値下げをしない有名なブランド品だ。

 上着にお金をかけたのには理由がある。ここはマイナス25℃の未知の世界。極寒と呼ばれる異国の地に備えが必要だったから。私は寒さが特に苦手だ。だから余計、どうしてこんなところにいるのか分からない。不安と後悔が頭の中をぐるぐると回っている。

 ホテルの外に出てすぐ、頬を刺すような寒さに体が縮こまった。街灯が少なくて、手前20メートルほどしか見えていないけれど、その先にも銀世界が広がっているのだろうということは想像がつく。

 寒さにうんざりしている場合じゃない。周りの景色をよく見ようと目を凝らしていたとき、足元を滑らせてしまった。転ぶ寸前のところで、隣の腕にしがみつく。

「あ、ぶね!気をつけろよ」

 声をした方を見上げると、私を片腕で支えたまま、カチカチと歯を鳴らしている静流(しずる)がいた。

 ありがとう、という私の言葉に被せるように、彼が突然大きな声を出す。

「さっむ!」

 私の肩が驚きで飛び上がった。

「ねえ、大きな声で当たり前のこと言わないでよ。マイナス25℃だよ?」
「はは、お前も声震えてる」
「だって、マイナス25℃だから」
「どうした?語彙力ぜんぶ、日本に置いてきたか?」

 腹立つ言葉だ。でも、今回は私の体を支えてくれたことに免じて許してやることにする。

 ホテルの前に中型バスが停まっていた。参加者のほとんどが、両手を合わせ祈りを捧げながら乗り込んでいく。十数人が吐いた息は全部真っ白で、その白の行先を目で追った。

 たどり着いた先には、息が止まりそうなほどに綺麗な夜空が広がっていて、月がやさしく輝いている。

「夜空に感動してどうすんの」

 意地悪な男を肘で小突いた。彼の明るい笑い声が聞こえたのだろう。死人のような顔をした参加者たちから厳しい視線が向けられる。

 生きた心地がしないのは、みんな同じ。気持ちは分かるので文句を言う気にはなれなかった。