余命半年のきみに、僕は恋をした。


「うん。私が今、やりたいこと書き出してみたの。でもほんとはね、もっとたくさんあったの。だけどそれを全部書き出してやろうとすると、きっと時間が足りない」

 まるでそれは自分がいなくなることを予感しているようで。

「足りないって、だからそれは……」

 生きることを諦めないでほしいと言葉を紡ごうとすると、

「──でも私、まだ諦めてないよ」

 今度は期待に満ち溢れているような言葉が落ちるから、「え」僕は理解が追いつかなくなる。

「牧野くんの気持ちを無駄にはしない」

 自分の人生に悲観していることを言ってみたり、希望を持ってみたり。彼女の言葉が目まぐるしい。まるでルーレットのように切り替わる。

「絶対に諦めないから、私のやりたいこと一緒に手伝ってくれないかな」

 そう告げられて、僕の答えは一択だ。

「うん、もちろん」

 だって僕から言い出したことだから。

「よかった」

 と、笑った水戸さん。

 その笑顔を見て、心が温かくなる。

 誰かに必要とされたことが初めてで、不思議な気持ちが心に充満する。

 そわそわして落ち着かない。それなのにぽかぽかと温かくて。

 まるで心の中が満たされるようで。

 この世界に絶望していることがあった僕は、水戸さんによって救われた。

 なんてこと、きっときみは知らない。

 ◇

 その翌日から、水戸さんのやりたいことを達成するチャレンジが始まった。

 放課後、二人して河川敷の芝の上を見つめること一時間。

「……あのさ、これ無理じゃ……ない?」

 僕たちが何をしているのかと言うと、やりたいこと①の四つ葉のクローバーを見つけることだった。

「牧野くん、諦めるの早くない? 私のやりたいこと一緒にしてくれるんじゃなかったの」

 水戸さんと話すようになって一ヶ月以上が過ぎた。段々としゃべることにも慣れて、今では目を見てしゃべれるまでになった。

「いや、それはもちろんするけどさ……探し始めて一時間だけど見つかる気配ないよね」

 広い河川敷をあらかた探してみたけれど、三つ葉しかない。

「うーん、やっぱり無理なのかなぁ」

 やりたいこと①がこれじゃあ他のができないんじゃないかと不安すら湧く。

「牧野くん、今日は……」

 でも、言い出したのは僕だ。

「もう少し探してみる!」

 僕が諦めてどうするんだ。

 まだ一時間じゃないか。そんな弱音吐いてどうするんだ!

 肘の下まで下がっていたシャツをまた捲り上げて、四つ葉のクローバーを探し始める。

 ──ポツッ

 けれど、そんな気合いも虚しく空からは小さな雨粒が降り始めた。

「あっ、雨だ……」

 なんでよりによってこんなときに雨なんて。

「ほんとだ……あっ、水戸さんは帰って大丈夫だよ。僕、もう少し探してみるから」
「で、でもそれじゃあ牧野くんが風邪ひいちゃう」
「僕は大丈夫だから──…」

 こんな雨粒、どうってことない。そう思ったけれど、僕ではなく水戸さんはどうなる?

 雨に濡れて身体が冷えてしまったら、それこそ身体に悪い。

「やっぱり今日は帰ろう」

 慌てて立ち上がると、かばんの中からタオルを取り出して彼女に差し出した。

「え、牧野くん……?」
「か、風邪ひくといけないから」
「でも、牧野くんが」
「うん。僕は大丈夫だから」

 無理やりタオルを広げると、彼女の頭にそれを被せた。

 こんなときに傘を持っていてスマートに助けてあげられたらどんなによかったことだろうか。けれど、そんなこと考えても無意味で。

 とにかく彼女が濡れないようにと、ぴったりとくっついて近くの公園に避難した。


 ***


 それからも何日もかけて四つ葉のクローバーを探し続けた。けれど、なかなか見つからなくて時間だけが過ぎてゆく。

 そんなことに苛立ちを感じていた。

「ないねぇ……」
「う、うん」

 箇条書きされた数字は、まだ一番上。

 ひとつもクリアできていなかった。

「やっぱりこれはやめようかなぁ」

 水戸さんは、諦めモードになる。

 けれど、僕は諦めたくない。

「もう少し僕に探させてくれないかな!」
「え、でも、毎日放課後探すの大変でしょ」
「ううん、全然!」

 大変なんかじゃない。

 むしろ、これは必ず見つけ出したい。

「ここまできたらなんとしても見つけたいから」

 ──四つ葉のクローバーを探し出すことができたら、水戸さんの病気が治るんじゃないかって。

 そんな期待をしてしまう。
 願ってしまう。

「じゃあ私ももう少し頑張る」
「でも、水戸さんあまり無理しない方が……」
「今日はすごく調子がいいの。だから大丈夫」

 陽だまりのような笑顔を浮かべる。

 まるで、病気など患っていないようなほどに元気だ。

「心配してくれてありがとう、日和くん」
「え……ええ?」
「ここまで私たち仲良くなれたのに牧野くんって名字で呼ぶなんてそっけないでしょ? だから日和くんって呼びたいんだけど、ダメ……かな」

 真っ赤な顔をさせて、俯く水戸さん。

 夕焼け色のオレンジが、あたり一面を温かく染める。

 そんなの、ダメじゃない。

 むしろ僕にとってそれはご褒美みたいなもので。

「……呼んでくれると、嬉しいです」

 僕の心は素直だった。

 ──ああ、顔がすごく熱い……

「日和くん顔、真っ赤」

 いつのまにか顔を上げていた水戸さん。

 けれど、それは。

「み、水戸さんこそ……」
「じゃあ……これは夕焼けのせいにしよっか」
「そ、そうだね」

 これは、夕焼けのせい。

 それからしばらく二人とも顔を赤くさせたまま、ぎこちない雰囲気で四つ葉のクローバーを探した。

 ◇

「なぁ、昨日河川敷で牧野が水戸さんといるところ見たんだけど、何してたの?」

 朝、学校へつけば教室の中はそんな話題で持ちきりだった。そのせいで水戸さんの周りには、いつも以上に人で溢れていた。

 そうだ。河川敷でそんなことをしていたら、クラスメイトに見られるのは容易に理解できたはずなのに、すっかり忘れていた。

 水戸さんに迷惑をかけることになってしまった。なんとかして助けなきゃ。

「お、牧野ちょうどいいところに!」

 僕に気がついたクラスメイトの視線は、一斉に僕の周りに集まる。まるで野次馬のようだ。

「お前、昨日河川敷で水戸さんと一緒にいなかった?」

 ここでいなかったと答えたとしても、彼らは納得してくれないだろう。

 だったらここは素直に。

「いたよ」

 肯定した方がいい。

 そんな僕を心配そうに、おろおろと狼狽える水戸さんが視界に映り込む。どうやら僕が〝病気〟のことを言ってしまわないか気にしているのかもしれない。

 安心して、水戸さん。僕はちゃんと約束を守るから。

「なんでお前が一緒にいるんだよ」

 このときの僕は、少し冷静だった。

「ちょっと僕の無くし物を探すの手伝ってもらってただけ」

 いつも自信がなくて、弱くて、目立たない人間なのに。水戸さんのことになると、どうやら僕は強くなるみたいだ。

「探してるとき偶然、そこに水戸さんが通りかかって。優しい水戸さんが声をかけてくれたんだ。だからみんなが思っているようなことはなにひとつないから」

 嘘がするすると口からこぼれ落ちる。

 みんな僕の言葉を聞いて、『なんだよ』『まーそうだよな、牧野だし』と納得しだす。

「もう行ってもいい?」

 寄ってたかって集まられるのは居心地が悪い。僕は早くここから逃げたかった。先頭にいた釘崎くんが「お、おお」と返事をするから、それを聞いた僕は机にかばんだけを置くと、教室を出た。

 べつにクラスメイトは悪い人たちではないと思う。ただ、水戸さんが人気者なだけに僕がそばにいると納得できないらしい。


 ***


 休み時間のたびに水戸さんは僕を気にして何度か声をかけようとしていたが、また僕たちが一緒にいたらクラスメイトは怪しむだろうからと僕は、なるべく水戸さんに距離を取った。

「日和くんっ!」

 お昼休み、購買で飲み物を買った帰り水戸さんに声をかけられる。

「ど、どうしたの?」
「朝のことなんだけど……!」

 水戸さんがなにを言いたかったのか手にとるように分かった僕は、

「あ、あれはあー言ってた方が都合いいと思うし、それに……水戸さんには迷惑かけたくないから」

「め、迷惑って、日和くんは私のために……」
「うん。でも僕から言い出したことだから、水戸さんは関係ないよ」

 それに絶対に病気のことは知られるわけにはいかないし。

「水戸さん、早く教室戻らなきゃみんなまた探しに来ちゃうよ」
「え? …あ、でも……」
「それに僕と一緒にいたらまた何を言われるか分からないから」

 僕は、迷惑をかけたいわけじゃない。

 きみのために力になりたいんだ。

 背を向けて歩き出そうと思った矢先、

「なんで、そんなこと言うの……っ」

 後ろの方で少しくぐもった声が漏れる。

「どうして日和くんと一緒にいちゃダメなの」
「だ、だからそれは、僕が暗くて目立たないから、僕と一緒にいたら何を言われるか分からないし……」

 僕と水戸さんの住む世界は、違う。

 だから、一緒にいると迷惑をかけてしまう。

「……なにそれ」

 少し感情的になる水戸さんは、顔を俯かせて肩を震わせていた。

 泣かせてしまったのかなと心配になり、手を差し伸べようと思ったら、

「私が誰といようが誰としゃべろうが……そんなのっ、私の勝手だもん……!」

 顔をあげた水戸さんの表情は、今にも泣きそうな顔をしていた。

「水戸さん……」

 僕は、伸ばしかけていた手を下げる。

「私はみんなのことが大好きだけど、日和くんだってクラスメイトだし、仲良くなりたいって思ってる。それのどこがいけないの?」

 ──僕を必要としてくれる、水戸さん。

「私が誰としゃべろうとみんなの許可なんて必要ないし、日和くんと一緒にいることだっておかしなことじゃない」

 ──感情をあらわにする水戸さん。

「日和くんは全然暗くないし、むしろその逆で……すごく、すごく優しいもん」

 ──僕の心を満たしてゆく。

「……私がどう生きようと、どう過ごそうと、私が決めるの。自分が犠牲になればいいなんて思わないで!」

 どうして水戸さんに、僕の意図が読めてしまうのだろうか。

 これじゃあ支えるより、僕が支えられているじゃないか。

「僕、かっこ悪……」

 べつにかっこつけたかったわけじゃないけれど、まさか水戸さんにここまで言われるとは思っていなくて、予想外の展開に思わず鼓動が鳴る。

「……うっ……」

 突然、胸に手を当てて苦しそうに顔を歪める。

「み、水戸さん?!」

 僕は、慌ててそばに駆け寄る。

「どこか痛むの?! どこが……」
「日和、くん……」

 この苦しみ方は尋常じゃない。

「もしかして今、いきなり大きな声出したから……」

 だとすれば、間違いなく僕が原因だ。

「ごめん、嫌かもしれないけど少しだけ我慢しててほしい……!」

 ここで座り込んでいたら水戸さんの病気がバレてしまうかもしれない。だから僕がとった行動はひとつ。

 彼女を背中に乗せて、保健室へ向かうことだった。

「少し貧血が出たのね。でも少し休めば大丈夫よ」

 保健の先生が水戸さんを見てそう言った。

「貧血ですか……」

 あんなに苦しんでたのに貧血なわけがない。

 もしかして先生も嘘をついているのかな。

「少し熱があるわね。もしかして昨日、雨に濡れたかしら?」
「あ、昨日の放課後に少し……」
「そう。あまり無理は禁物よ」

 先生たちでさえも病気を隠すということは、おそらくこれは水戸さんの意思を汲んでのことだろう。

「水戸さんは、今日は念のため早退させるから教室からかばんを持って来てもらってもいい? 担任の先生には私から話しておくから」

 僕は、何もしてあげられない。

 苦しむ水戸さんを、見守ることしかできない。

「あ、はい……分かりました」

 何にもできない無力な人間だ。

「日和くん、ごめんね」

 なんで水戸さんが謝るの。

 謝るのは、僕の方だ。

「……ううん、僕の方こそ」

 ──ごめん、と言えなかった。

 水戸さんの表情を見ていたら、言葉が出てこなかった。

 それから僕は、保健室のドアを静かに閉めた。けれど、水戸さんのことが心配で動けずにいると。

「水戸さん、あなたまた無理をしたのね。身体が普通じゃないってこともう知ってるでしょ」
「それは……」
「あなたの身体には限界が近づいているのよ」

 先生と水戸さんの会話が聞こえてくる。

「今も貧血って答えたけど、そろそろ隠し通すのにも無理があるわ」

 ……やっぱり先生は、ほんとのことを知ってるんだ。

「あなたは普通の生活ができなくなってきてるの。今のままの生活を続けたら余命はもっと短くなってしまうのよ」

 ……余命よりも、短く?

 それってつまり──…

「病院ならちゃんとした治療もできるし、今よりも痛みだって少なくなる。そうしたらもっともっと長く過ごすことだってできるのよ。どちらがいいかなんて聞かなくても分かるでしょ」

 病院で治療をしてもらえば、水戸さんの症状も軽くなるだろうし、こんなに苦しむことはないはずだ。

「それは……理解してるつもりです」

 それなのにどうして水戸さんは、無理をしてまで学校に通い続けるのだろう。

「それなら……」
「でも私、今を生きたいんです」

 ドア一枚隔てた向こう側で、水戸さんの小さくて、けれど力強い声が聞こえる。

「死ぬのは、すごく怖いです。怖くて、夜も眠れない。朝になっても目覚めなかったらどうしようとか、眠ったらこのままなのかなとか。今日は一日過ごせるかな、明日も過ごせるかな。いつもそんな不安と闘ってます」

 ぽつりぽつり紡がれる言葉を聞いて、ぎゅっと手のひらに力が入る。

「だけど……目が覚めたとき、学校でみんなに会えたとき、今日も過ごすことができたとき。〝ああよかった。みんなに会えて幸せだなぁ〟って、心の底から思うんです」

 水戸さんはどんな表情で、言ってるのかな。

「そうしたらまた明日も会いたいって思って、明日も生きたいって願うんです」

 すごく、すごく気になって。

「病院に入院して病室の中で過ごしたら私……楽しいなんて思えない。幸せなんて思えない。生きてるのに、心は死んでるみたいになる…と思うんです」

 けれど、このドアの向こうに僕は行けない。

「だから私は、ここにいたい。許される間だけでも、可能な限りここに……だって私にとっての幸せは、みんなと過ごすことだから……」

 ──水戸さんの幸せ。

 それが、〝今〟ここにある。

「先生、どうかお願いします。どうか……もう少しだけ私に、時間をください」

 ああ僕は、なにをやっているんだ。

 彼女の決意を、勇気を、希望を、全部無駄にするな。

 奥歯を噛み締めて、拳を握りしめると、その場を走った。

 走って走って、たどり着いたのは教室。

「おー、牧野。水戸さん知らねー?」

 釘崎くんが僕に駆け寄った。

 今、彼と話している時間なんてない。僕には一刻の猶予も残されてはいない。

「釘崎くん、水戸さんのかばんを保健室に届けてもらえるかな」
「は? かばん? ……なんで」

 理由なんか説明してる暇はない。

「とにかくお願い。今すぐに」

 それだけを言うと、僕は自分のかばんを掴んで教室を飛び出した。後ろで僕を呼ぶ声が聞こえたけれど、その声に止まることはなかった。


 ***


 水戸さんと行った河川敷を探した。四つ葉のクローバーを見つけるために。けれど、全然見当たらない。

「ない、ない……なんでない……んだよっ!」

 芝生の上に拳を叩きつける。

 ──ポツッ

 そんな僕にとどめを刺すように、空からは雨が降ってきた。

 それは次第に強まって、雨粒も段々と大きくなる。

「……こんなときに……」

 神様は、不公平だ。

 どうしてこんなに平等じゃないんだ。

 生きたいと願う人間が生きられなくて、そうじゃない人間が長生きをして。

 なぜだ。なぜだ。

「──どうして、なんだよ……!」

 どんなに嘆いても、空は晴れない。

 どんなに嘆いても、世界は変わらない。

 時間は、止まらない。

 ただ、一秒ずつ時間を刻む。

 水戸さんの時間は、一秒ずつ縮んでしまう。

「うわーー……!!」

 雨に打ちひしがれながら、泣き叫んだ。

 僕の涙は、やむことはなかったんだ──。

 ◇

 それから水戸さんは、しばらく学校に来なかった。担任の先生が言うには、熱が出たため休むと連絡があったらしい。この前、放課後雨に濡れたからだろうかと僕は、心配した。

「水戸さん大丈夫かなぁ」
「小春ちゃんが熱で三日も休むなんて、すごく心配」
「早く小春ちゃんに会いたいなぁ」

 いつも水戸さんと一緒にいる友達からは、そんな言葉が繰り返し紡がれる。

 水戸さんが学校に来ない間、僕は毎日放課後、河川敷や公園を探して回った。四つ葉のクローバーを見つけるために。
 毎日、帰りが遅くなる僕に両親は何も言わない。無関心だ。けれど、べつにそれでもよかった。

 そして今日もまた、放課後、いつものように河川敷へ向かった。あの日と同じく天気が悪い。今にも雨が降り出しそうな予感だ。

「頼む、あってくれ……」

 願いながら、芝生の上を探して回った。

 河川敷の上をランナーや自転車に乗る人たちが通り過ぎる。僕を見ているようだったが、そんなのおかまいなしに探した。

 ──ぽつり、ぽつり。

 分厚い灰色の雲から、雨粒が落ちる。

 けれど、僕はその場から動かない。逃げない。

 僕にとって、一分も、一秒でさえも惜しい。

 それに僕は。

「どうしても見つけなきゃいけないんだ……」

 彼女のために、必ず。

 ──水戸さんのことを思うと、胸が苦しくなる。

 あの言葉を思い出すと、胸がえぐられそうだ。

 誰にも内緒にしていた胸の内を、僕は勝手に盗み聞きしてしまった。

 情けなくて、申し訳なくて。

 それと同時に彼女の心を救ってあげたくて。

 ──この世界は、残酷だ。

 それでもたった一度、奇跡が起こると信じて。

 一生懸命生きる彼女に、僕は胸打たれた。

 だから、どうか。

 見つかってくれ──…

「──…これって……」

 真っ黒になった指先に触れた、四つの葉がついたそれは、間違いなく。

「……あった……見つけた!」

 四つ葉のクローバーだった。

 とてもとても、小さかった。

 けれど、一生懸命地面から顔を出して生きる姿はまさしく彼女そのもので。

「水戸さん、見つけたよ」

 僕は、安堵した。

 僕は嬉しくなった。


 ***


 翌日、少しだるさがあったが、見つけたクローバーを大切にハンカチに挟んで学校へ向かった。

 教室は、賑やかでもしかしたら……そんな期待をしてドアを抜けると、そこにはしばらく顔を見なかった水戸さんが、みんなに囲まれていた。

 そこにはいつもの景色が広がっていて、僕はホッと安堵した。

 ポケットの中にあるハンカチを思い出す。そこにはクローバーが挟んである。

 いつ渡そう。今は絶対に無理そうだし……休み時間? いやでも声をかけるタイミングなさそうだし。だったら昼休み? いやいやそれこそ声かけられないし……あー、ダメだ。頭がぼーっとして何も考えられない。

 雨に濡れたせいだろうか。身体がすごくだるい。

「日和くん、おはよ」

 自分の席に座るや否や、弾けたような明るい声が聞こえて。まさか、と僕は顔をあげる。

 そこにいたのは、水戸さんだった。

「お、おはよう……」

 ぎょっとして、声がうわずってしまう。

 そんな僕のことなどつゆ知らず、水戸さんは僕に笑いかける。

 だから、当然周りは困惑して、ざわつきだす。

「日和くんにちょっとお話があるんだけど」
「え、僕に……」

 話がある、のはおそらくこの前体調を崩したときのことかもしれない。が、この状況はさすがにまずい。

「えーっと、あの……」

 僕が悩んでいる間にもクラスメイトは、遠くから僕たちを眺めるように視線を向けられる。

 頭は、ぐるぐると回っていて。

 心なしか目の前もぼーっとしてきた。

「日和くん?」

 水戸さんの声が、二つ聞こえるようで。

 ──ああこれは、やばい。

 そう思ったときには、僕は目の前が真っ黒になったんだ。

 最後に聞こえた声は、聞き覚えのある声だった。


 ***


 ──日和くん。

 どこかで僕を呼ぶ声がする。

 真っ白な空間の中にたった一人、自分がいて。その向こうには、水戸さんが見えた。

 待って。

 手を伸ばしても、届かない。触れられない。

 水戸さんが、振り向いた。

 けれど、彼女の表情はあまりよく見えなかった。

「……あれ、ここ……」

 重たいまぶたを押し上げると、天井が見えた。

「よかった。日和くん、気がついたんだ」

 おもむろに声が聞こえて、顔を動かせば、水戸さんが僕を見つめていた。

「ど、して僕は……」
「日和くん、学校に来てすぐ倒れちゃったの」
「え、倒れ……」

 僕が、倒れたのか?

「うん。話しかけたときに、具合が悪そうで……て覚えてない?」

 話しかけたときに……あっ、あのときか。そういえば僕、ここ最近調子が悪かったっけ。それで今朝も頭がぼーっとしてたし。

「あ、うん、なんとなく断片的に」

 雨に濡れたせいかな。それとも、焦ってたからかな。

「でも、日和くんが目を覚ましてほんとに……よかった」

 口元に両手を合わせて、はあ、と安堵の息を吐く水戸さん。

「日和くんが倒れたとき、私、すごく怖かった……このまま目が覚めないんじゃないかって思ったの」

 心なしか彼女の顔色は少し青ざめているようで、

「心配かけて、ごめん」

 支えるつもりが、また負担をかけてしまったなんて。