なんの物音も気配も感じさせず、突然現れる。それにまったく驚いていない僕は、既に幽霊の性質にすっかり馴染んでいるのかもしれない。

「アンジェ、久しぶり」

「久しぶりっていうか、三日ぶりくらい? タローくん、元気そうだね」

「死んでるけどね」

「いいツッコミだね」

 単に事実を述べたまでだが。アンジェがぐっと親指を立てた。

 どうも、アンジェと話しているとウケない漫才のようなやり取りになる。

 おそらく壁画が完成するまで消えないバンさんはともかく、僕とアンジェはなにがきっかけで消えるかはわからない。

 でも、お互いにそういう悲壮感はないらしい。明日は会えなくなったとしても、そんなものかという感じだろう。

 アンジェはこの前と同じ、派手なゴスロリファッションだった。彼女の“勝負”はまだ続いているのか。いったいなんの勝負やら。

「ここにいないとき、アンジェはどこに行ってるの?」

「なにタローくん、あたしのプライベートが気になるの?」

「それはまったく気にならない。やっぱり答えなくていいよ」

「隠さなくてもいいのに。あたしのことが好きなんでしょ? でもごめんなさい。タローくんはあたしのタイプじゃないの」

「告ってもいないのにフラれるって」

「あたしの理想のタイプ聞きたい?」

「心底どうでもいいな」

「教えてあげてもいいけど、どうしようかな」

「人の話を聞かないのは君のデフォルトだよね」

 出会ってからまだ三日だけど、我が道を行くアンジェにはもう慣れた。適当にあしらっていると、バンさんがくつくつと笑っている。

「なんですか、バンさん」

「いや、君たちは仲がいいなと思って。あ、変な意味でなく。兄妹みたいだな」

 僕とアンジェは顔を見合わせた。お互いに、苦笑いとも渋面ともつかない
複雑な表情を浮かべて。

「あたし、こんな根暗なお兄ちゃんは嫌だな」

「僕が根暗だと? 自分で言うのもなんだが、人づきあいをそつなくこなすスキルは持っているからな」

「自分でそう言っちゃうところに陰湿なものを感じる」

 言いたい放題だな。こっちは気を遣って黙っているというのに。僕だってこんな自己中心的な妹はごめんだ。

 アンジェとは決して仲がいいわけではない。むしろ、僕にとっては苦手なノリで、話していてウザいと感じることも多々あった。

 ただ、アンジェのこの気ままな振る舞いに救われている部分もある……ことはある、かもしれない。

 僕は断じて根暗ではないが、かといって明るい性格とは言えない。ひとりでいると、幽霊である自分を突き詰めて考えてしまい、もう一度死にたくなるくらい気が滅入るんじゃないだろうか。

「幽霊同士はあまり積極的に関わったりしないものだけど、やっぱり若いからなのかな。好奇心が旺盛というか。活気があるよね、君たちは」

「死んでる人間に活気はないでしょう。けど、幽霊にも年齢って関係あるんですか?」

「多少はあるんじゃない? 生前の性格にもよるけど、天寿をまっとうしたような人はやっぱり貫禄が違うよ。人生において未練も後悔も欠片もない、って感じで」

「ああ、わかります」

 駅前で会ったマダムたちを思い出した。本当にすっきりした消え方だったな。

「逆に、子供はどうなんですかね」

「俺は見かけたことはないけど。たとえ短い時間でも、死者がもれなく幽霊になるなら、どこかにはいるんだろうね。子供は早く成仏して、できることならもっと幸せな人生に生まれ変わってほしいな」

「そうですね」

 幼い子供や赤ん坊の幽霊は、その短い人生でどんな思いを抱くのだろう。

 愛された子供もいれば、残酷にもそうではなかった子供もいる。どの子供の魂にも、救いと幸いがあるよう祈らずにはいられない。

 けれど、そう言うバンさんだって、亡くなるにはかなり若い。それなのに、どこか仙人のように悟った印象を覚えるのは、たぶん彼が芸術という心のよりどころを持っているからだ。

 年齢で考えれば、この中ではアンジェの人生がもっとも短い。彼女の死は、家族にも友人にも惜しまれただろう。

 アンジェは、どういう理由で亡くなったのかな。

 病気? 事故?

 若くても死因はいろいろだ。

 君はどうして亡くなったの? とは、さすがに聞けない。

「ねえ、タローくんて彼女いたの?」

 唐突にアンジェに話しかけられて、焦った。

「いたよ、一応」

 ごまかす余裕がなくうっかり白状してしまう。アンジェの口元に笑みが浮かんだ。

「妄想の?」

「実在のだよ!」

「じゃあ、どんな人?」

「……可愛いよ」

「やっぱり妄想か」

 そう結論づけたのか、それ以上は尋ねない。

 腹立たしいが、聞かれても答えにくかった。僕はもう反論せずにただムッと押し黙る。

「あたしの理想のタイプはね、デヴィッド・ボウイ様なの」

 とっておきの秘密を打ち明けるように、アンジェがうふふと含み笑いをする。さっきのどうでもいい話に戻ったようだ。

 本当にどうでもいいことだが、それにしても好みが渋すぎるだろ。

「ああそう」

「どうでもよさそうな返事しないでよ。もっと他に感想あるでしょ? カッコイイよねとか、美しくてカリスマ性があるよねとか。とにかく最高で完璧だよねとか!」

「わかったわかった」

 鼻息を荒くして詰め寄ってきたアンジェの頭を押し戻す。

「デヴィッド・ボウイは俺も結構好きだよ。CDも持ってた」

 バンさんが脚立の上から口を挟むと、味方を得たとばかりにアンジェは瞳を輝かせる。

「そうでしょう! さすが、芸術家は見る目があるわ。根暗で意識高い系を気取ってる男子とは違うわ」

「根暗で意識高い系を気取ってる男子!?」

 それから、アンジェとバンさんはふたりで、デヴィッド・ボウイの映画や音楽の話で盛り上がっていた。僕は、生前ももちろん今も興味はないので話には参加しない。

 もしもデヴィッド・ボウイが生きていたら、たぶんアンジェのお父さんより年上だよな。お祖父さんくらいかな。

 感想としてはそのくらいだけど、ここは黙っているほうが賢明だろう。