「それって、最高じゃないですか。こんなに便利な力があるなら、幽霊生活だって退屈しないですよね」
暇つぶしに使えそうなテレビやゲームや、それ以外のものも作り出せるのだとしたら。瞬間移動より早着替えよりずっと役に立つ。幽霊になったメリットを僕は初めて感じた。
興奮する僕に、バンさんが無言で絵筆を差し出す。けれど、受け取ろうとしたそれは、僕の手に触れるか触れないかというところで消えた。
「消えた……どういうことですか?」
「これは俺にしか使えないからだよ。幽霊が作り出した物は、その本人にしか使えないんだ」
「じゃあ、僕も自分で作り出せばいいってことですよね」
尋ねると、バンさんは困ったように笑った。
「それは君しだいかな。生前に慣れ親しんだ物や、よほど思い入れがある物でないと、具現化はできないみたいなんだ。たとえば、毎日のように練習していた楽器とか、ラケットやボールとか。自分の体の一部みたいに感じられる物でないと」
バンさんの説明に、浮かれていた僕の気分は一気に萎えた。
それじゃあ、僕に出せるものなんかなにもない。
スポーツでも習い事でも、特技と呼べるものはひとつもなかった。平凡な人間は死んでも平凡な幽霊になり、特殊能力も付与されないということか。
それはあまりに不公平じゃないか?
「この絵筆やペンキは、いわば俺の魂で作られている。それで描いたこの壁画も、やっぱり俺の魂の一部なんだよ。だから、生きている人間には見えていないんだ」
魂の一部。そんなふうに言えることがすごい。
自分の人生を掛けられるものを見つけたいと思っても、本当に見つけられる人はきっとそう多くない。バンさんにはそれがあったということだ。
でも、彼だってまだ十分に若い。画家としてはこれからだっただろう。
それほど人生を掛けられるものがあったのに、夢半ばで亡くなる。それはある意味、夢がない人生よりも辛いことではないか。
「バンさんは、いつ亡くなったんですか?」
「三か月くらい前かな。バイクに乗ってるときに事故って、ほぼ即死」
「それは、ご愁傷様でした」
本人に言うセリフじゃないが、他にどう言えばいいのか。
自分の死亡理由って、デリケートな話題だよな。幽霊同士だからこそ、軽々しく口にしてはいけないこともあるのだと気づいた。人間関係って、死んでも難しい。
「急死だったからさ、身の回りの整理とかもまったくできてなくて。部屋が散々な状態だよ。まさか、自分がこの年で急死するなんて思わないだろ?」
バンさんのほうはいたって飄々としているので、僕も笑い返す。
「ですよね」
みんな、そう思って生きている。
当たり前に明日が来ると思って、漠然と遠い未来を夢見たり、めんどうなことを後回しにしたりしながら。
僕も、半年くらい前まではそういう気持ちもあった。
「一人暮らしだったから、わざわざ遺品整理に来てくれた家族には、悪いことしたよ。俗にいう汚部屋……といってもいいかもしれない。狭い部屋にぎっしり、絵の道具とか描きかけの作品とか本とか積んであって。あと、スマホの検索履歴、削除しておけばよかった」
「それはよくわかります」
本気で苦悩しているふうなバンさんに、心から同意した。
普通の男子なら、人に、とりわけ家族には見られたくないもののひとつやふたつやみっつ以上、あるに決まっているのだ。
「僕の場合は少し猶予があったんで、必死に片付けました。本当に、死ぬのも楽じゃないですよね」
まさか、こんなことを冗談みたいに話す日が来るとはな。
身辺を整理するのは簡単じゃない。
享年21の僕でも、部屋には大量の本やCDや衣類、それ以外の物が数え切れないほどあった。死を意識した身辺整理とはつまり、21年間という僕の人生を、燃えるゴミと燃えないゴミとに分ける作業だった。
どんなにつまらない物にも、それなりの思い出はある。事務的に整理しているつもりでも、それは勝手によみがえってきた。
そのうちまた読み返したいと思っていた本を見れば、その思いはより強くなった。そんな時間はもう、僕には残されていなかったのだから。
幽霊として三ヶ月先輩のバンさんの話は、たびたび脱線するアンジェよりも、はるかにわかりやすかった。
実体を持たない幽霊は、着替える手間だけでなく、入浴も食事もトイレも必要ない。
寒い、熱いという感覚がなく、痛みも疲れも感じない。
便利な瞬間移動には、実は制限がある。
幽霊は基本的に、生前に行ったことがある場所にしか行けない。パスポートを持っていなかった僕は、これから海外旅行を楽しむことはできないというわけだ。
しかし、これには例外があった。他の幽霊と一緒なら、行ったことがない場所への移動も可能なのだ。
僕はアンジェと出会ってから、何度か彼女と一緒に移動している。その原理だが、どういう理屈なのかはわからない。
そして、幽霊はこの世界の物質を動かすことも、使うこともできない。ただし、生前に思い入れのあったものは自分で生み出すことができる。生み出したものは、本人しか使えないけれど。
「要するに、実は幽霊にできることって、かなり限られているんですね」
「タローくん、なんかガッカリしてる?」
バンさんが申し訳なさそうなので、僕は慌てて手振りで否定した。
「いえ、もっといろいろ超能力的なことが出来るかなと思ってたんで。たとえば、映画とか漫画でよく見るポルターガイストとか」
「できたら面白いけどね。それはやっぱり映画とか漫画の中の話じゃない? だいたい、できるできない以前に、その力を発揮したいと思う場面はまずないから」
「まあ、そうですよね」
それでも、せっかく幽霊になったんだから、使えるものなら一度くらい使ってみたい。などと言ったら、『こいついい年して中二病か?』と、呆れられるのではなかろうか。
「タローくんて、意外とガキっぽいこと考えるんだね」
バンさんの代わりに、アンジェが口を挟んできた。君には言われたくないんだが。
「サダコ先輩くらい最強にならないと、超能力は難しいかもね」
一瞬、なにを言われたのか理解に苦しむ。
サダコ先輩? やけに親しげに呼んでいるが、サダコって現代日本で一番有名といってもいいあの幽霊のことだろうか。
「君は、サダコ先輩と知り合いなのか?」
「まさか。でもあのカリスマ性はちょっとリスペクトしてる」
「あの人、ポルターガイスト使ったっけ?」
「知らない。あたし、ホラー映画は怖いから全然見てないんだよね」
「見てないのにリスペクトしてるの?」
しかも、幽霊のくせにホラー映画が怖いって。
かくいう僕も同じ理由で見ない主義ではある。心霊スポットなんて、幽霊になった今も死んでも行きたくない。
「俺もあんまりホラーとか見ないけど。ポルターガイストはどっちかっていうと、海外の幽霊のほうが積極的に使うイメージだよな。オーメンとかエクソシストとか。向こうの幽霊は活発っていうか、行動的だから」
バンさんが話に加わってきたが、ちょっと方向性がズレた。
「それはどっちも悪霊じゃなくて悪魔です」
「そうか。でも、そんなに違わないんじゃない?」
「結構違うと思いますけど」
「海外ホラーも見ないけど、あたしも少しは知ってる。ジェイソン先輩にフレディ先輩にチャッキー先輩に……」
アンジェが有名なホラーヒーローを指折り数えている。
恐ろしい先輩方だな。焼きそばパンを買いに行かされるくらいじゃ済みそうにない。
いずれにしても、ホラー映画のキャラたちが実在するとしたら、全員チートということだ。現実の幽霊は意外と地味である。
暇つぶしに使えそうなテレビやゲームや、それ以外のものも作り出せるのだとしたら。瞬間移動より早着替えよりずっと役に立つ。幽霊になったメリットを僕は初めて感じた。
興奮する僕に、バンさんが無言で絵筆を差し出す。けれど、受け取ろうとしたそれは、僕の手に触れるか触れないかというところで消えた。
「消えた……どういうことですか?」
「これは俺にしか使えないからだよ。幽霊が作り出した物は、その本人にしか使えないんだ」
「じゃあ、僕も自分で作り出せばいいってことですよね」
尋ねると、バンさんは困ったように笑った。
「それは君しだいかな。生前に慣れ親しんだ物や、よほど思い入れがある物でないと、具現化はできないみたいなんだ。たとえば、毎日のように練習していた楽器とか、ラケットやボールとか。自分の体の一部みたいに感じられる物でないと」
バンさんの説明に、浮かれていた僕の気分は一気に萎えた。
それじゃあ、僕に出せるものなんかなにもない。
スポーツでも習い事でも、特技と呼べるものはひとつもなかった。平凡な人間は死んでも平凡な幽霊になり、特殊能力も付与されないということか。
それはあまりに不公平じゃないか?
「この絵筆やペンキは、いわば俺の魂で作られている。それで描いたこの壁画も、やっぱり俺の魂の一部なんだよ。だから、生きている人間には見えていないんだ」
魂の一部。そんなふうに言えることがすごい。
自分の人生を掛けられるものを見つけたいと思っても、本当に見つけられる人はきっとそう多くない。バンさんにはそれがあったということだ。
でも、彼だってまだ十分に若い。画家としてはこれからだっただろう。
それほど人生を掛けられるものがあったのに、夢半ばで亡くなる。それはある意味、夢がない人生よりも辛いことではないか。
「バンさんは、いつ亡くなったんですか?」
「三か月くらい前かな。バイクに乗ってるときに事故って、ほぼ即死」
「それは、ご愁傷様でした」
本人に言うセリフじゃないが、他にどう言えばいいのか。
自分の死亡理由って、デリケートな話題だよな。幽霊同士だからこそ、軽々しく口にしてはいけないこともあるのだと気づいた。人間関係って、死んでも難しい。
「急死だったからさ、身の回りの整理とかもまったくできてなくて。部屋が散々な状態だよ。まさか、自分がこの年で急死するなんて思わないだろ?」
バンさんのほうはいたって飄々としているので、僕も笑い返す。
「ですよね」
みんな、そう思って生きている。
当たり前に明日が来ると思って、漠然と遠い未来を夢見たり、めんどうなことを後回しにしたりしながら。
僕も、半年くらい前まではそういう気持ちもあった。
「一人暮らしだったから、わざわざ遺品整理に来てくれた家族には、悪いことしたよ。俗にいう汚部屋……といってもいいかもしれない。狭い部屋にぎっしり、絵の道具とか描きかけの作品とか本とか積んであって。あと、スマホの検索履歴、削除しておけばよかった」
「それはよくわかります」
本気で苦悩しているふうなバンさんに、心から同意した。
普通の男子なら、人に、とりわけ家族には見られたくないもののひとつやふたつやみっつ以上、あるに決まっているのだ。
「僕の場合は少し猶予があったんで、必死に片付けました。本当に、死ぬのも楽じゃないですよね」
まさか、こんなことを冗談みたいに話す日が来るとはな。
身辺を整理するのは簡単じゃない。
享年21の僕でも、部屋には大量の本やCDや衣類、それ以外の物が数え切れないほどあった。死を意識した身辺整理とはつまり、21年間という僕の人生を、燃えるゴミと燃えないゴミとに分ける作業だった。
どんなにつまらない物にも、それなりの思い出はある。事務的に整理しているつもりでも、それは勝手によみがえってきた。
そのうちまた読み返したいと思っていた本を見れば、その思いはより強くなった。そんな時間はもう、僕には残されていなかったのだから。
幽霊として三ヶ月先輩のバンさんの話は、たびたび脱線するアンジェよりも、はるかにわかりやすかった。
実体を持たない幽霊は、着替える手間だけでなく、入浴も食事もトイレも必要ない。
寒い、熱いという感覚がなく、痛みも疲れも感じない。
便利な瞬間移動には、実は制限がある。
幽霊は基本的に、生前に行ったことがある場所にしか行けない。パスポートを持っていなかった僕は、これから海外旅行を楽しむことはできないというわけだ。
しかし、これには例外があった。他の幽霊と一緒なら、行ったことがない場所への移動も可能なのだ。
僕はアンジェと出会ってから、何度か彼女と一緒に移動している。その原理だが、どういう理屈なのかはわからない。
そして、幽霊はこの世界の物質を動かすことも、使うこともできない。ただし、生前に思い入れのあったものは自分で生み出すことができる。生み出したものは、本人しか使えないけれど。
「要するに、実は幽霊にできることって、かなり限られているんですね」
「タローくん、なんかガッカリしてる?」
バンさんが申し訳なさそうなので、僕は慌てて手振りで否定した。
「いえ、もっといろいろ超能力的なことが出来るかなと思ってたんで。たとえば、映画とか漫画でよく見るポルターガイストとか」
「できたら面白いけどね。それはやっぱり映画とか漫画の中の話じゃない? だいたい、できるできない以前に、その力を発揮したいと思う場面はまずないから」
「まあ、そうですよね」
それでも、せっかく幽霊になったんだから、使えるものなら一度くらい使ってみたい。などと言ったら、『こいついい年して中二病か?』と、呆れられるのではなかろうか。
「タローくんて、意外とガキっぽいこと考えるんだね」
バンさんの代わりに、アンジェが口を挟んできた。君には言われたくないんだが。
「サダコ先輩くらい最強にならないと、超能力は難しいかもね」
一瞬、なにを言われたのか理解に苦しむ。
サダコ先輩? やけに親しげに呼んでいるが、サダコって現代日本で一番有名といってもいいあの幽霊のことだろうか。
「君は、サダコ先輩と知り合いなのか?」
「まさか。でもあのカリスマ性はちょっとリスペクトしてる」
「あの人、ポルターガイスト使ったっけ?」
「知らない。あたし、ホラー映画は怖いから全然見てないんだよね」
「見てないのにリスペクトしてるの?」
しかも、幽霊のくせにホラー映画が怖いって。
かくいう僕も同じ理由で見ない主義ではある。心霊スポットなんて、幽霊になった今も死んでも行きたくない。
「俺もあんまりホラーとか見ないけど。ポルターガイストはどっちかっていうと、海外の幽霊のほうが積極的に使うイメージだよな。オーメンとかエクソシストとか。向こうの幽霊は活発っていうか、行動的だから」
バンさんが話に加わってきたが、ちょっと方向性がズレた。
「それはどっちも悪霊じゃなくて悪魔です」
「そうか。でも、そんなに違わないんじゃない?」
「結構違うと思いますけど」
「海外ホラーも見ないけど、あたしも少しは知ってる。ジェイソン先輩にフレディ先輩にチャッキー先輩に……」
アンジェが有名なホラーヒーローを指折り数えている。
恐ろしい先輩方だな。焼きそばパンを買いに行かされるくらいじゃ済みそうにない。
いずれにしても、ホラー映画のキャラたちが実在するとしたら、全員チートということだ。現実の幽霊は意外と地味である。