新作の打ち合わせで担当とうまく折り合いが付かず気が滅入る。俺が漫画で描きたいものと担当が描かせたいものの間に齟齬が生じているのだ。
また新しくプロットを書いていかないといけない。けれども、この落ち込んだ気持ちで取りかかってもまともなアイデアは浮かびそうになかった。
気分転換に、近所の河川敷を歩く。空はどんよりと曇っているけれども、そのせいか行き交う人も少なく快適に散歩ができる。
ふと、川辺の草むらに段ボール箱が引っかかっているのが目に入った。こんなところにゴミを捨てるなんてと思いながら近寄って、川に浮かんでいた段ボール箱を拾い上げる。
すると、箱の中から弱々しい鳴き声が聞こえてきた。
もしや。そう思って慌てて段ボール箱を開けると、中には目が開いたばかりのように見える子猫が一匹入っていた。
鳴き声も弱々しいし、段ボール箱の底から染みこんだ水で濡れて冷えているのだろう、身体を震わせている。
とんでもないものを拾ってしまった。そう思った俺は、咄嗟に持っていたスマートフォンで念のためにと登録しておいた動物病院に電話をかけ、これから行っていいかどうかの確認をとる。事情を説明すると、今すぐに来るようにと返事が来た。
俺は子猫を手のひらで温めながら動物病院へと向かった。
動物病院に着くなり、優先的に診察室へと通してもらえた。今はワクチン摂取の時期ではないから、待合室の患者が少なかったのも幸いしただろう。
診察室に入ると、医者はすぐさまに湯たんぽを子猫に抱かせ、それから診察をしていく。どうやらこの子は結膜炎と猫風邪を発症してしまっているらしく、栄養状態も良くなくとても衰弱しているとのことだった。
「余命は三日でしょう」
弱って自分で立つこともできない子猫を診察したあと、医者はそう言った。
余命三日。こんなに小さな命があと三日しか生きられないなんて。そのことにひどくショックを受けた。
ふと、実家で飼っている猫と犬の顔が過ぎる。
あと三日しか生きられないなら、せめて俺がこの子の家族になろう。短い一生を、ひとりぼっちでなんて終わらせさせたくなかった。
俺は医者にこの子猫を引き取ることを告げて、子猫と一緒に家へと帰った。
家に帰ってまずやったのは、靴下の中に米を詰めてレンジで温めたものを子猫に抱かせることだった。
そうやって子猫の体温が下がるのを防いでいるうちに、段ボール箱とタオルで簡易的に子猫の寝床を作る。ペットシートは、病院で何枚か買ってきているのでそれも敷いた。
子猫が落ち着いてきたら、人肌に温めたミルクに猫風邪用の粉薬を混ぜたものを子猫に飲ませる。シリンジで少しずつミルクを与えると、子猫のお腹がぽってりと膨らんだ。
お腹いっぱいになったのか、まだ暖かい米の詰まった靴下に寄り添う子猫を見てぼんやりと考える。
世話のしかたはわかるとして、これから三日間、この子猫をなんと呼ぼう。家族になるのであれば名前は欲しいところだ。
すこし考えて、どんよりと曇った河川敷が頭に浮かんだ。
「おまえの名前は浮舟だ」
俺の言葉は耳に入っただろうか。浮舟と名付けた子猫は、靴下に寄りかかってうとうととしていた。
そして、浮舟を拾った翌日も、その次の日も、俺は動物病院へと通った。新作のプロットをやらなくてはいけないのはわかっているけれどもそれどころではない。
病院で浮舟のようすを見てもらって、どうにも容態が良くないということだけを告げられて家に帰る。
浮舟は今日も米の詰まった靴下の側でうずくまっている。そして夜が来て、浮舟はゆっくりと目を閉じた。
それから一年後、俺はあの時浮舟が抱えていた靴下を、履くこともできず捨てることもできずにとっておいて、たまに眺めていた。
あの時は必死でなにも考えられなかったけれども、浮舟を拾ったことは間違いではなかったと思う。
浮舟を拾ったあの日が懐かしい。そう思いながらプロットを切るために机に向かっていると、頭の上に重いものが降ってきた。
「にゃーん!」
「こら浮舟! 仕事中だって言ったろ!」
浮舟を拾って四日目の朝、浮舟はそれまでよりも良くミルクを飲んで、動き回るようになった。そしてそのまま、結膜炎も猫風邪も完治し、しばらくしてから去勢手術も無事に終えることができた。今ではすっかり俺の家で過保護猫になっている。
浮舟を頭の上から下ろすと、浮舟は壁を走ってまた俺に飛びかかってくる。
こんなに元気になって。随分と長い三日だ。
浮舟と会ってから、俺は自信を持てずにいた自分の気持ちを立て直すことができた。それはひとえに、浮舟という家族を守るためなんだと思う。
はじめて会ったあの日、俺が浮舟の側にいれば寂しくないだろうと思ったけれども、実際には、俺の方が浮舟のお世話になっているのだろう。
机の上に乗った浮舟がちゅぱちゅぱと俺の指を吸う。これはごはんの催促だ。
俺はシャーペンを机の引き出しにしまって、浮舟のごはんを用意しに行った。
また新しくプロットを書いていかないといけない。けれども、この落ち込んだ気持ちで取りかかってもまともなアイデアは浮かびそうになかった。
気分転換に、近所の河川敷を歩く。空はどんよりと曇っているけれども、そのせいか行き交う人も少なく快適に散歩ができる。
ふと、川辺の草むらに段ボール箱が引っかかっているのが目に入った。こんなところにゴミを捨てるなんてと思いながら近寄って、川に浮かんでいた段ボール箱を拾い上げる。
すると、箱の中から弱々しい鳴き声が聞こえてきた。
もしや。そう思って慌てて段ボール箱を開けると、中には目が開いたばかりのように見える子猫が一匹入っていた。
鳴き声も弱々しいし、段ボール箱の底から染みこんだ水で濡れて冷えているのだろう、身体を震わせている。
とんでもないものを拾ってしまった。そう思った俺は、咄嗟に持っていたスマートフォンで念のためにと登録しておいた動物病院に電話をかけ、これから行っていいかどうかの確認をとる。事情を説明すると、今すぐに来るようにと返事が来た。
俺は子猫を手のひらで温めながら動物病院へと向かった。
動物病院に着くなり、優先的に診察室へと通してもらえた。今はワクチン摂取の時期ではないから、待合室の患者が少なかったのも幸いしただろう。
診察室に入ると、医者はすぐさまに湯たんぽを子猫に抱かせ、それから診察をしていく。どうやらこの子は結膜炎と猫風邪を発症してしまっているらしく、栄養状態も良くなくとても衰弱しているとのことだった。
「余命は三日でしょう」
弱って自分で立つこともできない子猫を診察したあと、医者はそう言った。
余命三日。こんなに小さな命があと三日しか生きられないなんて。そのことにひどくショックを受けた。
ふと、実家で飼っている猫と犬の顔が過ぎる。
あと三日しか生きられないなら、せめて俺がこの子の家族になろう。短い一生を、ひとりぼっちでなんて終わらせさせたくなかった。
俺は医者にこの子猫を引き取ることを告げて、子猫と一緒に家へと帰った。
家に帰ってまずやったのは、靴下の中に米を詰めてレンジで温めたものを子猫に抱かせることだった。
そうやって子猫の体温が下がるのを防いでいるうちに、段ボール箱とタオルで簡易的に子猫の寝床を作る。ペットシートは、病院で何枚か買ってきているのでそれも敷いた。
子猫が落ち着いてきたら、人肌に温めたミルクに猫風邪用の粉薬を混ぜたものを子猫に飲ませる。シリンジで少しずつミルクを与えると、子猫のお腹がぽってりと膨らんだ。
お腹いっぱいになったのか、まだ暖かい米の詰まった靴下に寄り添う子猫を見てぼんやりと考える。
世話のしかたはわかるとして、これから三日間、この子猫をなんと呼ぼう。家族になるのであれば名前は欲しいところだ。
すこし考えて、どんよりと曇った河川敷が頭に浮かんだ。
「おまえの名前は浮舟だ」
俺の言葉は耳に入っただろうか。浮舟と名付けた子猫は、靴下に寄りかかってうとうととしていた。
そして、浮舟を拾った翌日も、その次の日も、俺は動物病院へと通った。新作のプロットをやらなくてはいけないのはわかっているけれどもそれどころではない。
病院で浮舟のようすを見てもらって、どうにも容態が良くないということだけを告げられて家に帰る。
浮舟は今日も米の詰まった靴下の側でうずくまっている。そして夜が来て、浮舟はゆっくりと目を閉じた。
それから一年後、俺はあの時浮舟が抱えていた靴下を、履くこともできず捨てることもできずにとっておいて、たまに眺めていた。
あの時は必死でなにも考えられなかったけれども、浮舟を拾ったことは間違いではなかったと思う。
浮舟を拾ったあの日が懐かしい。そう思いながらプロットを切るために机に向かっていると、頭の上に重いものが降ってきた。
「にゃーん!」
「こら浮舟! 仕事中だって言ったろ!」
浮舟を拾って四日目の朝、浮舟はそれまでよりも良くミルクを飲んで、動き回るようになった。そしてそのまま、結膜炎も猫風邪も完治し、しばらくしてから去勢手術も無事に終えることができた。今ではすっかり俺の家で過保護猫になっている。
浮舟を頭の上から下ろすと、浮舟は壁を走ってまた俺に飛びかかってくる。
こんなに元気になって。随分と長い三日だ。
浮舟と会ってから、俺は自信を持てずにいた自分の気持ちを立て直すことができた。それはひとえに、浮舟という家族を守るためなんだと思う。
はじめて会ったあの日、俺が浮舟の側にいれば寂しくないだろうと思ったけれども、実際には、俺の方が浮舟のお世話になっているのだろう。
机の上に乗った浮舟がちゅぱちゅぱと俺の指を吸う。これはごはんの催促だ。
俺はシャーペンを机の引き出しにしまって、浮舟のごはんを用意しに行った。