「おかえりー修斗。今日の相手は強かったわねぇ」

 リビングの扉を開けると、湯気が俺を出迎えた。

「おでんだ」
「これは夕ご飯ね。お昼はうどんとかでいい?」
「なんでもいいよ」
「あんた裸足なんかになっちゃって寒くないの?スリッパ履けば?」

 春夏秋冬関わらず、昔から1歩でも家に入ると俺は靴下を脱ぎ捨てる癖がある。習慣として無意識に行なっていることだから、今日も特に意図しないでの行動だった。

「あら、修斗その足どうしたの?」

 今日は心の傷の方が痛すぎて確認しようとも思わなかった足の指は、昨日にも増して腫れていた。思いがけないタイミングで注目された足。今ならあの言葉が言えるかもしれない。

「痛いんだよね、足」
「あら、どこかにぶつけたの?」
「いや、そうじゃないんだ」
「そんな足で試合してたなら辛かったでしょう。可哀想に」
「あのさ母さん。実は俺のバッシュね……」
「うん?」

 小さいんだ。たったそれだけを言えばいい。そうしたらきっと「じゃあ買おうか」と言ってくれる。

「バッシュが小さ──」

 俺が最後まで言い切れなかったのは、顔の赤い誰かがドシドシと音を立て、リビングに入ってきたから。

「あらあなた、おかえり」

 母はそう言いながらも、俺にこそっと「早すぎよね」と愚痴を溢した。荒く椅子へと腰を掛けた父に聞く。

「お帰り父さん。今日はどう?なにか売れた?」

 顔の前、手を行き来させる彼。

「売れない売れない。冷やかしの婆さん3人とお喋りして終わりだ」

 ポケットの中の小銭や鍵を卓上に投げるように放り出す彼は、虫の居所が悪い。けれど俺は言ってしまった。

「まだ店開けてたら、もしかしたらなにか売れてたかもしれないのに」

 その発言に、父の血走った目がぎろりと向いた。

「こんなに早く店閉めるんじゃなくってさ、もう少し遅い時間まで粘ればお客さんだって来たかもしれないよ」

 父の商売が上手くいって欲しい。ただそれだけの感情だったけれど、父にはそれが伝わらなかった。

「修斗にはわからんだろう!」

 ガチャンと一撃、卓を騒がせる彼の拳。

「あのショッピングセンターの袋引っ提げて、父さんの店の前を大勢の人が通るんだぞ!?あの忌々しい施設の袋を持ってな!前は商店街を利用していた顔馴染みの客も含めてだ!全て取られちまったんだよ!あの化け物が食いやがった!」

 その時父がもう一方のポケットから取り出したもの。それは日本酒のカップ。封を開け、口をつける彼を止める。

「父さんまだ昼だよっ。お酒なんか呑まないでよっ」

 腕を掴もうとすれば、それは乱暴に振り払われた。

「呑まなきゃやってられねぇだろう!修斗はわかったような口を出すな!自分で働きもしないくせに!」

 どけ!と俺を押し退けた父は、そのまま寝室に入り扉を閉めた。追いかける気力も吸い取られ、俺はその場で硬直した。

「気にしなくていいわよ。ただ酔っ払ってるだけだから」

 はあっと溜め息をついた母はこんな父の姿に慣れているのかもしれないけれど、俺は違う。
 父はこんな人ではなかった。

「ちょっと走ってくる」

 俺はそれだけを言い捨てると、玄関へ一目散。

「え、修斗お昼ご飯は!?」
「いらない」

 赤い裸足を靴へ突っ込み、鍵も持たずに出ればもう、消えてしまいたくなった。