「じゃあ、また明日修斗んち迎え行くわ」
「明日は何時」
「明日も6時くらいかな」
「うげ」

 俺の家の前。哲也は清々しく帰っていく。

 明日の2試合を勝てば明後日の準決勝へと駒が進む。決勝まで上がれば2月の関東大会へ出場する資格が得られる。今日の疲れは今日のうちに。俺も早く寝ようと思った。

 今は土曜日、夕方4時半。玄関を開けると父の革靴が見えた。平日よりも週末の方が売り上げが立つ客商売なのにも関わらず、小学生のような時間の帰宅に、俺の心を灰色の濃霧(のうむ)が覆っていく。
 リビングから廊下へと聞こえてきた両親の会話。俺は無意識に存在を(ひそ)めた。

「あなた。そろそろお店を畳んで、違う仕事に就いた方がいいんじゃない?」
「ばか言わないでくれ。一体何代続いた店だと思っているんだよ。俺の代で潰せるわけがないだろう」
「でも……」

 深刻な雰囲気に、借金を飛び越えて「貧乏」の2文字がすぐそこに見えた。壁にもたれかかり、ズズッと膝から落ちていく。

「あなた。うちは出産に普通の家よりもたくさんお金がかかったのよ。あの時みたいにお金で苦しみたくないわ」

 母のその発言に、父は「またその話か」と溜め息をついていた。初耳の俺は、口元に手をあてがった。

「だってそうじゃない。修斗の不妊治療にあんな大金使っちゃったから、ふたり目の治療は途中で諦めることになって……」
「それでも修斗には会えただろう」
「修斗にしかよ!ふたり目の子には会えてないじゃない!お金がないんだもの!」

 その瞬間、その手が痺れた。カチカチと音を立てるのは俺の奥歯で、バクバクと騒ぐは胸の中。こんなにも喧しく動く心臓なのに、全身に血が巡らない感覚が気持ち悪かった。
 ふたりの怒声が乱れ飛ぶ。

「関係ないだろう!不妊治療の話と今回の話は!」
「私はもうお金で苦しみたくないって言ってるの!修斗以外の子も私は抱きしめたかった!お金があったらきっとできた!後悔する前に、転職してよ!」

 ごめんなさい。

 咄嗟に芽生えたのは、この感情。靴を履いた俺は、その場から逃げ去った。

「うっ、うぅ……」

 野蛮な冬風が、頬を鋭利に掠めていく。

「う………!」

 俺がすんなり産まれなかったから、俺が金を使ったから、だから父さんも母さんも未だに苦しんでいる。未来の命を授かる治療も断念させた。俺が、金を食ったんだ。

 もうすぐ陽が沈む逢魔(おうま)が時。目指す場所はただ遠く。とにかく家族から離れたくて、滲んだ街をひたすら駆けた。