皆と別れても、時計の短針はまだ円の右側。
 今日は午前からの親戚行事で、父は休みを取っている。家へ帰ればまた、昨日のような話し合いが繰り広げられているのだろうか。

 (うち)には金がない。それは小学1年生の頃から痛いほど身に沁みている。涙目の母が「弟妹(きょうだい)を作ってあげられなくてごめんね」と、俺の頭を撫でたあの日から。
 母は数年間続けていた不妊治療に、ピリオドを打っていた。「金銭的にもう無理」と肩を落とした母を俺は忘れない。子供ふたりの仲睦まじい姿を望んでいた両親の期待に添えられず、どこかで背徳感を覚えた自分もいた。
 (のち)に産まれる子の命まで、俺が吸い取ってしまったのかなぁと。

 哲也の家から真っ直ぐ家へ帰る気分にはなれず、少し遠回りした本屋へ立ち寄った。

「あ」

 店頭すぐの新刊コーナー。目に飛び込んできたのは、ポップもはつらつとしたギャグ漫画。

「父さん、まだ買ってないよな」

 この本は、もともと俺が週刊誌でハマった漫画なのだけれど、単行本の第1巻を父に見せたら、彼は腹を抱えて笑っていた。

「おもしろいなこれ。父さんも読みたいから今度からは買ってやるよ」

 と、そう言ってそれからは3か月に1度、父か俺かのどちらかが単行本を入手してはふたりで破顔した。まあ、俺が金を払った日には、父が耳を揃えて負担してくれていたのだが。

 買って帰ったら、笑顔になるかな。

 ただ父の笑顔が見たい。俺の心はそれだけだった。それなのにレジの前、俺はおにぎりをもうひとつ減らせば良かったと後悔することとなる。何度見渡しても、財布の中身をひっくり返しても、出てくるのは黄土色ばかりで銀色のコインは1枚足りない。

「す、すみません、やっぱりやめますっ」

 しょげながら再び店頭へ。山積みにされた本を眺め、俺は思う。

 1冊くらいなくなったって、誰も気に留めないだろう。

 戻そうとしたその本を、練習着が入ったナップザックへと忍ばせた。出口はすぐそこだ。ゆっくり歩んだとしても、3秒後には外へ出られる。平然を装うための鼻歌を奏でながら、ドアの向こうに足を踏み出した時だった。

「ちょっと君。お会計済んでないものあるよね」

 そう店主に腕を掴まれたのは。