バスケを辞めると決めた俺がどうして今、寝癖もそのままに高校の体育館へと向かっているのだろう。

「修斗、走るよっ」

 真那花の手はどうしてこんなにも、力強く俺を握りしめ離さないのだろう。
 そして俺はそれよりももっと大きな力でその手を振り解けるはずなのに、どうしてしないのだろうか。
 彼女の後ろ姿を追いかけていると、いつもその先には希望が見える。


「やっぱ行かない」

 これだけ急いで来たのにも関わらず、体育館を一目見ただけで足は止まった。

「やっぱ行けねえよ、練習も参加してないのに」

 銅像のように動かなくなった俺へ、真那花は白けた目を向ける。

「なに言ってんのここまで来ておいて。ほら、行くよ」
「行かない」
「こら、修斗っ」
「行かないっ」

 母が俺のバスケをしている姿を好きだと言ってくれたところで、家に金がないことには変わりない。俺がバスケを続ければ迷惑がかかる。
 
 校庭にぽつんとある朝礼台。そこへ座り、グラウンドを眺める。野球部もサッカー部も今日はいないからか、どこかもの寂しさが漂っていた。
 真那花は俺の隣で腰を下ろすと、俺の腿へ手を乗せた。

「修斗、本当に体育館入らないの?」

 入りたい。けれど脳へ鮮明に残る4百万。

「真那花は体操辞めた時どういう気持ちだったの」

 呟くようにそう聞いた。彼女がどう答えるかなんて、わかっていたのに。

「辛かったよ」

 そりゃそうだ、と思う。今の俺も辛いが、いつか真那花のように過去形で話せる日がくればいい。

「そうだよな、ごめん」

 謝る俺に、真那花は続けた。

「私の場合はドクターストップだから仕方ないよね。きちんと準備運動しなかったりケアしなかったり、自分にも非があった。だから悔しいけど、諦めるしかない。幸いバスケ観戦も趣味みたいなものだしさ。気を紛らわせる方法がなかったわけじゃないよ」

 腿に乗せられていた手がおもむろに離れたかと思ったら、その手で頬を覆われた。

「でも、修斗は違うじゃん」

 真面目な顔した彼女の背景、ダムダムとボールの音が聞こえてくる。

「辞めなきゃいけない仕方のない理由なんて、修斗にはないじゃんか」

 シュートが決まったのか、黄色い歓声も漏れてくる。

「家庭のことが心配なのはわかるよ。でも、それでも修斗が好きなことを辞めるのは違うよ。さっきのお母さんの言葉が答えじゃんっ」

 キュッ。キュッ。キュキュッ。

 体育館には、今日も俺の好きな音が響く。

 キュッ。キュッキュッ。

 ほら、また。シューズがフロアを掴んで離れ、また掴んでは離さない。

 キュッ。キュッ。

 仲間の頑張っている表情が、汗が、この音だけで伝わってくる。

 キュッキュッ。キュ。

 もしかして俺、まだバスケがしたいのかな。

 空っぽな校庭に描くは仲間の姿。ひとりずつ順に描いて全員揃えば、俺はそこ目掛けてジャンプした。やっぱり俺も、みんなと一緒にいたい。

「真那花」

 朝礼台から飛び降りた俺は、くるりと振り返り真那花を見上げる。

「俺の心臓今、超バクバクしてる」
「なんで?コーチに怒られるから?」
「いや、それもあるんだけど」

 胸に手をあて、大きく深呼吸。ウズウズすれば、わくわくしていく。
 
「あいつらと一緒なら、勝てる気しかしないから」