銀婚式の時、家内にどこで食事をするかと問われ、その日に大切な仕事の案件が立て込んでいたこともあり、彼女が何を言っているのか、よくわからないまま、取ってつけたような真珠のネックレスをプレゼントした。
食事には行けず、家内は自宅で私に食事を振る舞うと丹精込めて支度をし、私が帰宅し、21時を回った頃、それでもダイニングテーブルでワイングラスを前に背筋をただして微笑んでいた。
慌ただしく、そして煩わしかった。優しい家内の態度がときに、私にとっては気に障った。内心憤りながら、こんなゆきずりで辿り着いた今日に、価値や意味を見出して人並みに嬉々としている。これからも宜しく、そんな月並みな御託も所詮、やがて意味を成さないであろうに、真珠のネックレスを見て家内は酷く喜んでいた。
十周年の時、同じネックレスを渡していたと気がついたのは、私が病気で倒れる十日前の話だ。
「晴雄さん。晴雄さーん」
「やっぱり少し血圧が高いわね」
「昨日ポテトフライ爆食いしてたからすかね」
「病室に誰がポテトフライを持ち込んだのよ」
「自分す」
「あなたねえ!!」
殺す気なの! と同僚か、先輩か、ナース服の看護師に胸ぐらを掴まれて気怠そうに目を逸らしている。その視線とかち合った時、悪戯に笑われた。
たしかに私は彼女に殺されかけた気がする。だが、自分でその死を手繰り寄せた。死に急ぎ、死を乞うた。それでも、それでも。
酸素マスクを付けたまま、彼女に心から笑っていたのは、昔を思い出したからだろうか。
◇
「大概、死ぬんすよ」
「なにが?」
「自分がね、担当につくと。大概死にます。患者」
「どこで看護師交代の手続きが出来るのかな」
「けど、晴雄さん正味死にたがってんしょ?」
65になる。世間一般的には、まだまだ若いのかもしれない。月並みで、苦しむには取るに足らない。過去はありふれていて、特記事項も何もない。最愛の女房を傷つけ、逃げられた。それを、自分が逃した気でいる。追いかける度胸がなく、自分の手から逃れさせることで、彼女に自由を、あてがったつもりでいる。
その末の絶命は、やがて聞こえとしては美談だ。
「本当は奥さんに逃げられて心底傷ついてるくせに、追う度胸なくてかっこよく死ねる俺可哀想っては、笑わせんな気色悪い。そーゆーの、なんつーか知ってます?」
彼女が短い横髪を耳にかけ、ベッドに片手をついて私の耳に口を寄せる。
「自己満足っつーんすよ」
「…」
「根性なしが。美談で終わらせてーだけだろ」
「君にはわかるまい」