3学期が始まった。週末には美高専願受験が控えている。
 クラスの中はなんとなく緊張感が高まってきた、気がする。美高専願受験を受ける(ことになっている)のは私と香織を含め5人もいる。香織ともう1人は本気の本命が美高だから、そのやる気といったら近寄れないくらいに、高まっている。

 「なんで、緊張してないの?」
香織がまた、メンタル面のアドバイスを求めてきた。緊張で、実力が出せなさそう、どうしよう、と。香織には私がどれほど落ち着いて見えているのだろう。私には「気楽に行くしかないよ」とか「合格を信じるんだ」とか、それこそ根性論しか言えない。まさか、私は内定もらっているからなんて、腹の底でしか、言えない。


 「美高で会えるかな?」

 「うん。会えるよ。」

 今思えば、もっと香織の顔を見てあげればよかったのに。


 週末、美高専願受験が行われた。私は「香織とは部屋が違ったみたいだね」ということにして、自分の部屋でおとなしく動画ばかり見ていた。

 月曜日から香織は学校に来なくなった。

 びっくりするくらい、そのことが気になっていなかった。今日も来ないよね? ということを確認して、安心する毎日だった。一日休んで、二日休んで。一週間が経ったころから、私は香織が学校に来ないことを期待するようになっていた。香織に会ってしまうことが、怖かった。

 1月30日。
 私の合格が公になった。
 香織の不合格が知らされた。

 「おめでとう。」

 みんなの祝福が、ツララのように突き刺さる。嬉しいはずのお祝いが、すごく悲しい。香織を置いて、独り合格したのが、喜べない。この日、初めて「香織はどうして来ないのだろう」と思った。受験がうまくいかなかったのか、それとも、私が推薦受験だということに気づいてしまったのか。

 結局香織は卒業まで一度も学校に来れなかった。今、思えば、来れるはずがなかった。
 私と香織の親友は、中学卒業をもって賞味期限切れとなった。

 私は感情を殺して美高に通った。美高セーラーを着て、独りで美高まで歩いた。話せるクラスメイトは居るけど、同級生の美高への「異常な熱」が気味わるく感じられ、「親友」などと呼べる友達はひとりもできないまま夏休みを迎えた。

 ここに香織がいたかもしれないのか。

 香織と離れて、香織がいた空白で、香織の大きさを感じていた。

 ある日、帰宅すると「ちょっと」と母が真剣な話を持ちかけてきた。

 「香織が自殺を図っていたらしい」

 内容はそういうことだった。理由は受験勉強が思うように進まず、将来を悲観したから。母によると、いつ図ったのかは、わからないが、中学生だった3月までの出来事らしい。それは学校に来れるはずがなかった。
 なぜいままで問題にならなかったかといえば、「よくある」話だからだ。受験生が精神的に「病んで」、そういうことを思い立つのは、まあ、学年に1人くらい、いてもおかしくないそうだ。
 今日偶然、香織のお母さんと会う機会があって、そんな話を振られたらしい。香織は一命を取り留めて、今は心の回復を目標に家で静養しているらしい。

 私はこの事実を、もっとも落ち着いた驚きで受け止めた。事実の破壊力はあるが、どこか「そうなのかな」と思っていた節はあったのだ。

 香織は何度も私にメンタル面についての相談をしていた。
 「美高で会えるかな」と言ったその目に光はなかった。

 本当に親友だったのかな? って疑いたくなるくらい、落ち着いていた。私は知っていて止めなかったのかもしれない。真実が明るみになる日が、いつ来るのかが怖かった。
 衝撃はそれなりにあったが、ドライに「私は私」と割り切ることもできる「大人」になっていた。私は香織と高校に通いたかった訳ではない。地味で暗い高校生活でも、そつなく卒業するのが大事だった。
 季節は流れ、私の進級が決まった。香織の人生には受験失敗があり、私の人生には受験不合格がなかった。それだけ、だ。

 「おはよう」

 春。白い、逆三角形のセーラーエリと、赤チェックのスカートが特徴的な、美高セーラーを着た香織が私の前に現れた。
 笑っているような、泣いているような、見るのが怖い顔だった。

 「ごめん」

 私は香織と目を合わせず、逃げるように2年生教室に急いだ。
 本当の賞味期限は今日だったのかもしれない。