月曜日。気づいたらもう12月が目前に迫っていた。

 「やっぱり私、国語がダメなんだ…。」
 昨日は香織の塾で模試があったらしく、香織が求めているほど高い点数がとれず、特に国語の成績が壊滅的だったらしい。朝からずっと愚痴を聞かされ、こっそり先生に願書を出しに行く暇もなかった。
 「もう、私、高校行けないかも…。」
 いや、今の香織なら受ける高校は選べるほどあるはずだ。挑戦の望洋高校も、安パイの中部高校も、絶対受かる第一も。でも香織は、美高に行きたいんだ。今年の倍率はわからないが、これだけ人気の美高に行きたいのに、成績に不安があっては、確かに弱気になるだろう。
 「ねえ、そんなに弱気だったら、美高のほうから逃げちゃうよ。」
 ちょっと元気を出してもらいたかっただけなのに、「縁起悪いこと言わないで!」って、逆に怒られてしまった。最近の香織は明らかにキレやすくなっている。
 いつもなら温厚誠実な人柄でまわりを和ませていた。最近は掃除をサボる子がいれば「私は勉強時間削っているのに」とか、授業中に先生が悪い子の指導を始めたら「私の勉強時間が削られた」とか。とにかく勉強できなくなることにイラついていた。
 「いつもの香織じゃないよ…。」
 なにか口にしても、香織のイライラを増幅させるだけなので、さっさと先生のところに願書を出しに行くことにした。

 職員室に行くと、先生が「ああ」と言って、用件も聞かずに願書を受け取ってくれた。問題なければそのまま出すとのことだった。

 私の高校受験は、こんなに簡単に終わった。
 喉から手が出るほど、合格が欲しい人がいる、親友が行きたがっている高校に、ほぼ受かることを決定づけてしまった。

 つまり、私には実質勉強する意味がなくなってしまった。もう答案にバツがつくことを怯えることも、問題が解けないことに焦ることもない。かと言って、授業で手を抜くようなことはしなかったけど、「これができなくても、私は高校には行ける」と思えば、少し気は楽になった。

 今日の国語は漢文で、登場人物の生き方について自分の考えをもつ、という授業だった。私はもう気楽だから、ただどういうところが面白いかな、と考えて書く。香織はまだまだ必死だから、どうしたら点が高くなるか、と考えて書いて、消す。
 「そんなにカタク考えてちゃ、答えは出ないよ」という、先生のアドバイスがまた(かん)に障ったらしい。香織は、涙を溜めて、保健室に行ってしまった。

 「ねえ、スランプってどうやったら抜け出せるの?」
 「どうしたら焦らず勉強できるようになるの?」

 香織は私に勉強のことをきくようになった。特にメンタル面について。どうやら香織には私がメンタルの問題を上手にクリアして受験に向かっているように見えるらしい。そんなの誤解だ。私はもう行く高校が決まったから安定しているのだ、などとは言えない。まさか決まったのが美高だなんて、口が裂けても、言えない。
 一方、家に帰れば、私はもう受験生扱いされなくなっていた。働いて帰ってきた両親に代わって夕食を準備することもある。家事の手伝いも、増えた。両親としては大学受験を控えている美高生の姉のサポートに徹したいという感じだった。
 正直、学校と家で「二重人格」のような、別の役割を担って「演じて」いるような生活に疲れてきた。もし、別な学校の推薦であれば、素直に香織に言えると思う。でも「美高推薦受けるんだ」とは、何度言おうとしても、何度も自分で引き留め、結局言おうとすることをやめてしまう。

 願書を出して2週間後。こっそり職員室に呼ばれ、美高推薦の合格内定を知らされた。(おおやけ)になるのはおよそ1か月後、1月30日の専願受験の合格発表日だ。

 「ねえ、香織。私も美高の専願受験受けることにした。」

 私は香織に、ちょっとしたウソをついた。合格発表は同じなんだから、たいして変わらない。受験会場にいないことは…。ちょっと頭がまわってなかったけど、まあ、誤魔化しが効くだろうと思っていた。

 新年あけまして、今年の専願受験の出願者は1年前より少し減って200人程度。倍率にすると、2.5倍だ。専願受験の倍率とともに、推薦受験の内定者数も発表された。

 5人。

 中学校によっては学校から1名しか推薦しないところもあるらしいし、完全に美高目線な少々カタヨリのある条件だったから、妥当な人数だろう。私のように無試験で人気校の美鳥高校に行ける人が世の中に5人もいるわけだ。
 年が明けてもなお、香織には言えなかった。家では余裕ある妹、学校では香織と一緒に受験する受験生。違う役割を演じるのも、あと数週間の辛抱だ。