僕は彼女の返答を聞くと、黙ってうなだれて受付を離れ、たくさんのソファーが並んだ待合室の中央付近まで歩いて行った。天井を仰ぐ。この上のどこかの階に、加藤はいる。一人で重態の親族のことを考え、心を痛めているのだ。親に連絡はついたのだろうか。加藤は母親とは小さな時に別れ、父親との関係も悪いようだった。唯一頼れる叔母があんなことになり、大丈夫だろうか。いや、大丈夫なはずがない。僕はいっそ、この病院のすべての階の部屋を訪ねて、加藤を探してやろうかとすら思った。でも、出来なかった。加藤自身が誰にも会いたくないと言っているのだ。僕は傷ついている彼女の意思を無視することに躊躇した。僕は再び受付に行くと、メモ用紙とボールペンを借りた。僕はそのメモ用紙に自分の携帯の番号とメアドを記し、『落ち着いたら連絡してほしい。緒方透』と書き添えた。

「加藤にこれを渡してくれませんか?」

 僕はあの眼鏡の女性にメモを渡した。彼女は頷くと、「必ず渡します」と微笑してくれた。僕は彼女に一礼をして、病院の外へ出た。陽はすっかり傾き、街灯とタクシーのヘッドライトがヤケにまぶしく感じた。僕はしばらく歩いてから、病院を振り返る。すべての病室の窓に明かりが灯っている。加藤はどの部屋にいるのだろう。僕はずっとここに立っていたいと思った。そうすればいつか、あの病院の入り口から加藤が出てきてくれるはずだから。彼女の顔を見られるから。僕はそんなことを考えながら、胸ポケットにしまってある携帯電話をぎゅっと握った。

 今はこれだけが、僕と彼女を繋ぐ唯一の線だった。