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――緒方さん、時間薬って知ってますか?
何故、藤原はそんなことを僕に訊いてきたのだろう。
僕は地下鉄の自動改札をmanacaを使ってくぐり抜け、自販機の光が照らす夜の歩道を両手をコートのポケットに突っ込んで歩きながらそんなことを思った。僕から見た藤原皐はおおよそ、そんな言葉とは無縁な子だ。彼女は僕の後輩だが、年は同じ二十四歳。偏差値の高い国立大学を卒業してからアメリカに語学留学したので僕より二年遅れで社会人になったのだ。結婚する前に二、三年社会人経験を積むためだけにうちの会社に入ってきた、と以前彼女の口から聞いたことがある。
「言い寄ってくる男はいっぱいいますからね。よりどりみどりですよ」とも例のにひひという笑い方をしながら言ってもいた。彼女の容姿は軽く平均点を超えているし、家も金持ちらしいのでそれも頷ける。これから数十年身を粉にして働かないと生きていけない僕とは別次元の存在だ。
彼女には時間薬なんかいらない。
大いに僕の偏見が入っているけれど、一般人より遙かに恵まれた境遇の彼女が時間薬を必要とするようなことなんてない。
僕が時間薬という言葉を最初に聞いたのは、引きこもっていた頃に両親に無理矢理連れて行かれた心療内科の医師からだった。僕は診察室で初診の人間が答えるらしいいくつかのアンケート(食欲はあるか、眠れるか、性欲はあるか等)に答えた後、真っ白な用紙を渡されて、「そこに木の絵を描いて」と言われた。僕は絵心なんてまるでなかったけど、適当に幹の細い枯れ木のような線を引いて見せた。
「葉っぱは?」と僕の正面に座っている医師が尋ねる。
「無いです」と僕は答えた。
白髪まじりの頭髪をした医師は柔和な笑みを目尻の皺に刻んで、「面倒なんだね」と言った。僕は無言で頷いた。
「面倒かもしれないけど、ここは頑張って描いて見てくれないかな。君の一番好きな木を知りたい。時間はどんなにかかってもいい。休みながらでもいい。僕に君の心の中にある木を見せてくれない?」
――緒方さん、時間薬って知ってますか?
何故、藤原はそんなことを僕に訊いてきたのだろう。
僕は地下鉄の自動改札をmanacaを使ってくぐり抜け、自販機の光が照らす夜の歩道を両手をコートのポケットに突っ込んで歩きながらそんなことを思った。僕から見た藤原皐はおおよそ、そんな言葉とは無縁な子だ。彼女は僕の後輩だが、年は同じ二十四歳。偏差値の高い国立大学を卒業してからアメリカに語学留学したので僕より二年遅れで社会人になったのだ。結婚する前に二、三年社会人経験を積むためだけにうちの会社に入ってきた、と以前彼女の口から聞いたことがある。
「言い寄ってくる男はいっぱいいますからね。よりどりみどりですよ」とも例のにひひという笑い方をしながら言ってもいた。彼女の容姿は軽く平均点を超えているし、家も金持ちらしいのでそれも頷ける。これから数十年身を粉にして働かないと生きていけない僕とは別次元の存在だ。
彼女には時間薬なんかいらない。
大いに僕の偏見が入っているけれど、一般人より遙かに恵まれた境遇の彼女が時間薬を必要とするようなことなんてない。
僕が時間薬という言葉を最初に聞いたのは、引きこもっていた頃に両親に無理矢理連れて行かれた心療内科の医師からだった。僕は診察室で初診の人間が答えるらしいいくつかのアンケート(食欲はあるか、眠れるか、性欲はあるか等)に答えた後、真っ白な用紙を渡されて、「そこに木の絵を描いて」と言われた。僕は絵心なんてまるでなかったけど、適当に幹の細い枯れ木のような線を引いて見せた。
「葉っぱは?」と僕の正面に座っている医師が尋ねる。
「無いです」と僕は答えた。
白髪まじりの頭髪をした医師は柔和な笑みを目尻の皺に刻んで、「面倒なんだね」と言った。僕は無言で頷いた。
「面倒かもしれないけど、ここは頑張って描いて見てくれないかな。君の一番好きな木を知りたい。時間はどんなにかかってもいい。休みながらでもいい。僕に君の心の中にある木を見せてくれない?」