だけれども、親というのは奇特なものでそんな半ば廃人と化した息子でさえ、見捨てなかった。父も母も、僕を優しく諭し、時には厳しく叱咤して、何とかまっとうな人間にしようと涙ぐましい努力をしていた。担任の教師や役所の職員、時には高名な心理カウンセラーまでが僕の部屋に訪れ、根気よく僕に話しかけ、外に連れだそうとした。両親の目的はただ一つ。特に成績が良くなくてもいい、スポーツが苦手でもいい、根暗でもとりあえず世間一般の皆様と支障なくコミュニケーションをとれる人間になってくれればいい。

 まっとうな以前の僕に戻ってくれればいい、それだけ。
 あはははは。

 父さん、母さん、悪いけどそれは無理な注文だ。

 なぜなら、僕は引きこもりになる前から、それよりもずっと前からまっとうな人間なんかじゃなかったのだから。

 今まで擬態していたんだよ。

 普通の中学生を演じていただけだ。

 あなた達の息子、緒方透(おがたとおる)はもうずっと前から、いやきっと生まれた時から、普通ではなかったんだよ。ごめん。

「普通の人って、こんな時どうするんだろう?」

 転校する前の加藤杏に、僕はそう尋ねたことがあった。彼女は神妙な表情をしてたっぷり三十秒は考えてから答えた。

「したいようにするんじゃないかな。緒方はどうしたいの?」
「分からないけど」
「じゃあ、分かるまで考えて。それしかないよ」

 二人で授業をサボって保健室にいた時の、僕達が普通の中学二年生に擬態した状態を保っていた時の会話。

 あの頃、僕は錯覚していたのかもしれない。彼女と二人でなら、もしかしたら普通になれるのかもしれないって。たとえ普通になれないにしても、擬態したまま生ききることが出来るのかもしれないって。だから、彼女が町を離れて遠くの離島に行ってしまった時、僕は途方に暮れるしか無かった。見捨てられたような気がした。胸の奥に小さな穴が空いて次第に広がっていく感覚。今まで感じたことのない言葉に出来ない体験だった。

 それが痛みだと認識したのは、加藤杏が転校して三日くらい経ってからだ。

 身体の傷なら、薬を塗れば良い。消毒してガーゼを貼って包帯を巻けば良い。

 でも、この見えない痛みはどう対処すればいい?