加藤は大きく口を開けて笑いながら、僕の方へと近寄ってきた。彼女の背後から静かな風が吹き、髪が微かにたなびいた。懐かしい匂いがした。甘い砂糖菓子のような加藤の髪の匂い。呆れたことに、僕の心臓は鼓動を速めていた。加藤は僕の中に深く深く埋めていた感情をたちまち掘り起こしてしまう。困ったヤツだ。

「今日は何の用だ?」
「あんたを救いに来たんだよ」

 さらりと目の前の加藤は奇妙なことを言い出した。

 意味が分からない。

「どうやって救ってくれるんだ? 大金でも掴んだのか? 宝くじでも当たった?」
「そんなんじゃないよ、緒方は打算的だな。私達が抱えた闇は、お金がいくらあっても払拭なんてできないっての。そんなことも分かってないの? 緒方、ダメリーマン」

 加藤は僕の返答に、眉で八の字を描き、はぁ、と盛大な溜息を吐いた。

「じゃあ、どうやって加藤は僕を救ってくれるんだ? ちなみに殺されてやるつもりはないぞ」
「私が救うんじゃないよ。私を救ってくれた子に、あんたも救ってもらうんだよ」
「お前を救ってくれた子?」
「あ、来たよ。おーい、転ぶなよ、希(ルビ のぞみ)」

 加藤の声に視線を移すと、そこには表通りの曲がり角から、こちらに元気に駆けてくる小さな子供が居た。赤いセーターにブールジーンズと加藤とお揃いの格好をしている。まだ二歳くらいだろうか。でも幼いながらも整ったその顔立ちを見て僕はすぐに分かった。

「加藤の子か」
「うん、可愛いでしょ」
「ああ、加藤に似て美人さんだ」
「馬鹿、希は男の子だよ。だから将来はあんたに似るかもね」
「はあ?!」

 加藤は、またさらりととんでもないことを言い出した。僕は加藤の爆弾発言に固まってしまう。そんな僕を尻目に加藤はその場で膝を折って屈むと、すぐそばまで息を切らして走ってきた息子を笑顔で抱きしめた。希と呼ばれたその子も、嬉しそうに「お母さん、お母さん」と何度も加藤のことを呼び、加藤にその小さな身体全部を使って抱きついていた。

「この子を身籠もったって知った時に、ね」加藤は息子を抱き上げながら、僕を見る。「破壊衝動よりも、保護欲が勝ったんだよ。私、この子を心の底から愛してる。でも壊したいとは全然思わない。この子が、緒方が、三年前、私にこの子をくれて、壊れた私を救ってくれたんだよ」

「お前、あの時、避妊薬飲んでるって」