エピローグ 僕からの暗号

 その絵葉書は、ポストに最近出来たデリバリーのピザ屋のチラシと水道の検針結果が印刷された用紙と一緒に投函されていた。消印はない。昨日の夜、僕が知らない間にどうやら彼女は三年ぶりに、ここに来たらしい。


 日曜日の十時半、あの店の前で待ってる。絶対来い。            

                                     加藤杏


「こっちの都合、ガン無視かよ」

 僕は加藤からのモノと思われる三匹の猫のイラストがプリントされた葉書を手にして嘆息する。あいつはあいかわらずマイペースだ。僕がその葉書を見つけたのは休日出勤するために背広に袖を通しながら部屋から出た時で、僕はその場でスマホを取り出し上司に、親戚に不幸があったので作業は来週にしてくれと連絡を入れた。三分くらい嫌みを言われたが何とか本日の出勤を免れた。さて、

「あの店って、やっぱあの店か?」

 僕は背広の上着を着るのはやめて、左手に抱えて歩き始める。外に出て気付いたが、今日は冬の朝にしては、存外に温かかった。革靴と階段の間で鳴る音も心なしか軽く感じた。歩道をしばらく歩いて住宅街を抜けて、開店前のファミレスの前を横切り、僕は路地に入る。シャッターの閉まった小さな中華料理店の前に、髪の長い女性が僕に背を向けて立っていた。上はだぼっとした赤いセーターを着ていたので分からないが、下はぴったりと脚に張り付いた色落ちしたブールジーンズを履いているので、彼女が三年前よりさらに痩せているのが分かった。

「開店前に並ぶほどの店でもないだろう?」

 僕は彼女の背中に声を投げつけた。

「あ、来たね」

 加藤杏が振り返る。笑顔だった。やっぱり頬が少しこけて痩せている。なのに、彼女からは柔らかな丸い印象を僕は受けた。僕は一瞬、亡くなった加藤の叔母さんを思い出す。

「私と会うために、わざわざスーツ着てきたの?」
「違う。本当は今日休日出勤だったんだ。少しは僕の都合も考慮してくれ」
「私と仕事どっちが大事なの?」
「彼女かよ」
「あはは、一度言いたかったんだよ」