「緒方、ちゃんと言えたら、この場で殺してもいいよ」加藤は目をすがめて笑顔のまま、目の端に涙を浮かべて、「早く、あんただけのものにしてよ」

 そう言うと、両腕を静かに下ろし、両目を瞑った。彼女の頬を一筋の透明な液が、緩やかなカーブを描いて流れた。

 僕は両手に力を込めようとした。でも、入らない。頭の中では分かっていた。この場で彼女を自分だけのものにして、すぐに僕も自害すればいいと。それが無理ゲーから抜けだし二人で幸せになれる唯一の方法だと。加藤が十年前、施設の壊れた子供達を哀れみ、そうしたように。だから、僕は、十年間無理矢理押さえ込んでいた彼女への胸を突き破るような激情を言葉にして、破壊衝動を開放して、この手に力を込めて、やっと、本当の気持ちを、彼女に告白して――

「……緒方?」

 加藤は目を開けると、僕を不思議そうな顔をして見上げていた。

 僕は、彼女の首から手を放していた。そして、右手の甲で自分の涙を力任せに拭って言った。

「五千円持って、帰れよ、ウソつき」

 僕はそう吐き捨て、床に四散した彼女の下着と制服をかき集めると、投げ捨てるようにして彼女に渡した。

「そっか……」加藤は僕の渡した衣服を持って言った。「これからも擬態して、マトモなフリしてこの荒野を生きて行くんだね、緒方は」

 加藤はその場で僕のワイシャツを脱ぐと、下着を履き、僕の出身校の制服を身につける。偽高校生へと戻っていく。

「大人になったと言ってくれ」僕はテーブルの上の五千円を取り上げると、彼女に差し出した。
「大人になるってことが、幸せを諦めるって意味ならそうかもね」

 加藤は右手を伸ばして、人差し指と中指で札を挟むと僕から報酬を静かに受け取った。

「じゃあね、緒方」
「さよなら、加藤」

 加藤は、もう何の用もないと言わんばかりに、灰色のトートを拾い上げて短いスカートの裾を翻し、踵を返すとすたすたと狭い廊下を歩き、ローファを履きながら、僕の部屋の扉を開けた。真冬の弱々しくて、真っ白な朝陽が、彼女の姿を照らした。細い彼女の影がのびて、僕の居るリビングまで届いた。加藤が僕の方を一瞬振り返った。でも、表情は逆光になってよく見えない。

 泣いてるいるようにも、笑っているようにも見えた。