「お嬢様は時間に厳しいですから。朝のお薬は飲みましたか?」直美さんは窓の外を閉めつつ、ウインカーを出してハンドルを右に切った。
「どの薬のこと? 処方されてるのは全部飲んでるよ」あたしは赤いミュウミュウのバッグからランチボックスを取り出して中を確認する。うん、崩れてないね。
「またバッグを変えたのですか」ルームミラー越しに見えたのか、直美さんがジャガーを滑らかに走らせながら尋ねてきた。
「うん、前のプラダより嫌みじゃないっしょ。フツーのOLっぽいでしょ?」
「普通のOLはブランド物のバッグを月に三回も買いません。お父様に来月叱られると思いますが」
「会社には持っていかないって。平日はあんな小さな会社で、我慢してビンボーなOLの真似してるんじゃん。買い物くらい好きにさせろっての」
「お父様――藤原先生は、皐様に普通の社会人となって、普通の暮らしを営んで欲しいと願っているのです。それが皐様にとって一番の治療となり、幸福に繋がるのだと言っておられましたが」
「だから、フツーに生活してるっての」
「普通のOLは自分の一月分の手取額に相当するバッグを月に何個も買いません」
「じゃあ、車の送り迎えもいらないよ」直美さんの言葉にあたしは唇を尖らせる。
「皐様は、公共交通機関の乗り方も知らないと存じ上げてますが」直美さんはあたしの言葉を鼻で軽く笑った。くそっ。この女秘書は父さんの愛人でもあるからあたしの一存ではクビにされないことを分かってる。
「そんなことないよ。前、フェリーにだって乗れたし」
「十年も前の事ですし、確かあの時も事前に私がチケットを用意した記憶があるのですが」
「うっさいな! 黙って運転して」