風呂から上がる頃にはあたりはすっかり日が沈んでしまっていた。

 幸い空に満月が浮かんでいるおかげで家の中はそれなりに明るい。
 といっても流石にここまで暗くなっては氷室から食べ物を持ち出してくるのも難しいだろう。
 そして仮に食材を取り出してきたとして台所は月の光が射さない場所にある。
 今から外の窯から種火を持ってきて火をおこしたとしても、あの暗い台所で夕飯を作ると考えるとげんなりする。

 俺はとりあえず部屋に戻ると万年床の上に胡座をかき窓の外を見る。
 そこには中途半端に耕された畑が月明かりに淡く照らされていた。

「前途多難だな」

 文明の利器の無い異世界のスローライフは初日からとんでもなく大変な事に気付かされた。
 畑や風呂の準備だけで手も足も腰も既にパンパンだ。
 
「俺、こんな世界で本当に生きていけるんだろうか」

 畑の向こうには鬱蒼と茂る森。
 ときおり聞こえる犬の遠吠え。
 いや、もしかしたら狼かもしれない。

 それでも元々人の少ないド田舎に住んでいた俺にとっては懐かしいだけで恐怖は感じない。
 俺たちの時代では既に狼は絶滅してその怖さを知らないからだろう。
 むしろ懐かしさすら感じる。

 ぐぅ~。

 しかしそんな郷愁に思いを馳せていた俺の体は正直だった。
 よく考えたら今日は一日水しか飲んでない。
 そりゃお腹も空くよな。

「かといって今からなにか作るのも難しいし、昼間調べた限りじゃ氷室の中以外には食べ物なんて無かったからなぁ」

 いっそ我慢して眠ってしまおうかと思って布団の中に潜り込んで目を閉じたが一向に眠気は訪れない。
 毎日夜遅くまで仕事漬けの夜型男がいきなり早寝出来るようになるわけがない。
 しかもおなかの虫がグーグー空腹を訴えてる状況ではなおさらだ。
 何か食べるものは無かっただろうか。

「あっ、良いものがあるじゃないか」

 俺は起き上がると、部屋の隅の机の上に置いてあった五つの小袋を持ち布団の上に並べた。
 女神様から貰った袋の中身は種だ。
 昼間少しだけ使ったものの、まだまだその中にはかなりの量がある。

「あまりお腹は膨れないだろうけど、種って栄養満点だったはずだから少しは足しになるだろ」

 女神様から貰った貴重な種だが背に腹は代えられない。
 それに俺の能力が女神様が言った通りのものだったらすぐに新しい種が手に入るはずだ。

 とりあえずそれぞれの袋から種を数粒ずつ取り出す。
 丸い種、細長い種、薄っぺらい種、ギザギザな種、ハート型の種。
 野菜に詳しくない俺にはどれがどんな植物の種かはさっぱりわからない。

「とりあえずゆっくり噛んで食べればこんな物でもお腹をごまかせるだろ」

 ばりぼりばりぼり。

 ばりぼりばりぼり。

 気がつくとそれなりの数あった種が全て無くなってしまっていた。

「ふ~っ、種だけでもお腹は膨れるもんなんだな。もしかしてお腹の中で膨らむチアシードみたいなのも入ってたのかね」

 予想外に満足した俺はもう一度畑に目を向ける。
 自分で耕した畑で作った野菜は美味い。
 前にテレビ番組で有名な農業アイドルグループが言っていたのを思い出しながら月明かりに浮かぶ畑を見ていると。

「んっ?」

 さっきまでは何の変化も無く、月夜に照らされていたはずの畝(うね)の上に何やら小さな影が見える。

「おいおい、まさか。マジかよ」

 俺は慌てて窓を開けおいてあったサンダルを履いて外に飛び出す。
 そのまま一目散に畑へ向かうと、昼間種を埋めた場所の横に服の汚れも気にせず座り込んだ。
 彼の目の前。
 そこに規則正しく並んでいたのは、月の光を全身に浴びた小さな植物の芽だった。