新久郎はもう一つの問いを読み上げた。
『兎と雉の頭の数合わせて十九羽、足の数合わせて六十二本なり。兎と雉の数はそれぞれいくつなるや』
「ウサギ十二、キジ七」
 これにも少年は即答だった。
「なぜだ!?」
「十九羽すべてが雉だとすると足は二本ずつで三十八。でも総数六十二に二十四足りない。それを兎の足四本と雉の足二本の差、つまり二で割れば十二。これが兎の数。そして総数十九から兎の十二を引けば雉は七羽」
「ほう、ふむ……」と、新久郎は数を頭の中で追っていくが、まるで話に追いつけない。「まあ、なるほど。合っておるようだな」
 本当は少年の声を聞くのに夢中で話の内容など入っていないのだった。
 どうしたものか、聞いているだけで耳が熱くなる声だ。
「おぬしはまるで天神様のお使いのようじゃな。うらやましいものだ。私など、算術が苦手で苦労しておる」
 新久郎の身の上話にはまるで興味がないようで、少年は体の向きを変えてまたきれいな円をいくつも描き始めた。
「私の家は代々藩の家老を務めている家系でな。私も今は藩校で学んでいるが、父の後を継いでもうすぐ出仕しなければならないんだ」
 元服を済ませれば十五でも成人だ。
「身の丈ばかり大きくなって、頭の方はちっとも成長せぬ。こんなところで道に迷っておるようでは、とてもではないが父と同じ務めなど果たせぬものよ」
 自虐的な笑いを浮かべてみたところで少年は反応を示さない。
 円を描くのに夢中らしい。
 新久郎はきれいな円を描き出す少年の指先に見とれていた。
「おぬしは楽しそうで良いな。私は気が重くて仕方がない」
 と、そのときだった。
 また体の向きを変えて図形を描き始めた少年の足元を見た新久郎が、あっと腰を浮かせた。
「おぬし、血を流しておるではないか」
 少年の尻から足にかけて鮮血が垂れていた。
「怪我でもしたのか? 痛くはないのか?」
「なんでもない」と、少年は顔を赤らめる。
 新久郎は背中を向けて少年を背負うと、ひょいと立ち上がった。
 少年は木の枝を握りしめたまま目を丸くしている。
「な、なにをする!」
「今、医者に連れて行ってやるからな」
「は、離せ!」
 天神様を飛び出して小道を駆け抜けると、見知った大通りへ出た。
「おう、ここか。ここなら洪庵(こうあん)先生が近いな。もうすぐだ、心配ないぞ」
 背中に向かって語りかけると、彼は鍛治屋町に向かった。
 道行く人が振り返る中、若者は少年を背負ったまま駆けていく。