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本格的な夏を迎えたあるとき、木陰が涼しい境内でいつものように千紗が地面に図形を描いていると、藩校帰りの新久郎が姿を現した。
もう一人、老人を連れている。
「千紗殿。こちらは私の師の方正斎先生だ」
しゃがんだまま顔を上げた千紗は目を細めながらまぶしそうに二人を見た。
「ほう、これはまた見事な正五角形じゃな」
方正斎は白髪頭をかきながら地面にしゃがみ込んで千紗の描いた正五角形を指さした。
「この正五角形を隙間なくつなげてこの地面を埋め尽くすことはできるかな?」
「できません。正三角形と正方形と正六角形ならできます」
「なるほど」と、老師はニヤリと笑みを浮かべて数を唱えた。「二、三、五、七」
千紗が後を続ける。
「十一、十三、十七、十九」
「百番目は?」
「五百四十一」
ならば、と方正斎は別の数を唱えた。
「一、一、二、三」
「五、八、十三、二十一」
「六千七百六十五は?」
「二十番目」
「十八番目までの和は?」
「六千七百六十四」
ひょろりとした新久郎の上背がだんだん猫のように丸まっていく。
「先生、いったい何の話をしているのですか?」
「素の数の百番目を尋ねたのじゃ」と、方正斎は立ち上がった。
「素の数とは、一と自分だけしか割る数がない数のことですか」
「まあ、そのようなものだ」と、師は笑った。「もう一つは、前二つの数を足して次の数を導き出す法則で六千七百六十五は何番目に出てくるかという問いじゃな。ただし、この場合、最初の二項を与えられたものとしておるがな。そして、その和は二つ先の数から一を引いた物になるという性質を持つ。つまり、十八番目までの和は二十番目の六千七百六十五から一を引いた数ということだ」
新久郎はぽかんと口を開けて固まってしまった。
方正斎は立ち上がった千紗に穏やかな視線を向けた。
「そなたには見えておるようじゃな」
少女はコクリとうなずいた。
「先生」と、新久郎が老師をまっすぐに見つめた。「千紗殿はやはり天才ですか」
老師はそっと目を閉じると、長く息を吐き、腕組みをした。
新久郎が固唾をのんで師の表情を見つめている。
「そなたに問いたいことがある」と、方正斎は目を見開いて千紗に尋ねた。「二乗して負の九となる数の解をなんとする?」
「三ではありませんか」と、新久郎が横から口を挟んだ。
師に苦笑されて新久郎は引っ込んだ。
「何と言えばいいのかは分かりませんが」と、千紗は方正斎をまっすぐに見た。「あります」
迷いのない瞳に気圧されたように、「うむ」と、うなった老師は再び目を閉じ、しばしそのまま黙り込んでしまった。