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 時は江戸の昔。
 八代将軍吉宗の治世、西洋書物の輸入が解禁となり、蘭学が始まりだした頃、東北の田舎にはまだまだ新しい文化がもたらされることはなかった。
 そんな中、桜の花舞う武家町を歩く一人の青年がいた。
 年の頃は十五、元服を終えたばかりで、顔にはまだ少年のあどけなさが残る新久郎は頭を抱えながら歩いていた。
 昨日藩の学問所で出された宿題が一晩考えてもまるで解けなかったのだ。
 今日もこれから方正斎(ほうせいさい)先生の講義があるというのに、どうしたものか。
 これでも家老の跡取り息子なのだが、背丈は同じ年頃の若者よりも頭一つ抜きん出ているというのに、中身の方はまったく追いつかない。
 ついたあだ名が『ひょろり新久郎』では情けなくてならぬ。
『元服してまもない太郎の歳を五つに分けて三つ分を取れば次郎の歳となり、次郎の歳を三つに分けて二つ分を取れば三郎の歳となる。兄弟各々の(よわい)を問うものなり』
 太郎の年齢が分からないのに五で分けて三つ取れと言われても困る。
『兎と雉の頭の数合わせて十九羽、足の数合わせて六十二本なり。兎と雉の数はそれぞれいくつなるや』
 これなどはなぜウサギとキジなのかすら意味が分からない。
 桃太郎なら猿と犬もいるだろうに。
 鳥獣戯画ならカエルも踊り出す。
 いたらいたで問題が複雑になりすぎてますます分からなくなるから、みんな仲良くキビダンゴだけやってお引き取り願おうなんてことを考えているうちに、ふと、新久郎の足が止まった。
 あれ、どこだ、ここ?
 気がつくと、見知らぬ町内へ足を踏み入れていたようだ。
 目の前には鳥居がある。
 新久郎はとりあえず境内へ入ってみることにした。
 手水場で手と口をすすぎ、神様にお参りする。
 社殿の額に天神とある。
 天神といえば学問の神様。
 これは何か御利益があるに違いないとお参りを済ませ、後ろに下がったときだった。
「こらっ!」
「ん?」
 とげのある声に足元を見れば、一人の少年がしゃがんで地面に絵を描いていた。
「踏むな」
「おお、これはすまぬ」
 素直に謝る新久郎のことなど興味もないかのように少年は背中を向けてまた絵を描き始めた。
 年の頃は新久郎よりやや下、十二、三といったところか。
 ぶっきらぼうな物言いだが、ついこの間まで自分もこんな感じだったかと、それほどとがめる気にはならない。
 足と腕はやせ細って、砂まみれの手でこすったのか、頬が汚れている。
 着物は地味な紺地に接ぎを当てた物で、町人の子であることは間違いない。