「っ!? 今の、音は……?」

ダンダン、と床を強く殴打するような……何かがのたうち回るような音が、夜の静寂を引き裂いた。
続けて、獣の唸り声が聞こえてくる。
怒っているような、苦しんでいるような──そんな声。

「これ、離れから……聞こえる……!」

虹治の身に何かが起きているかもしれない。
いや、確実に、これはただごとではない。

「っ、虹治さま」

居てもたってもいられなかった。
虹治が苦しんでいたり、何かよくない目にあっているかもしれない。
そう思うだけで、焦燥感で視界が歪む。

意味ありげな「満月」という言葉、だとか。
何があっても入るな、という言いつけとか。

そんなものは何もかも、和泉の頭から吹き飛んでしまっていた。
生まれて初めて感じた、温かさ──それを与えてくれた人に何かあったら、それを感じ取りながらおめおめと温かい布団で眠ってしまったら。
きっと、自分を許せない。

履物もはかずに、庭に飛び出す。
離れまでかけていって、戸に手をかける。
そこで初めて、この建物には窓すらないことに気がついた。

(虹治さま……こんな場所で……!?)

ドンドンと叩きつけるような音はおさまっているようだが、相変わらず苦しげな獣の唸り声が響く。
やはり、この離れの中から聞こえてくる。
力を込めて、戸を開こうとしたとき。

「和泉殿、お待ちください」
「っ、銀夜さん」

狐面の黒紋付。
虹治のお付き、銀夜がいつの間にか後に立っていた。
神出鬼没である。

「その戸を開く覚悟、おありですか」
「覚悟って……こんなに苦しそうな声がするんですよ!」
「許嫁候補は、今までにも何人かおりました」
「……え?」
「我が主人が、龍の末裔だと知る旧家のお嬢様がた、皇族の血を引く姫君、あるいは御維新後に国家の中枢に関わるようになった新興の実業家の令嬢──そのいずれもが、満月の夜を境に、虹治さまのもとを去っていきました」

銀夜は、静かに語る。

「……それでも、その戸を開きますか?」