何も言葉を紡げず、感電したように立ち尽くしている和泉に虹治は言った。

「その、旦那様というのはやめてもらえないか」
「…………え?」
「君は、形式上は俺の許嫁ということになる。だが、許嫁というのは決して俺に隷属する者ではないだろう」

ぽかんとした顔を、しているのだろう。
それくらいに、虹治の言葉は和泉にとって衝撃的だった。

誰かに隷属し、尽くすこと。
家という牢屋の中で、ずっとそれを求められてきた。
救児院の子どもたちへの献身とは手触りの全く違う、冷たくて刺々しい奉仕。
それが家庭で求められる役割だと思っていたのだが──。

「だから、旦那様はやめてくれ。ただの虹治でいい。……君は、ひとりの人間だろう」

真っ直ぐな言葉でそう言われて。
和泉は、頷くことしかできなかった。
じんわりと、胸の辺りが温かい。
口の中にカラコロと、小さな金平糖の粒が転がっているような気がした。

「で、では……すぐに朝食の支度ができますので、お待ちください……こ、虹治さま」
「……承知した」

ぎこちない、やりとり。
黙って立っている銀夜がどんな表情をしているのかは、狐面のせいでわからない。
けれど、おそらくニヤニヤと楽しげに笑っているのだろう。

「ひゅう、新婚さんはお熱いですな」

と茶化して、じろりと虹治に睨まれていた。
少しくらい睨まれても自業自得というものだ。「新婚さん」
という言葉に心臓が早鐘のように脈打ってしまい、和泉はとても狼狽えることになってしまったのだから。




菜葉のおひたしと、白粥。
とても質素な朝食ながら、虹治は黙々と平らげて「うまかった」と呟いて箸を置いてくれた。

「……っ」
「ん、なんだ?」
「いえ。その……長年、炊事をしていましたが、美味しかったとおっしゃっていただいたのは……はじめてだったので……」

和泉が言えば、虹治は嘆息する。

「和泉さん……」
「あ、いえ。子どもたちは、なんでも美味しいと言ってくれましたけれど」
「…………子どもたち」
「あ、いえ! もちろん私の子ではなく……実家が営んでおりました、救児院の子です」


虹治は、どこかほっとしたような顔をした。

「……そうか」
「かわいそうに、いつもお腹を空かせて……。
実はいただいた結納金を少しだけあの子たちに使ってもらうように頼んできましたので、今頃お腹いっぱいに食べられているといいのですが」

話しながら不思議な気分になる。
自分のことをペラペラと喋る気になるなんで、和泉にとっては珍しいことだ。