特別な生まれというのは、孤独なものだ。
龍の末裔として生まれた虹治は、常に周囲から隔絶されていた。
そもそも、龍の存在を一般國民は御伽噺の類だと思っているだろう。
しかし、国造りの時代から、常に大和國は龍に守護されていた。
森に覆われた国土に湧き出るこの世ならざる怪異を祓い、あるいは、他国との戦において神風を吹かせる。
歴史の影に、龍の血族は常にある。
その存在を知る者は限られているが、龍の血族の後継者は現人神たる帝に並び立つほどの存在である。
だからこそ。
恐れ。
畏れ。
好奇。
嫉妬。
媚び。
幼い頃から、そういった視線に常に晒されてきた虹治は、人を遠ざけるようになった。
だから。
──人の気配で目を覚ます、なんて。
本当に、久しぶりのことだった。
「……朝、か」
雑木林の木々の切れ間から差し込む朝日に、虹治は目を覚ます。
もとより虹治は寝つきが悪く、朝には弱い。
年に何度か行われる夜通しの祈祷などは問題ないのに、何もない日の朝に起きるのが苦痛で仕方がない。
何故だかわからないけれど、こんなにすっきりとした目覚めは久しぶりだった。
その原因に、すぐに思い当たる。
普段は湯を沸かすことくらいにしか使わない台所から、温かな湯気があがっているのだ。
人の動く微かな気配と、くつくつと何かが煮える音。小気味の良い、包丁がまな板を叩く音。
「……長旅で疲れているだろうに」
虹治は心地よい空腹を覚えて、布団から這い出した。
◆
白粥が煮えたところで、塩で味を整える。
朝食の支度が一段落して、和泉はほっと息をついた。
「うわー、うまそう! 和泉殿は料理上手ですね」
「いえ、そんな……ただのおかゆです。それに、銀夜さんが食材を持ってきてくださらなければ、何もできませんでした」
狐面をつけた銀夜が声を弾ませるのに、和泉は肩をすくめる。
本当に、こんなものは大した料理でもない。唐紅の家であれば、家族から口々に罵られるような粗末な食事。
だが、こんなものでも支度ができてよかった。
ここに置いてもらう以上、自分ができることでこの家の主人である虹治に貢献しなければいけない。
いつもの癖で夜明け前に起き出した和泉は、台所を見回して驚いた。
この家には米や味噌、醤油といったどの家庭にもあるはずの食料や調味料が置いていなかったのだ。
ほどなくして台所に現れた銀夜に事情を話すと、出かけていった銀夜がどこからともなく簡単な食材を調達してきてくれたのだ。周囲は雑木林なのに不思議だが──案外、行商のものを毎朝呼び寄せているか、近くに集落か町があるのかもしれない。
「こんな結構な料理なんて、久々ですよ。きっと虹治さまもお喜びでしょう」
「そ、そうでしょうか……」
自分には、こんなことしかできないのだ。
それで喜んでもらえるのならば、いいことだが。
「ええ。ほら、その証拠に寝坊助の我が主人がもう起きてきた」
「……っ!」
慌てて振り返り、和泉は息を呑んだ。
湖面の青を湛えた瞳。表情の乏しい顔。
明るい朝日の中であらためて見ると、本当に美しい人だ。思わずため息が出る。
それと同時に、昨日は夜の闇がすこしは隠してくれていたであろう、ずたぼろの自分の姿を彼に見られていると思うと、いたたまれない。
「おはよう、和泉さん」
「はい、おはよう、ございます……旦那様」
だから、背中を丸めて、小さな声で。
失礼のないように深々と礼をする。
「お待ちください、いま朝食が」
「…………気にいらないな」
「っ!」
気にいらない。
唐突な虹治の言葉に、心臓が凍りついたように冷たくなった。
龍の末裔として生まれた虹治は、常に周囲から隔絶されていた。
そもそも、龍の存在を一般國民は御伽噺の類だと思っているだろう。
しかし、国造りの時代から、常に大和國は龍に守護されていた。
森に覆われた国土に湧き出るこの世ならざる怪異を祓い、あるいは、他国との戦において神風を吹かせる。
歴史の影に、龍の血族は常にある。
その存在を知る者は限られているが、龍の血族の後継者は現人神たる帝に並び立つほどの存在である。
だからこそ。
恐れ。
畏れ。
好奇。
嫉妬。
媚び。
幼い頃から、そういった視線に常に晒されてきた虹治は、人を遠ざけるようになった。
だから。
──人の気配で目を覚ます、なんて。
本当に、久しぶりのことだった。
「……朝、か」
雑木林の木々の切れ間から差し込む朝日に、虹治は目を覚ます。
もとより虹治は寝つきが悪く、朝には弱い。
年に何度か行われる夜通しの祈祷などは問題ないのに、何もない日の朝に起きるのが苦痛で仕方がない。
何故だかわからないけれど、こんなにすっきりとした目覚めは久しぶりだった。
その原因に、すぐに思い当たる。
普段は湯を沸かすことくらいにしか使わない台所から、温かな湯気があがっているのだ。
人の動く微かな気配と、くつくつと何かが煮える音。小気味の良い、包丁がまな板を叩く音。
「……長旅で疲れているだろうに」
虹治は心地よい空腹を覚えて、布団から這い出した。
◆
白粥が煮えたところで、塩で味を整える。
朝食の支度が一段落して、和泉はほっと息をついた。
「うわー、うまそう! 和泉殿は料理上手ですね」
「いえ、そんな……ただのおかゆです。それに、銀夜さんが食材を持ってきてくださらなければ、何もできませんでした」
狐面をつけた銀夜が声を弾ませるのに、和泉は肩をすくめる。
本当に、こんなものは大した料理でもない。唐紅の家であれば、家族から口々に罵られるような粗末な食事。
だが、こんなものでも支度ができてよかった。
ここに置いてもらう以上、自分ができることでこの家の主人である虹治に貢献しなければいけない。
いつもの癖で夜明け前に起き出した和泉は、台所を見回して驚いた。
この家には米や味噌、醤油といったどの家庭にもあるはずの食料や調味料が置いていなかったのだ。
ほどなくして台所に現れた銀夜に事情を話すと、出かけていった銀夜がどこからともなく簡単な食材を調達してきてくれたのだ。周囲は雑木林なのに不思議だが──案外、行商のものを毎朝呼び寄せているか、近くに集落か町があるのかもしれない。
「こんな結構な料理なんて、久々ですよ。きっと虹治さまもお喜びでしょう」
「そ、そうでしょうか……」
自分には、こんなことしかできないのだ。
それで喜んでもらえるのならば、いいことだが。
「ええ。ほら、その証拠に寝坊助の我が主人がもう起きてきた」
「……っ!」
慌てて振り返り、和泉は息を呑んだ。
湖面の青を湛えた瞳。表情の乏しい顔。
明るい朝日の中であらためて見ると、本当に美しい人だ。思わずため息が出る。
それと同時に、昨日は夜の闇がすこしは隠してくれていたであろう、ずたぼろの自分の姿を彼に見られていると思うと、いたたまれない。
「おはよう、和泉さん」
「はい、おはよう、ございます……旦那様」
だから、背中を丸めて、小さな声で。
失礼のないように深々と礼をする。
「お待ちください、いま朝食が」
「…………気にいらないな」
「っ!」
気にいらない。
唐突な虹治の言葉に、心臓が凍りついたように冷たくなった。