滝ヶ原虹治は、自室で深く目を閉じたまま、みじろぎひとつせずに座っていた。
静寂だけがそこにある。

「虹治さま」
「……銀夜」

馴染んだ声に、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
音もなく襖がひらき、銀夜が現れた。

「……ふぅ」

狐面を外した銀夜の瞳は、その名の通り銀色に輝く。つねの人ではありえない色を、虹治の冬の湖面を思わせる青い瞳がじっと見据える。

「言い訳なら聞くが」
「はは、言い訳などありません」
「開き直るな。言い訳しろ。主人に一言の断りもなく、花嫁を探す従者がどこにいる──とはいえ、天啓ならば致し方なしか」
「ええ。驚きましたよ」

天啓。
それは、この國でもっとも尊い方にもたらされる予知だ。銀夜はそれを賜った。

「とある郊外にて、滝ヶ原虹治の許嫁となるものを募る貼り紙を掲示せよ」

そうして、唐紅和泉が現れた。
この國で最も尊い方は、施政者であり、それ以上に古から続く強力な呪術者なのである。

「……さすがに無下にはできないな」
「ははは、ご冗談を。あの子のことを気にいらなければ、天啓だろうとなんだろうと相手にしないし追い返したでしょう」
「む、そんなことは」

ない、とはいいきれない。
虹治はずっと、限られた者以外は人を寄せ付けずに生きていた。女性であれば、なおさらだ。

「訳ありなようだから、というだけだ。そのうち、あの娘も俺から離れるだろう。じきに満月だ」
「ふーむ、そうですかねぇ」

と、訳知り顔の銀夜。

「天啓の娘ですから、今までの許嫁殿のようにはならんかもしれませんよ」
「期待はしていないさ」

実のところ。
虹治が花嫁候補を迎えるのは初めてのことではなかった。
しかし、そうそうたる血筋や家柄を誇る令嬢たちは、どの娘も例外なくひと月に満たない期間で虹治のもとから去っていったのだった。

「帝は期待していらっしゃるかと思いますよ」
「…………」

帝。
この國で最も尊い、施政者であり呪術師。
御維新後の近代化により議会が立ち上がってからからも、その威光は翳ることはない。
滝ヶ原虹治は、帝とも個人的な親交のある立場である。

「──古来より大和國を護る、龍の末裔であるあなたが妻を娶り、その血を繋げることを待望しておられるかと。この國の施政者として」
「……はぁ。近代化が聞いて呆れるな」
「それはごもっともです」

ふ、と。
二人の苦笑ともつかぬ吐息が、張り詰めていた空気を緩ませる。

そう。
滝ヶ原虹治は、人であり人ならざる者である。

古来より大和國を護る、龍の血族。
神秘を従え、絶大なる力を誇る、国家防衛の要。
──その末裔が、滝ヶ原虹治である。