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秋が深まり、山々がすっかり真っ赤な紅葉に染まった頃。
私…犬居 星見は、あるご報告のため、北山の伏水神社を訪れていた。

高く聳える大岩の崖と、その足元に建つ小さな社。鳥居も狛犬も無い。その簡素な神社は、かつて最初に生贄となった娘の魂を祀る場所。早苗が、最後に神隠しにあった場所…。
けれど、そのお陰で。彼女の勇気のお陰で、今の私がある。

「……早苗。久方ぶりね。」

私は社の前で手を合わせ、上がる息を整え、内に秘めた思いを小さく口にした。

「私、すっかり体が良くなったのよ。こんな山奥まで、自分の脚で歩いて来たの…。不思議でしょう…。

治ったら、外を歩き回れるようになったら、一緒に物見遊山に行こうって、約束したわね…。」

もし早苗が生きていたら、きっと今の私の姿を見て、喜んでくれたに違いないのに。

「…それにね、私、輿入(こしい)れが決まったのよ。
幼い頃からずっと面倒を見てくださってたお医者様。

犬居家の外に嫁ぐなんて思ってもみなかったから、不安はあるけれど…でも、とても楽しみでもあるの。」

私の夢にまで見た晴れ姿は、一番にあなたに見てほしかった…。

合わせている手が小さく震える。
早苗はその身を投げ打って生贄を受け入れたというのに、私一人が生き延び、幸せの絶頂にいる…。

ーーーせめて向こうでは、幸せに過ごしていてほしい…。

そう祈ることが、永らえた命と体を大切にすることが、今の私に出来る精一杯。

「………早苗…。」

ふと目線を下げた時、社の軒下に、鮮やかな色が見えた。
手の平に収まるくらいの朱色の小さな物。それは確かに見覚えのある物。

「あっ……。」

私は反射的に、それを手に取った。
よくよく見れば、間違いない。その朱色のお守袋は、儀式の前に早苗にあげた物だった。

生地が草臥(くたび)れているけれど、破れも汚れもない。大切に肌身離さず持っていた証拠。
そして、気のせいかしら。そのお守袋は、まだほんのりと温みを持っている気がして…。

周囲を見渡してみるけれど、人の姿も生き物の姿もない。
私は再びお守袋に目を落とす。

「……早苗、なの…?」

そんなことがあり得るかしら。
早苗が今も生きていて、私のためにお守袋を返しに来てくれた…。そうであったら、どんなに幸せか。


「…ありがとう。今まで。」

私はお守袋を大切に握り締める。
社に向かって、早苗と、母様と、大勢の娘達の姿を思い浮かべながら、私は深く深く一礼をした。