翌朝、「起きて風花ぁ」と柔らかい声がした。体を揺らしてくる。うっすらと目を開けると目の前に桜花の顔があった。
「やっと起きた。おはよう風花、ほらほら早く仕度をしなくっちゃ」
有馬から受け取った薬が効いたのだろう。桜花はすっかりいつもの桜花にもどっていた。痩せてはいるが、声に張りがある。そのことに安心するとともに、首をかしげる。
「仕度?」
ぽかんとしていると、そうか、昨夜の約束通り有馬が来たのだろうと思考が追い付いてくる。そうわかると桜花がひどくはしゃいでいるのがおかしかった。
「そんなに興奮しなくても、有馬様が来たんでしょう?」
「ちょっとちょっとぉ、どうしてそんなに冷静なの! ついに身請けされるんじゃない。いいなぁ、有馬様って本当に素敵だよねぇ」
「あぁ、私の年季はあと何年だっけ」と指を折り始める桜花の肩を風花は掴んだ。
「今、何て言ったの」
「えぇ、身請けされるんでしょう? 有馬様って無実だったんでしょう? その上警察と協力して殺人犯を捕まえたそうじゃない。その上ものすごぉいお金を持ってうちの店に来たらしいのよ、風花の身請けをしたいって。もう女将さんなんか大騒ぎなんだから!」
桜花の言葉もなかなか支離滅裂だが、風花も風花で思考は今の状況に少しもついていけない。
「とにかく! 早く身支度を整えて!」
早く早くと急かされるものだから、風花は慌てて身支度を整えて下の階に降りた。唇にはあの淡い色の紅を引いて。
「やっと来たね、有馬様がお待ちだよ、さっさと行きな、本当にのろまなんだから。あんたみたいに愛想のない娘はなかなか貰い手なんか見つからないんだからね、二度と戻ってくるんじゃないよ」
十年勤めた店の女将は、わずかに目に涙をためていた。厳しい人であったが、それなりに可愛がってもらっていたのだろうと思う。折檻も、女将にだけは手を抜かれていたように感じた。
「お世話になりました」
風花はしっかりとお礼を言って、店の外に出た。いつも通りの洋装を来た有馬が、風花を待っている。
心臓がうるさいくらいに鳴る。
「約束通り、迎えに来た」
「身請けだなんて聞いていませんよ」
「なんだ、十七になったら迎えに行くと言っていたろ。忘れたのか」
思ってもみなかった有馬の言葉に、風花は言葉を失った。
「どうして」
それは、夢の話でしょう。郷は焼けたのだ、あの男の子が生きているはずなどない。そもそも有馬は伯爵家の子息ではないか。
北条の言葉が過る。
『どこの馬の骨とも知れない伯爵家の養子』
「思った通り良く似合う」
有馬は風花の口もとに触れた。有馬にもらった淡い色の紅を付けた唇。触れられたところが熱を帯びるような気がする。
「さぁ、どこから話したらいいのか。さぁ、乗ってくれ。まずは君に謝らないといけない」
有馬は風花を馬車に乗せる。馬車になど乗ったことがない風花は戸惑いながら中に入り、有馬と向かい合って座った。
「謝ることなど何もありませんよ。夢のようです、あなたが私を身請けてしてくれるなんて。あなたは、もしかして――」
「覚えていてくれたか、俺は君と同じ郷の生まれだ。幼いころ、君とよく一緒に遊んだ。幼い俺は君に恋をしていた、君を妻にしようと決めていた。あの丘の上で、君と約束したはずだ。約束を果たすため、俺は必死に君を探した」
「覚えています。郷を焼け出された記憶はしばらく失くしていたのです。でもあなたとの約束だけは覚えていて、もう二度と会えないのだと思うと悲しくて……」
思わず頬を涙が伝う。有馬の指が、その涙を掬い取った。
「君に謝らなければいけない。君のご両親が亡くなったのは、俺のせいでもある。俺が、救い出せなかったからだ」
「それは、どういうことでしょうか」
揺れる馬車の中で、有馬は郷を焼け出せれてから今までのことを話し始めた。
「やっと起きた。おはよう風花、ほらほら早く仕度をしなくっちゃ」
有馬から受け取った薬が効いたのだろう。桜花はすっかりいつもの桜花にもどっていた。痩せてはいるが、声に張りがある。そのことに安心するとともに、首をかしげる。
「仕度?」
ぽかんとしていると、そうか、昨夜の約束通り有馬が来たのだろうと思考が追い付いてくる。そうわかると桜花がひどくはしゃいでいるのがおかしかった。
「そんなに興奮しなくても、有馬様が来たんでしょう?」
「ちょっとちょっとぉ、どうしてそんなに冷静なの! ついに身請けされるんじゃない。いいなぁ、有馬様って本当に素敵だよねぇ」
「あぁ、私の年季はあと何年だっけ」と指を折り始める桜花の肩を風花は掴んだ。
「今、何て言ったの」
「えぇ、身請けされるんでしょう? 有馬様って無実だったんでしょう? その上警察と協力して殺人犯を捕まえたそうじゃない。その上ものすごぉいお金を持ってうちの店に来たらしいのよ、風花の身請けをしたいって。もう女将さんなんか大騒ぎなんだから!」
桜花の言葉もなかなか支離滅裂だが、風花も風花で思考は今の状況に少しもついていけない。
「とにかく! 早く身支度を整えて!」
早く早くと急かされるものだから、風花は慌てて身支度を整えて下の階に降りた。唇にはあの淡い色の紅を引いて。
「やっと来たね、有馬様がお待ちだよ、さっさと行きな、本当にのろまなんだから。あんたみたいに愛想のない娘はなかなか貰い手なんか見つからないんだからね、二度と戻ってくるんじゃないよ」
十年勤めた店の女将は、わずかに目に涙をためていた。厳しい人であったが、それなりに可愛がってもらっていたのだろうと思う。折檻も、女将にだけは手を抜かれていたように感じた。
「お世話になりました」
風花はしっかりとお礼を言って、店の外に出た。いつも通りの洋装を来た有馬が、風花を待っている。
心臓がうるさいくらいに鳴る。
「約束通り、迎えに来た」
「身請けだなんて聞いていませんよ」
「なんだ、十七になったら迎えに行くと言っていたろ。忘れたのか」
思ってもみなかった有馬の言葉に、風花は言葉を失った。
「どうして」
それは、夢の話でしょう。郷は焼けたのだ、あの男の子が生きているはずなどない。そもそも有馬は伯爵家の子息ではないか。
北条の言葉が過る。
『どこの馬の骨とも知れない伯爵家の養子』
「思った通り良く似合う」
有馬は風花の口もとに触れた。有馬にもらった淡い色の紅を付けた唇。触れられたところが熱を帯びるような気がする。
「さぁ、どこから話したらいいのか。さぁ、乗ってくれ。まずは君に謝らないといけない」
有馬は風花を馬車に乗せる。馬車になど乗ったことがない風花は戸惑いながら中に入り、有馬と向かい合って座った。
「謝ることなど何もありませんよ。夢のようです、あなたが私を身請けてしてくれるなんて。あなたは、もしかして――」
「覚えていてくれたか、俺は君と同じ郷の生まれだ。幼いころ、君とよく一緒に遊んだ。幼い俺は君に恋をしていた、君を妻にしようと決めていた。あの丘の上で、君と約束したはずだ。約束を果たすため、俺は必死に君を探した」
「覚えています。郷を焼け出された記憶はしばらく失くしていたのです。でもあなたとの約束だけは覚えていて、もう二度と会えないのだと思うと悲しくて……」
思わず頬を涙が伝う。有馬の指が、その涙を掬い取った。
「君に謝らなければいけない。君のご両親が亡くなったのは、俺のせいでもある。俺が、救い出せなかったからだ」
「それは、どういうことでしょうか」
揺れる馬車の中で、有馬は郷を焼け出せれてから今までのことを話し始めた。