「全て聞かせていただいたぞ、侯爵様」
まるで風が吹くように、颯爽と現れ、風花を身を包んでいたのは殺人の汚名を着せられた有馬新太郎その人であった。
「有馬様」
あまりに驚いて掠れた声になる。「逃げてください」と風花が言おうとしたその時、すでに幾人もの人が北条を包囲しているのがわかった。
みるみるうちに北条の顔が歪む。今まで見たこともないような、おぞましい顔は、話に聞く片目そのものだった。
「謀ったな」
「おまえの手の上で踊ったふりをしてやっただけだ」
有馬と一緒に現れた人影は警官であった。あっという間に北条の身柄を拘束し、柳川に浮かべられていた舟に乗せて連れていてしまう。あのまま、都で裁判にかけられる。ことの大きさを考えたら、投獄は免れないだろうというのが有馬の見解であった。
店までの帰路につきながら、風花には有馬に聞きたいことが山ほどあった。だが、その気力がない。命の危険はなかったにせよ、あの男にいいように使われていたかもしれないと思うと恐ろしい。
北条のことを信じていたなんて、自分はなんて人を見る目がないのだろうと情けなくなった。
「間に合ってよかった。怖い目に遭わせてすまなかった。君を囮に使うようなことになるなんて」
「いえ、助けてくださって本当にありがとうございました。それに、ご無事でよかった」
安心したからか、思わず瞳から涙がこぼれ落ちる。拭っても拭っても止まらない。有馬は風花の体を優しく抱きしめた。
「緊張の糸が切れたのだろう。恐ろしい状況なのに、君は毅然としていたからな。涙が出るだけ泣いたらいい」
有馬の胸に頭を預け、ひとしきり泣いた風花はようやく泣くのをやめた。
「色々聞きたいことがあるのです」
「そうだな、話したいことがたくさんある。だが、今夜はもう遅い、店に帰って休むといい。また明日話そう」
ゆっくりとした足取りで店まで風花を送った有馬は、風花の手に小さな包みを置いた。
「友達に飲ませてやれ、病が治る」
「本当ですか! これをどこで手に入れたのです?」
「君が初めから持っていたものだ」
「私が、ですか」
少しも思い当たらない。そもそも有馬が自分が持っていたものを持っているとは、どういうことだろう。今は考えを巡らせることが困難なくらい疲弊していた。明日、色々教えてもらおうと、大人しく包みを受け取る。
「何も考えずにゆっくりと休んでくれ、明日、迎えに来るから」
「わかりました」
帰っていく有馬の背が見えなくなるまで見送ってから、風花は店の中に戻った。
「桜花、起きている? 開けてもいい?」
桜花が隔離されている部屋の前で声をかけると、しばらくしてから返事があった。
「ねぇ、香水を買ってきてくれた?」
細く開いた襖の向こうに、青い顔をした桜花が見える。頬がすっかりこけて、十は年とをってしまったかのようだ。
「桜花、これを飲んで。そうしたら、気分が良くなるから」
「ほんとう?」
桜花はほっそりと肉の落ちた腕を伸ばして、風花の手から薬を受け取った。
桜花が薬を飲んだことを確認してから、部屋に戻る。
体は疲れているのに頭はまだ興奮していてなかなか眠りに就くことができない。
有馬が生きていて嬉しい。無実であったこともたまらなく嬉しい。だが、真犯人があの北条であったかと思うと悔しくてたまらなかった。
優しく接してくれていたのは、風花の琴を気に入ったからではなく雪の花から採れる薬の手がかりが欲しかったからだろう。
今日はもう寝よう。布団に横になり、ゆっくりと動く月を見ているうちに、静かに眠りに落ちていった。
まるで風が吹くように、颯爽と現れ、風花を身を包んでいたのは殺人の汚名を着せられた有馬新太郎その人であった。
「有馬様」
あまりに驚いて掠れた声になる。「逃げてください」と風花が言おうとしたその時、すでに幾人もの人が北条を包囲しているのがわかった。
みるみるうちに北条の顔が歪む。今まで見たこともないような、おぞましい顔は、話に聞く片目そのものだった。
「謀ったな」
「おまえの手の上で踊ったふりをしてやっただけだ」
有馬と一緒に現れた人影は警官であった。あっという間に北条の身柄を拘束し、柳川に浮かべられていた舟に乗せて連れていてしまう。あのまま、都で裁判にかけられる。ことの大きさを考えたら、投獄は免れないだろうというのが有馬の見解であった。
店までの帰路につきながら、風花には有馬に聞きたいことが山ほどあった。だが、その気力がない。命の危険はなかったにせよ、あの男にいいように使われていたかもしれないと思うと恐ろしい。
北条のことを信じていたなんて、自分はなんて人を見る目がないのだろうと情けなくなった。
「間に合ってよかった。怖い目に遭わせてすまなかった。君を囮に使うようなことになるなんて」
「いえ、助けてくださって本当にありがとうございました。それに、ご無事でよかった」
安心したからか、思わず瞳から涙がこぼれ落ちる。拭っても拭っても止まらない。有馬は風花の体を優しく抱きしめた。
「緊張の糸が切れたのだろう。恐ろしい状況なのに、君は毅然としていたからな。涙が出るだけ泣いたらいい」
有馬の胸に頭を預け、ひとしきり泣いた風花はようやく泣くのをやめた。
「色々聞きたいことがあるのです」
「そうだな、話したいことがたくさんある。だが、今夜はもう遅い、店に帰って休むといい。また明日話そう」
ゆっくりとした足取りで店まで風花を送った有馬は、風花の手に小さな包みを置いた。
「友達に飲ませてやれ、病が治る」
「本当ですか! これをどこで手に入れたのです?」
「君が初めから持っていたものだ」
「私が、ですか」
少しも思い当たらない。そもそも有馬が自分が持っていたものを持っているとは、どういうことだろう。今は考えを巡らせることが困難なくらい疲弊していた。明日、色々教えてもらおうと、大人しく包みを受け取る。
「何も考えずにゆっくりと休んでくれ、明日、迎えに来るから」
「わかりました」
帰っていく有馬の背が見えなくなるまで見送ってから、風花は店の中に戻った。
「桜花、起きている? 開けてもいい?」
桜花が隔離されている部屋の前で声をかけると、しばらくしてから返事があった。
「ねぇ、香水を買ってきてくれた?」
細く開いた襖の向こうに、青い顔をした桜花が見える。頬がすっかりこけて、十は年とをってしまったかのようだ。
「桜花、これを飲んで。そうしたら、気分が良くなるから」
「ほんとう?」
桜花はほっそりと肉の落ちた腕を伸ばして、風花の手から薬を受け取った。
桜花が薬を飲んだことを確認してから、部屋に戻る。
体は疲れているのに頭はまだ興奮していてなかなか眠りに就くことができない。
有馬が生きていて嬉しい。無実であったこともたまらなく嬉しい。だが、真犯人があの北条であったかと思うと悔しくてたまらなかった。
優しく接してくれていたのは、風花の琴を気に入ったからではなく雪の花から採れる薬の手がかりが欲しかったからだろう。
今日はもう寝よう。布団に横になり、ゆっくりと動く月を見ているうちに、静かに眠りに落ちていった。