いつも通りの通りのはずなのに、風花はどこか得体の知れない恐怖を感じていた。
ずっと、誰かに見られているような気がするのだ。
薄気味悪さを感じながも、なんとか座敷がある店にたどり着いた。
淡々と仕事を終え、堺屋に戻る。
はずだった。琴を抱えて小走りに駆けていた風花は、突然暗い通りに引き込まれた。
琴が地面を叩く音がする。弦が切れてないといいなどと、身の安全とは関係のないことが頭に浮かぶ。
顔を上げた風花は、月明かりを背負う人影を見て目を見開いた。
「片目」
長身の男は、顔の半分以上を布で隠している。それでなくともこの暗がりでは顔など見えるはずもない。
布を付けていなければ、逆に片目だとはわからなかっただろう。
さわさわと、水の流れる音がする。すぐ隣を柳川が流れていることにたった今気がついた。
「藍染屋のご主人と石田藤左衛門さんを殺めたのはあなたね」
二人を殺したのはこの男だと、風花にははっきりとわかった。男からにじみ出る殺意は、すでに人を殺めたことのある人のそれであったから。
「私の両親を殺したのもあなたね」
風花が咎めるように問うと片目は僅かに口を開いた。
「それは違う、やつらは自害したんだ。だから私は今ともて困っている。せっかく郷に火まで放って独占していた薬なのに。だから、君が作り方を思い出してくれてよかったよ、風花」
片目の声を初めて聞いた風花は目を見開いた。どうにかその顔を確認しようとするが、月は片目の背後にあり、影になって見ることができない。
風花は思い切って名を呼ぶことにした。
「それは、どういうことですか、北条様。どうしてそんな格好をしてるのです」
「さすがに耳が良い。声を聞けばわかるか、そんなのは決まっている」
わずかに、声が低くなったことに風花は気が付いた。布に隠されたその表情に、不気味な笑みが浮かんでいるような気がする。
「私が片目だ。侯爵である北条家は財政が厳しい。今までは商人に金を貸して資金を調達していたが、それだけでは足りない。次に目を付けたのが、隠れ郷で栽培されている雪の花だ。君のご両親に協力してもらって、幻を見せる雪の花を独占することに成功した。だけど半年前に突然二人が命を絶ってしまったんだよ、もう作りたくないと言ってね。漏洩を恐れてね、薬の作り方は二人しか知らないのだから困ったよ、君のご両親には金も借りてもらっていたし」
片目――否、北条は月を見上げた。淡い光に照らされて、布から覗く瞳が怪しく光り輝いて見える。
「その上一緒に薬を売りさばいていた藍染屋や藤左衛門は君の両親が死ねば金に困って奔走してね、薬のことをばらしてみようかと今度は私を揺するものだから消えてもらった。藤左ヱ門に至ってはあんな酒の席で堂々と雪の花の話をするなんて。見張っていてよかったよ。廊下から毒針を飛ばしたんだ、だからあいつは眠り込んだ。気が付かなかっただろう?」
あの座敷で感じていた視線は、北条のものだったのだ。隣の座敷や廊下から耳をそばだててたのかもしれない。
どうして、自分はこんな男のことを信じていたのか――
「ちょうどいい具合に私の周りを探っていた有馬に罪を着せることが出来て良かったよ。君にあの男が近づいているのを知ってね、私が呼び出したんだ、あの川に」
「そうやって有馬様を犯人に仕立て上げたのね、そんな嘘は必ずばれます」
「どうかな、私のほうが世の中に顔が利く。これは周りがどこの馬ともしれない伯爵家の養子よりも、侯爵家の嫡男である私を信じた結果さ。人望というやつかな」
有馬は、無事だろうか。伯爵家の養子とはどういうことだろうか。わからないことが頭をぐるぐると巡る。
この男は、私のことも殺すつもりだろう。だからこんなにも饒舌になっているのだ。
自分のことよりも、有馬を愚弄されたことに腹が立つ。
「私も殺すのかって顔をしているね、安心してくれ、君には死んでもらっては困るよ。君には、両親の代わりに薬を作ってもらわないと。これまでよりも花の栽培量を増やして都に薬をばらまくのさ。中毒になればもっともっと薬は売れる。藍染屋と藤左衛門がいないとなれば、儲けは全て私のものになる。北条家は豊かになる」
「そんなことでお金を儲けたっていつか裁かれます。私も協力するわけがない」
「今まで誰も私を裁かなかった。私が表向きは善良な侯爵家の人間だからだ。君は協力するさ、私はこの町の人間を人質に取っている。君と仲の良い桜花も薬の効果が出ているだろう?」
「町の流行り病の原因は、雪の花の薬だっていうの」
北条は満足そうにうなずいた。
「君に協力してもらうため、都に卸さず柳町の西から撒いたんだ。薬の混ざった香水を、何も知らない客が女に贈る。芸妓や娼妓の間で瞬く間に広がった」
どこか正気を失ったような桜花のことが浮かぶ。
「命に別状はないだろう。だが、薬なしではいられなくなる。それを放っておけるほど君は冷酷じゃないはずだ。さぁ、私と一緒に来てもらおう」
「私が帰ってこらなければ店が心配しますよ」
「どうかな、君は稼ぎ頭じゃない。私以外の客もいない。有馬だってお尋ね者だ。この町では女がいなくなることも少なくないし、気に留める人はいないよ」
大きな両の手が、風花を捕らえようと襲いかかってくる。背には川が流れていて逃げ場がない。
どうにか抵抗しようと簪を手に取った。武器になるものといえばこれくらいしかない。
簪というのは、女を美しく見せるためにある。
有馬の言葉が頭をよぎり、思わず手が止まった。その瞬間、誰かが自分を包む。
ずっと、誰かに見られているような気がするのだ。
薄気味悪さを感じながも、なんとか座敷がある店にたどり着いた。
淡々と仕事を終え、堺屋に戻る。
はずだった。琴を抱えて小走りに駆けていた風花は、突然暗い通りに引き込まれた。
琴が地面を叩く音がする。弦が切れてないといいなどと、身の安全とは関係のないことが頭に浮かぶ。
顔を上げた風花は、月明かりを背負う人影を見て目を見開いた。
「片目」
長身の男は、顔の半分以上を布で隠している。それでなくともこの暗がりでは顔など見えるはずもない。
布を付けていなければ、逆に片目だとはわからなかっただろう。
さわさわと、水の流れる音がする。すぐ隣を柳川が流れていることにたった今気がついた。
「藍染屋のご主人と石田藤左衛門さんを殺めたのはあなたね」
二人を殺したのはこの男だと、風花にははっきりとわかった。男からにじみ出る殺意は、すでに人を殺めたことのある人のそれであったから。
「私の両親を殺したのもあなたね」
風花が咎めるように問うと片目は僅かに口を開いた。
「それは違う、やつらは自害したんだ。だから私は今ともて困っている。せっかく郷に火まで放って独占していた薬なのに。だから、君が作り方を思い出してくれてよかったよ、風花」
片目の声を初めて聞いた風花は目を見開いた。どうにかその顔を確認しようとするが、月は片目の背後にあり、影になって見ることができない。
風花は思い切って名を呼ぶことにした。
「それは、どういうことですか、北条様。どうしてそんな格好をしてるのです」
「さすがに耳が良い。声を聞けばわかるか、そんなのは決まっている」
わずかに、声が低くなったことに風花は気が付いた。布に隠されたその表情に、不気味な笑みが浮かんでいるような気がする。
「私が片目だ。侯爵である北条家は財政が厳しい。今までは商人に金を貸して資金を調達していたが、それだけでは足りない。次に目を付けたのが、隠れ郷で栽培されている雪の花だ。君のご両親に協力してもらって、幻を見せる雪の花を独占することに成功した。だけど半年前に突然二人が命を絶ってしまったんだよ、もう作りたくないと言ってね。漏洩を恐れてね、薬の作り方は二人しか知らないのだから困ったよ、君のご両親には金も借りてもらっていたし」
片目――否、北条は月を見上げた。淡い光に照らされて、布から覗く瞳が怪しく光り輝いて見える。
「その上一緒に薬を売りさばいていた藍染屋や藤左衛門は君の両親が死ねば金に困って奔走してね、薬のことをばらしてみようかと今度は私を揺するものだから消えてもらった。藤左ヱ門に至ってはあんな酒の席で堂々と雪の花の話をするなんて。見張っていてよかったよ。廊下から毒針を飛ばしたんだ、だからあいつは眠り込んだ。気が付かなかっただろう?」
あの座敷で感じていた視線は、北条のものだったのだ。隣の座敷や廊下から耳をそばだててたのかもしれない。
どうして、自分はこんな男のことを信じていたのか――
「ちょうどいい具合に私の周りを探っていた有馬に罪を着せることが出来て良かったよ。君にあの男が近づいているのを知ってね、私が呼び出したんだ、あの川に」
「そうやって有馬様を犯人に仕立て上げたのね、そんな嘘は必ずばれます」
「どうかな、私のほうが世の中に顔が利く。これは周りがどこの馬ともしれない伯爵家の養子よりも、侯爵家の嫡男である私を信じた結果さ。人望というやつかな」
有馬は、無事だろうか。伯爵家の養子とはどういうことだろうか。わからないことが頭をぐるぐると巡る。
この男は、私のことも殺すつもりだろう。だからこんなにも饒舌になっているのだ。
自分のことよりも、有馬を愚弄されたことに腹が立つ。
「私も殺すのかって顔をしているね、安心してくれ、君には死んでもらっては困るよ。君には、両親の代わりに薬を作ってもらわないと。これまでよりも花の栽培量を増やして都に薬をばらまくのさ。中毒になればもっともっと薬は売れる。藍染屋と藤左衛門がいないとなれば、儲けは全て私のものになる。北条家は豊かになる」
「そんなことでお金を儲けたっていつか裁かれます。私も協力するわけがない」
「今まで誰も私を裁かなかった。私が表向きは善良な侯爵家の人間だからだ。君は協力するさ、私はこの町の人間を人質に取っている。君と仲の良い桜花も薬の効果が出ているだろう?」
「町の流行り病の原因は、雪の花の薬だっていうの」
北条は満足そうにうなずいた。
「君に協力してもらうため、都に卸さず柳町の西から撒いたんだ。薬の混ざった香水を、何も知らない客が女に贈る。芸妓や娼妓の間で瞬く間に広がった」
どこか正気を失ったような桜花のことが浮かぶ。
「命に別状はないだろう。だが、薬なしではいられなくなる。それを放っておけるほど君は冷酷じゃないはずだ。さぁ、私と一緒に来てもらおう」
「私が帰ってこらなければ店が心配しますよ」
「どうかな、君は稼ぎ頭じゃない。私以外の客もいない。有馬だってお尋ね者だ。この町では女がいなくなることも少なくないし、気に留める人はいないよ」
大きな両の手が、風花を捕らえようと襲いかかってくる。背には川が流れていて逃げ場がない。
どうにか抵抗しようと簪を手に取った。武器になるものといえばこれくらいしかない。
簪というのは、女を美しく見せるためにある。
有馬の言葉が頭をよぎり、思わず手が止まった。その瞬間、誰かが自分を包む。