そんな事を考えていたら、想いが溢れ出した。
「藤間さん。今からでも、治療を考えてくれないか。」
藤間さんは、息が止まったように、俺を見ている。
「今ならまだ間に合う。考え直してくれないか。」
今まで、患者さんの前では、感情的にならないようにしてきた。
でも今は、それも抑えきれない。
だが藤間さんは、俺の言葉なんて聞き流して、外を見ていた。
「藤間さん!」
「今日は、やけに日差しが強いですね。」
俺は振り返って、窓の外を見た。
今日はこの季節には珍しく、太陽の光が照り付けるような、そんな暑い日だった。
「女優はね。こんな時はずっと傘を差していなきゃならないの。日焼けできないから。もう、やんなっちゃう。」
藤間さんはそう言うと、ため息をついた。
「残りの人生は、思いっきり日差しを浴びて、生きて行きたいって決めたの。だから、治療はしません。」
俺は顔を歪ませた。
「君はまだ、その傘を差しているんだね。」
「えっ?」
俺は改めて、藤間さんを見つめた。
「傘を差すと人間、周りが見えなくなる。悲しい涙の雨も、日差しのような強い愛情も。」
「何言って……」
「君は、もっと生きるべきなんだ。自分を犠牲にして、相手を幸せにしたんだ。幸せになるべきなんだよ!」
藤間さんは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「俺が幸せにする。『やっぱり生きてるって最高ね。』って、君に言わせたい。」
「どうして先生が?治療が終われば、私達の関係も終わるじゃないですか。」
「そんな事させない!」
俺は立ち上がって、藤間さんの顎をクイッと上げた。
「愛してる、美生。俺と結婚してくれ。」
そう言って俺は、美生にキスをした。
当然だけど、美生は茫然としていた。
「返事はいつでもいい。これからの人生、俺と一緒に生きて欲しいんだ。」
「先生……」
「本心だよ。心からそう思っている。美生も、そう思ってくれると嬉しいな。」
そう言って俺は、美生に背中を向けた。
美生に結婚の意志を告げて、1週間が経った。
まだ、美生からの返事はない。
その間にも何度か診察し、毎日のようにお見舞いに行っているが、美生はまるで、俺のプロポーズを聞かなかったかのように振舞った。
今日は何としてでも、答えを聞こう。
俺は、美生の病室に入って、いつものように美生の側に座った。
「どう?体調は?」
「いつもと同じよ。」
そう言って微笑む、美生が好きだ。
「ところで、結婚の話なんだけど。」
「急ね。」
「急でもないだろう。プロポーズしてから、1週間になる。」
俺がそう言うと、美生は急に黙った。
「これから死ぬ人と結婚しても、先生が不幸になるだけだわ。」
美生は、自己犠牲の人だ。
自分が不幸になっても、相手を幸せにしたいと願う人。
「俺は君と結婚して、一緒に暮らす事が、幸せなんだ。それが例え短い時間であっても、君が一緒ならば楽しい時間に間違いない。」
「先生はただ、理想を思い浮かべているだけなんじゃないの?」
俺は髪を掻きむしった。
「そうじゃない。俺は君と一緒に幸せになりたいだけなんだ。何度言えば解かるんだ。」
「何度だって言うわ。先生はまだ、私の事解ってないもの。」
どんな言葉を掛けても、信じてくれない。
これが、長い間一人の人と、付き合った経験のある人の答えなのか。
「じゃあ、結婚がダメなら、まずは俺と付き合ってくれ。」
「本気だったの?」
「冗談で、あんな事言う訳ないだろう。」
俺達は見つめ合った。
「返事は明日まで。」
今度は期限付きにしたのは、いい返事がくると願っているからだ。
だが翌日。とんでもない人が現れた。
美生と付き合っていた宮古さんと、結婚したあの若いモデルだ。
「藤間美生さんの病室はどこですか?」
おい、ちょっと待て。
看護師が案内をしようとするところを押し切って、俺がその人の前に立った。
「何かご用ですか?」
「少し伝えたい事がありまして。」
息をゴクリと飲んだ。
「先生?」
看護師に声を掛けられ、何度も髪をかきあげた。
「こちらです。」
サッと手を出し、俺自ら案内する事になった。
美生は、外を眺めていた。
「藤間さん。お見舞いの人がみえたよ。」
「はい。」
モデルの奥さんは、躊躇する事もなく、美生に頭を下げた。
「私、宮古朝陽の妻の、仁湖と申します。」
「はあ。お噂はかねがね。」
「座ってもいいですか?」
「どうぞ。」
女同士の戦いみたいで、俺は窓のサッシに手をつけて、耳をダンボのように広げて、話を聞く事にした。
「主人から聞きました。胃癌だそうですね。」
「はい。」
「治療を拒否されているのは、どうしてですか?」
「あなたに言う必要はありません。」
側で聞いていた人も、唖然としただろう。
いいところでストップをかけなければ。
俺は窓に背中を向けた。
「関係あります。あなたが生きて、幸せになって貰わないと、主人も幸せになれないんです。」
「えっ?」
「藤間さん。あなたが主人を幸せにしたかったように、主人もあなたに幸せになって欲しいんです。これは私からの願いでもあるんです。お願いします。」
そう言って、モデルの奥さんは頭を下げると、病室を去って行った。
残ったのは、俺と美生。
窓から涼しい風が、迷い込んできた。
「そう言えば、先生への返事、今日まででしたよね。」
「うん。」
「ねえ、先生。私先生と一緒にいれば、幸せになれる?」
俺は、一瞬考えた。
「なれるよ。俺が幸せにする。」
ありきたりな言葉だったのに、美生は泣き始めた。
「先生。私、自分が幸せになるなんて、考えもしなかった。でも、朝陽も私の幸せを願っているって。信じていいかなぁ。私、生きてていいかなぁ。」
「当たり前だよ。人は幸せになる為に、生きるんだ。」
ーEND-