「俺は、鬼を滅するために生まれ変わった…… 」
 名前を知らない彼は、鏡の前に立った。
 しばらく硬直して、額をさすり始めた……
 額にアザがあったはずだが、なぜかなくなっていた。
「あれ? ここんところにあったはずだが…… 消えている…… 俺は設定通り死んだのかな? いや。原作では死にそうになったが死んでないはず…… 」
 それどころか、頭に耳が生えていて、ピンクのひらひらした衣装を着ている。
「かわいい…… 俺。かわいい…… 」
 何だか走り出したい衝動が止まらなくなってきた。
 時計を見た。
 今は朝3時である。
 ここは倉庫のような広い空間だった。
 人の気配はなく、しんと静まり返っていて、彼の声がやけに響く。
「うおおおぉ…… ヒヒイイィン! 」
「うるせえな! 」
 怒鳴り声が聞こえ、我に返った。
「おい! そこの! 馬みたいに走るんじゃねぇよ」
「は…… はい。すみません」
「なんだ。てめぇは。スカート短けぇぞ。そんな不埒な恰好をして、鬼と戦おうとしてたのか? ナメてんじゃねぇよ」
「すみません」
「すみませんじゃねぇって! これから鬼を探す。一緒に来て戦え」
「はい。俺…… こほん! 私は戦う気満々だったのですが…… なぜかこんな姿に」
「名前がないと、呼びにくいからお前を『馬』と呼ぶ! 俺を『風』と呼べ」
「はい。『馬』ですね。すみません。ありがとうございます。『風』さん! 」
「さて。鬼がそろそろ出てくる時間だ。お前、武器持ってねぇじゃねぇか…… ほれ。剣をやるから」
 壁に立てかけてあった両刃の剣を手渡した。
「これ、日本刀じゃない! 設定と違うじゃないですか! 」
「…… 」
 風は馬を無視した。
「いるぞ! 」
 低く呟いた……
「ん? 」
 後ろから、うめき声がする。
 振り返ろうとした馬は、背中に悪寒を感じた!
「ゴルルル…… 」
 前のめりに身を沈め、剣の柄に手をかけた……
 目を細め、後ろの気配に集中する。
「むむっ! この剣、軽い! なんでこんなにキラキラ宝石とか、はめてあるの? 真面目に戦う気を削いでくれるなぁ…… 」
「むっ! 馬! 抜け!!! 」
「オラアアァ! ですわ! 」
 振り向きざま、剣を抜き放つ!
 剣先が鬼をかすめた!
「ゴルルル…… 」
 目を赤く光らせ、両手で掴みかかるようなポーズをとっている。
「ちいぃっ! 仕留め損ないましたわ」
 鬼は羽織を着て、武士のような恰好をしている。
 指先は鍵爪が伸び、それで肉を削ぎ取ろうと広げている。
 ゆっくり両手を広げて睨みつけてきた。
「ふうぅ…… 馬の呼吸…… 」
 剣を再び後ろに向け、両腕を脇に引き締める。
 正面から襲いかかる敵に対しては、剣の長さを測らせずに、いきなり斬りつける脇構えが有効だ。
 だが自分の体を敵に晒すため、度胸と集中力を要する。
「ってか、風さんは何してるんだ? 」
 後ろに気がそれた瞬間を、鬼は見逃さなかった!
「ゴアアァァ!!! 」
 一呼吸で間合いを詰め、目前に迫ると右腕を振りかぶった!
「おりゃあぁ! 」
 右足を大きく踏み出し、その右肩を斬りはらおうと剣を放った!
 バキィ!
 鬼の右腕が折れた!
「ン? 何か乾いた音が…… 」
 左腕を脇から横なぎにして振り回してきた!
「うわっ! 」
 間一髪後ろに飛んで躱した。
「ゴオアアァァ!! 」
 そのまま踏み込んで左腕を突き出してきた!
「このっ! 」
 剣の柄で手を叩き落とした!
 ペキッ!
「ぎいやあぁぁ! 」
 手が砕ける音がした!
 今度は噛みつこうと頭から突っ込んできた!
「こなくそ! 」
 剣を下から跳ね上げ、首を捉えた!
 バキッ!
 首も折れ、動かなくなった。
「ふうぅ…… やったか」
 風の方へ向き直ると、足元に鬼の残骸が1体転がっていた。
「くくくっ…… 馬! お前なかなか戦い慣れているな」
 目をカッと見開き、こちらを睨みつけた。
 口元がニタリと笑う……
「ど…… どうしたの? ですか」
「ひひひ。お前と戦いたくなったぜ! 」
 大上段に構えると、左手を刀から離し、さらに刀を後ろへ垂れ下げた。
 上から目いっぱい引いた位置から、打ち下ろそうとこちらに狙いをつけている。
「冥途の土産に教えてやろう。こいつは俺の秘剣『漸馬剣』だ。馬を真っ二つにする技と言われている。お前にぴったりだから見せてやるよ…… 」
 ゾッとするような殺気をたたえた眼で、馬を睨みつけた。
 今にも斬りかかってくる気迫がみなぎっている。
「やるしかないですね…… 」
 馬は下段に剣を構えると、横っ飛びに逃げる態勢を取った。
「この1太刀に全身全霊を傾けてくるのは明白。躱せば勝ちですわ」
「待て! 」
 後ろから鋭い声が聞こえた。
 振り向くと髪がオレンジ色で、火のような柄の羽織りをまとった剣士がいる。
「ちっ! 炎! 邪魔するか」
 構えを解いた風が、炎と呼んだ男を睨んだ。
「風よ。お前は最後まで生き残ったキャラだ。戦いに狂うのはやめて命を大事にしろ。見たところこの馬は、まだ若い。俺は多分彼女をかばって死ぬ運命だ。ここでお前が戦ったらストーリーが狂うだろう」
「何を言ってるのか分からねぇが、お前と戦っても良いんだぜぇ」
 3人は広い倉庫の中央で、向かい合う格好になった。
 しばらく睨み合っていたが、隅にあるワゴンの中から白い物体が起き上がるのが見えた。
「ちょっと。あれ何ですかね…… 」
 馬がワゴンを指さすと、2人がそちらに顔を向けた。
 小さく切り刻まれた白い物体が次々に積み重なって立ち上がっていく。
 そして、ワゴンから抜け出た物体が段々と形を帯びてきた。
「これは、怨念が形になった化け物だ…… 」
 炎がつぶやく。
「怨念だぁ? 」
 風は闘争心に火がついているらしく、動くものには襲いかかる、という気迫でそちらへ向き直った。
 その時、窓から光が差し込んできた。
 白い物体はワゴンに戻っていった……
「そろそろ朝日が昇るようですね…… 」
「むう。皆! できるだけ元の状態に戻すんだ」
「ちっ! 鬼はどうする。腕も首もへし折っちまったぞ」
 折れたところは、しょうがない。
「もう6時になるぞ。鬼は隅に立てかけておけ! 」

「おはようございます! 」
 藤間真由は、美術系大学を卒業したばかりの23歳。アランク㈱に入社して1か月が経とうとしている。
 ここには、アニメキャラの等身大フィギュアと着ぐるみが、所狭しと並べられている。
 主にイベント用のキャラクターを制作する会社である。
 大のアニメファンである真由にとって、夢のような楽しい職場だった。
 いつも大好きなフィギュアを削ったり、色付け、仕上げ加工など様々な作業をさせてもらえて、充実した毎日に、職場へ来るのが楽しくてしょうがない。
「おっ! 今日も早いね。仕事には慣れたかな。藤間さん」
 社長の佐々木良彦は、45歳の働き盛りである。先代社長が起こしたこの会社を、さらに大きくして、今は作業所兼倉庫が5か所あり、それぞれ最新の機材を揃え、経営を軌道に乗せたやり手の社長だ。
 人当たりが良く、いかにも「夢を売る仕事」を支える社長といった感じがする人物である。事務処理能力も高いので、経営者としてはかなりの実力者である。
「社長。毎日帰るのが惜しいくらい楽しいです」
「そうか。それは良かった。今日は、倉庫にあるフィギュアを納品する日だから、ちょっと出来栄えを見てこようかな…… 」
 倉庫にはまだ誰も来ていない。
 佐々木はいつも1番に出社していて、藤間も始業時間前には、いつも来ていた。
 倉庫のカギを開けると、中の照明をつける。
「うん。なかなか良い出来栄えだな。藤間さんもこのフィギュアに関わってるんだよね」
「はい。初めて制作に関わらせていただきました。私は継ぎ目を均したり、塗装のお手伝いをしたりしました」
「そうか。今にも動き出しそうな、良いポーズだね。これならクライアントも喜んでくれるだろうな」
 佐々木社長は、社員の仕事の良いところを見つけて褒める。
 クリエイターは、それぞれがプライドを持って仕事をしているから、フィギュアは商品であると同時に、自分の分身のような作品なのである。
 今流行りの『鬼の刃』と『走る娘』というアニメのキャラクターの等身大フィギュアが並べられている。
「こうして見ていると、壮観ですね。アニメの世界に入り込んだみたいで、感激です」
 そうだね。今度のコミケの目玉になるから、肝入りプロジェクトなんだよ。
「来て早々悪いが、最終チェックを頼むよ。特に接合部分がきちんと接着できているか、触ってみて確認してほしい。」
「わかりました。アニメファンとして、このフィギュアが飾られるのがとっても楽しみです」
 社長は笑顔を向けると、事務室へ戻って行った。
 早速、まずは目視でおかしなところはないかチェックした。
「あれ? 鬼の首と腕がまだ接着してないみたい…… 」
 そこへ先輩社員の井上浩平がやってきた。入社10年になる33歳のベテラン職人である。井上はコンピュータが得意なので、アランク㈱工房の中枢を担う社員である。
 最近は9割方、3DCGソフトでモデリングしたデータを元に、レーザー加工機で加工する。小物は3Dプリンタで作ることもある。
 それを手作業で接合し、歪みとバリをやすりがけで修正して塗装する。
 だから、現場では3DCGができる人材を優先的に採用しているのだ。
 真由はそちらも一生懸命勉強中である。
「おはよう。どうかした? 」
「井上さん。すみません。鬼の接合を忘れていたようで…… すぐにやります」
「ん? 昨日確認したはずだけどな…… 俺も見落としていたよ。謝ることじゃない。気にしないで、落ち着いてやろう」
 接合部は、割れたような形をしていた。
「なんか変だなぁ…… 」
 接着剤で接合してマスキングテープで仮留めした。
 接合部をパテで整え、塗装して仕上げた。

 コミックマーケットの会場は、国際展示場である。会場の入口付近にフィギュアたちが納品された。
 ここがフォトスポットになり、コスプレをしたファンが撮影会を開く。
 今年はここ数年人気を保っている「鬼の刃」と、人気急上昇中の「走る娘」が展示された。
 納品作業を終えると真由、井上、佐々木はその出来栄えを少し引いた位置から眺めていた。
「うん。素晴らしい出来だね。井上さん。藤間さん。今日は1日ここに詰めて、会場の様子をホームページとSNSに上げてください」
「はい。わかりました」
 10時。開場すると、ファンが入ってきた。
 まず目的のブースへ向かう人たちと、入り口付近で見取り図を確認する人がいる。
 そして、フィギュアに目を止め、撮影しに来る人たちが殺到してきた。
「これこれ! 写真撮って! 」
「欲しいわぁ。いくらするのかなぁ」
「後でオークションするんじゃない? 」
 口々に褒めるファンの声が聞こえる。
「皆さんに喜んでもらえて、感激です」
 真由は目を輝かせて、その光景を眺めていた。
「うっ! こいつ足を踏みやがった! 」
 小さな声が聞こえた気がした。
「井上さん。何か言いましたか? 」
「いや。お客さんじゃないかな…… 」
「人混みって苦手です。走りたくなってきました」
「おい。喋るんじゃねぇよ。プロ意識持て」
 真由は、やっぱりフィギュアの声がする気がした。
 フィギュアの前には、常にファンが長蛇の列を作り、撮影の順番を待っていた。
「大好評でしたね」
「そうだね。ファンのみなさんに喜んでもらえることが、この仕事のやりがいだよ」

 会場が閉められ、フィギュアはそのまま1晩明かす。
「ふう。疲れましたね。走りたいです」
「まあな。正直きつい。たくさんの人に囲まれて写真を撮られるのは、柄じゃねぇし…… 」
「顔を触られたりするのはちょっと困るな…… 」
「炎さんの人気が凄かったですね」
 一番人気は、反対の入口にいた、奇妙な機械を腰につけた人間だった。
「あの、ちょっといけすかねぇツーブロ野郎が凄い人気だったぜぇ。ちょっとヤキ入れてくるか」
「ちょっと、風さん。どうする気ですか! 」
 風が反対側の入口へと真っ直ぐ歩いていく。
 馬と炎も後に続いた。
「おい。風よ。無茶をするなよ」
「へっ。ちょっと挨拶するだけさ」
 間近で見ると、暗い眼をした迫力ある男だった。
「よ…… よお。俺は風だ。名前は何て言う? 」
「…… 」
 その男は風を値踏みするように眺めていた。
 乱暴者の風も、その迫力に押され気味だった。
「リヴォイだ…… 」
「リヴォイ、凄い人気だな。何か秘訣があるのか? 」
「さあな。そっちのフィギュアの方が完成度が高い。俺は自分の出来が不満だぜ…… 」
 風は自分の手足を眺めた。
 確かにディティールまで作り込まれていて、自分の方が細かいニュアンスが多い。
「そうか。今度こっちで、お前も転生すればいい…… 」
「そう願いたいぜ…… 」
「リヴォイさん。もしかして、巨人と戦うのですか? 」
 馬が間に入って聞いた。
「ああ。お前たちは、鬼と戦うのだろう。設定に共通点が多いぜ。お前…… もしかして間違えて、魂が違うキャラに混ざり込んだのか? 」
「わかりますか。私、材料が馬に混ざってしまって…… でも心は鬼と戦いたいのです」
「そりゃぁ、大変だぜ。俺たちの中身が違うキャラから転用されると、心と外見のバランスが、ちぐはぐになる。そうなったら不幸だな。人間で言えば性的マイノリティのようなもんだ」
「ああ。やっと理解してくれる友人に出会えました。ずっと私は馬と呼ばれ続けて、実は苦痛だったのです。本当は、炭と呼んで欲しいのに…… 」
「それは可愛そうだぜ。おい。風、炎。せめて名前だけでも炭にしてやれ。俺たちフィギュアにとって、自分の存在価値に関わる問題だ。魂を踏みにじるな」
「そ…… そうだったのか。馬、いや炭…… すまなかったな! 」
「ちっ! わかったぜ。炭! お前も大事な戦力だ。機嫌を損ねたら面倒だから呼んでやるぜ」
「俺も疲れている。そろそろお互い休もう。明日も、いじくり回されるんだ」
 リヴォイに促されて、3人は帰って行った……

「凄い迫力でしたね」
「ちっ! ナンバーワンのオーラが出てやがる」
「俺たちも頑張ろう! 」
 翌日もたくさんのファンに囲まれ、フィギュアたちのフラストレーションは最高潮に達した。
「ふう。やっと終わりましたね…… 」
 炭は疲れきた声を出した。
「ちっ。何でこんなに息苦しいところで2日も立ってなくちゃならねぇんだ」
「宿命とはいえ、この任務はきつかったぞ…… 」
 そこへ、着ぐるみたちがやってきた。
「お前たちフィギュアは原形を留めるからいい。俺たちをみろ。中身がいなかったら、ただのかぶり物だ」
「ちっ! 着ぐるみか…… こいつら苦手なんだよな」
「いいか。着ぐるみの元になる発泡スチロールの型は粉々にしてリサイクルされる運命なのだ。お前たちはイベントが終わっても転売されて活用される道があるだろう」
 炎が着ぐるみたちに向き直ると、正面から見据えた。
「お前たち。着ぐるみは中身の話をしてはいけないのではないか? 」
「……!!! 」
「うっ! それは…… 」
「図星だな。デスニーキャラの業界では有名な話だ。聞いた話によれば、中身の話をすると業界から消されるらしい。そしてキャラには『さん』づけをする」
「確かに。俺たちとは、待遇が全然違う…… 」
「着ぐるみとフィギュアの違いよりも、今の待遇の悪さの方が深刻だ…… 」
「ちっ。話がそれた気がするぜ…… 」
「私は炭の材料になるはずが、何かの間違いで馬になるというハプニングにも遭いました。一生、この障害を抱えて生きていくのですよ。なぜこんな目に遭うのですか」
 コミケ終了後、それぞれ搬出され、各々違う道を歩んでいった……

「井上さん。私『鬼の刃』の材料を、一部『走る娘』に使ってしまいました。だから材料の取り方が、少しおかしくなったんです」
「何だい。藤間さん。そんなこと、気にすることないさ」
「でも、何となく、材料は始めから何になるべきかが決まっていて、魂が宿っている気がするんです…… 」
「ほう。なるほどね。言われてみれば、仏像を彫る仏師は『始めから材料の中に仏様がいる』と言っていたなぁ。良い話だね。クリエイター魂を感じるよ。大事なことかもしれないね」
 こうして、等身大フィギュアが産み出され、世の中に流通していく。
 アニメのキャラクターは、原作の物語から派生する様々な世界観を持っていて、それがファンのイマジネーションを掻き立て、多くの文化を産み出す。
 等身大フィギュアを見ると、そんな作品に対する愛情を感じ、魂が宿っているように思わせるものである。
 これは「アニミズム」の思想が根底にある。
 アニミズムは自然界の物に魂が宿るという考え方であり、精霊信仰、地霊信仰とも呼ばれる。
 また「アニメーション」の語源は、魂や生命を意味するラテン語の「アニマ」である。それが「生命を吹き込む」という意味の英語「アニメ―ト」になった。
 生命を持たないはずの物体にも、命があるとみなす考え方は人間の根源的な思想なのである。



この物語はフィクションです